聖書的観点から同性愛について : ディスカッション

聖書的観点から同性愛について

Hello. This is Momoko from Grace City. We had great sharing experiences with the London Team on “The Frustrations of Life” in April. We had a discussion event about “what the bible says about same sex attraction”? The title was What happens when life doesn’t make sense? English Life Story follows after Japanese.

こんにちは。グレースシティのMOMOKOです。

4月の半ばに英国ロンドンから短期宣教チームが来日し、「人生のフラストレーション」という大きなテーマで様々な課題について考える機会がありました。

私たちは常にフラストレーションを感じていますが、旧約聖書に登場するヨセフの人生を通して沢山の事を学びました。

厳しい条件の中で神が働かれた時に、その状況が最大限に生かされて、私たちの想像を絶する結果になる事があります。そもそも、何故わたしたちはフラストレーションを感じることが多々あるのでしょうか?

理想と現実の違い、自分の思い通りにならない毎日、体調不良、苦しみ、葛藤、心に刻まれた様々な傷跡…

多くの人は自分の問題を見て見ぬふりをしたり、諦めてしまったりする事もあると思います。

去る4月21日(土)  に「人生の不条理」というテーマで、聖書的観点から同性愛についてディスカッションをする機会がありました。ロンドンチームのメンバーの一人がライフストーリーを分かち合ってくださり、同性愛について語ってくださいました。

同性に惹かれるという状況について、聖書的観点から多くの興味深い話し合いをする事ができましたので、レポートさせて頂きます。(長文失礼いたします!)


 

私は、12歳の時にクリスチャンになりました。

その頃から男性に惹かれる傾向があったのかもしれませんが、ハッキリとそうだと確信したのは、22歳の頃でした。

25歳の時に初めてクリスチャンの友人に自分が同性に惹かれるという事を告白しました。

結論から言うと、聖書にある神の言葉を見ると、同性に惹かれたとしても、同性である男性とセックスをしたり、性的な欲求を満たすために男性と関係を持つことは良くないと書いてあります。これは、大勢の人が議論している事であり、大勢の人が理解したり受け入れたくないと思っている事です。

聖書を開くと、イエスは私たちを愛しているが故に、誰もが “心地好くない” と感じる応答をしています。

それには、深い理由があります。

私は、10年間クリスチャンとして生活してきて、神の言葉が真実であると信じていたので、聖書がどの様に語っているかを調べる事にしました。

同性の人と付き合おうかと迷った時に、どのような選択をして、どのように決断したのかを、シェアします。

あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。マタイ7章11節

イエスは、あなたがたは、”悪いもの”であるとハッキリと言っています。

聖書は「良い人」であっても誰もが罪人であると断言しているので、多くの人が憤慨し、ついていけなくてガッカリしてしまいます。

イエスは、人がどのような性質を持っているかを明らかにするために、この様な言い方をしているのですが、真実を突きつけられたり、自分の思惑と違うことを言われると、人は嫌な気分になりますよね。

例を挙げると…

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」マルコ10章21節

お金持ちで、社会的な地位ある人が、イエスからこう言われてガッカリして去って行きました。イエスは、普通に堅実に生きている人、弟子達、家族にでさえ厳しい言葉をかけています。

マルコ10章21節を見ると、イエスは、このお金持ちを愛していましたが、心地好くない応え方をしています。

なぜなら、自分の得になるもの、自分の支えとなっているもの全て喪失する事によって、自分自身を低くして、神の前に悔い改め、神に立ち返ることを促しているからです。

ヨハネの福音書6章には、イエスが人々の事を愛しているが故に、一時の空腹を満たすだけの奇跡を行うのではなく、もっと大きな神の計画である永遠の必要を満たす ”いのちのパン” について教えました。一時の空腹を満たすよりも永遠のいのちを受け取るために、イエスに依り頼むように勧めました。

22歳の時に、自分が同性愛者だとハッキリと自覚し、聖書を通してイエスがハッキリと自分に語りかけているのがわかりました。

イエスは自分を愛しており、恵みと憐れみに満ちた眼差しで、セックスと結婚に関して “心地の良くない” 真理を明らかにしました。

根本的に、イエスは、私たち全ての人を性的に “正しい”とは言っていません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。マタイの福音書5章28節

他の人を性的な対象として見た事がないという人が何人いるでしょうか?

マルコの福音書7章には、性的に不品行、不道徳な行為は、悪だと書かれています。

これは、どういう意味だと思いますか?

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコ7章20節〜23節

マルコ10章6節〜9節では、イエスが離婚について問われたときに、最初に神が創造された結婚に関する旧約聖書の記述を引用しました。

しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、 ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。マルコ10章6節〜9節

イエスは、創世記というイエスが生まれた少なくとも1,500年以上は前に書かれた結婚の定義を引用しながら、離婚について説明しています。

結婚が公的なものであり、一生をかけた1対1の男女のコミットメントであると言っているので、それ以外の性的な関係もしくは性的な刺激を助長させる行為は、すべて不品行であると言っています。ユダヤ人であるイエスは創世記に書かれている結婚の定義をそう説明しました。

そして22歳であった私は、自分に問いました。

「私も、イエスの様に、この2,000年以上前に語られた結婚に関する定義を信じるべきだろうか?これを真理だと受け入れるのであれば、私達は皆が悪いものであり、この世界は堕落して、性的なモラルや道徳は完全に壊れてしまっているのではないだろうか?」

私たちクリスチャンは、全員、同性愛者も含めて究極的には、神の言葉を信頼して、実行するかどうかが問われているのです。

22歳の時に、耳が痛いと感じながらも、心の底では神は良い方であり、神の言葉は信用に値すると信じていました。

イエス自身もルカの福音書4章にあるように試みに合われて、何百年も前に書かれた旧約聖書の言葉を引用して、誘惑に勝利しました。

知恵と知識は、イエスの中に見いだせるという事は、常にリマインドさせられています。今回、ロンドンチームの毎朝のミーティングではコロサイ人への手紙を読んでいましたが、自分たちへのリマインドとなりました。

20代前半から、私は聖書の言葉に惹き付けられていきました。

神が創造された結婚は、数カ所だけではなく、聖書のあらゆる話に刻まれています。

神が男女を平等に創造した理由は、二人の交際を通して子孫を増やすためだけではありません。

神が情熱的に人々を愛しているという事を表すためです。神は人々と永遠の関係を結びたいと招いておられます。

神は結婚における男女のセックスを、私たちが天国に行きたいと思わせるために創造されました。

神と一緒に住まうことの素晴らしさを表すためにです。

男女の差があるように、神と私たちには、違いがありますが、関係を築くという意味では共通点があります。

イエスは花婿として、終わりの時に出会う花嫁と呼ばれる教会を待っています。

神は神を愛する人々と一緒になる時が来るのです。

聖書のあらゆる部分で、セックスは一対一の男女の結婚関係のために与えられているという事が語られているのはそのためです。

結婚外のセックスが不品行であり、同性愛のセックスが良くないと書いてあるのは、一カ所だけではありません。

旧約聖書に登場する預言者は、性的な姦淫の罪だけでなく、偶像礼拝(異教の神を礼拝すること)を霊的な姦淫と呼んでいます。

様々な聖書箇所を引用して説明
聖書の最初と最後に出てくる結婚に関する記述  |  創世記1章、2章、黙示録21章、22章
異性愛でも、神に従わなかったケース  |  エゼキエル16章、ホセア書1〜3章
イエス・キリストと教会の関係は、結婚関係を表している | ヨハネ2章、3章、4章  |   エペソ5章

第一コリント人への手紙では、使徒パウロは、教会が 性的に” 正しくない人々” で満ちているという言い方をしています。

ここには同性愛も異性愛も含まれています。イエスはこの様な人々に恵みと憐れみに満ちた眼差しで近づき、性的に正しくない私たちに触れてくださり、清めてくださるのです。この罪のために、イエスは十字架にかかり、赦してくださいました。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

イエスの厳しい教えを聞いたときに、つまり、同性とセックスをする事ができないという事を聞いても落胆したり、絶望しなくていいのです。

聖書に登場する金持ちは、イエスの教えに落胆しましたが、私は同じようには絶望しませんでした。イエスがご自身の命を私たちのために捧げてくださったからです。

イエスを信じて、罪を罪だと認めて、悔い改めたら、その罪は赦されて神の家族に迎え入れられます。

サマリヤの女が体験した様な事もあり得るのです。

ヨハネ4章  : イエスとサマリヤの女とのやりとり

多くの人から、同性愛者として生まれた自分自身を否定しているのでは?と言われることがあります。

確かに自分は、生まれつきの同性愛者かもしれません。もしかしたら環境が影響したのかも?正直言って、どうしてそうなったのかは、分かりません。どうして、そうなったのかという事が問題ではないのです。原因を追求する事に、こだわりすぎると論点がずれてしまいます。

なぜなら、人間はみんな罪人だからです。イエスは私たちが皆 ”悪いもの” であると評価しています。つまり、神の目から見ると誰一人として正しくはないのです。良い事にでさえも、悪い動機や悪い思いが含まれている事があります。

聖書の “悪いもの” の定義を見ると、神の言葉を無視した状態が ”悪い” と定義されています。

エデンの園でアダムとエバが体験した事もそうです。神の言ったことを信頼せず、神の言葉を無視した結果が罪となりました。

神の言葉を無視したことがキッカケで、人類は堕落してしまったのです。

私たちは、様々な部分で堕落しています。性的な問題だけでなく、あらゆる分野で堕落しています。貪欲、嘘、偽り、神よりもお金に頼って、怒りの心を抱えています。ですから、同性愛のセックスが世界中で一番堕落しているという訳ではありません。全ての堕落が、神の言葉を無視した結果として表れているのです。私たちは、みんな、同様に罪人なのです。

同性に惹かれる同性愛者にとって、同性愛の性的関係を否定することはフェアじゃないと思われる方もいるかもしれません。

しかし、聖書には、私たちは罪人として生まれたと書いてあり、自分が抱えている罪に対して自分が責任を持たなければならないのです。

自分が両親から良い性格や悪い性格を受け継いだら、それに対して、自分が責任を持たなければならないのと同じようにアダムとエバから受け継いだ、神の言葉を無視する性質である罪に対する責任を負う必要があるのです。

[ Q & A タイム ]

質問 : 同性愛の性的関係を持てないことで、満たされないと感じることがありませんか?

結婚関係にある性的関係だけが、自分を満たすものであるというのは、大きな思い込みです。幸いな事に、聖書を通してイエスが確信を与えてくれています。

御言葉を通して、教会の家族を通して、神との関係における 一過性の満たしと”永遠の” 満たしを体験しています。

人は神のかたちに似せて造られて、神と関係を持つように創造されました。父、御子の関係に招き入れられたのは、最高のプレゼントです。

聖書の御言葉に耳を傾けると、神は御言葉を通して、自分の祈りを通して語ってくださいます。

子どもが親の言葉を真似していうように、父なる神に素晴らしい御言葉を返します。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。詩編1篇1-3節
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。詩篇23篇

ですから、本当に満たされない時は、私が神の言葉を聞いていない時です。

神と教会の関係を見ても言えますが、自分が必要としている以上の素晴らしい”関係”をキリストと教会の中で体験しています。

結婚は人は一人でいるのは良くない、という理由で創造されました。家族の始まりです。

新約聖書では、結婚の焦点が、血のつながった家族から、キリストの家族へと移行しています。

結婚をしていなくても、神の家族の中で、関係を築くことができ、大勢の人のために仕えることができるのです。

イエス・キリストも使徒パウロも独身でしたが、大勢の仲間や友達がいました。

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。マルコ10章29節〜30節

ガラテヤ書には、より多くの人に仕えるために結婚をしないという選択があるという事が書かれています。

それは、お互いに重荷を負い合い、助け合う必要があるからです。

それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。ガラテヤ2章2節

私が同性愛で葛藤しているというという事をオープンに話をすると、他の人が自分の葛藤についてオープンに話してくれるようになって、教会の雰囲気が変わりました。罪を罪だと認めて、周りの人も告白しやすくなり、悔い改めへと導かれます。

質問 : 今でも、同性に惹かれ、誘惑に感じることはありますか?それに対して、どう対処していますか?

あります。常に悔い改める必要があります。同性愛であるが故に、神をもっと信頼しなければならないという状況におかれていますが、それは、他の人がもっと神を信頼しなければならないと、悔い改めるキッカケや助けにもなります。自分の弱さを自覚しています。同性愛であるが故に、プライドは崩され、自分が正しいと思える全ての要素が打ち砕かれていますが、これが神に向かい、神の支えを求める動機になります。

神から離れている事を悔い改め、御言葉の中でキリストとの関係が養われる事に感謝しています。

神に立ち返り、悔い改め、周りに仕える事を通して、神との関係や人との健全な関係が与えられるのは、幸いだと感じています。

質問 : 本当の意味では、幸せになれないのでは?

私には、何人か同性愛のクリスチャンの友達がいます。

同性愛の関係を持つことが、自分たちの幸せに繋がると思い、イエスに従うことを辞めてしまいました。自分達のフィーリング、感情、感覚、つまりHAPPINESS(幸せ)を優先するがために、同性愛のセックスに同意していない聖書を読むことを辞めて、イエスを捨ててしまいました。リベラル(何でも良いと考える)派のクリスチャンでさえ、聖書を文字通り読むと、ゲイのセックスは良くないと書いてあると認めています。ですから、今現在の自分の幸せを求めている人たちが、イエスに従うことを辞めてしまう事に驚かなくなりました。イエス自身、このことを”刈り取り”のたとえで、話をしています。

クリスチャンの人生は、幸せを追い求めることではありません。神を追い求めて生きる事なのです。

世の中では、個人の幸せ、快適さ、その他の自分を満たしてくれるものを追い求めることがよい良い事だと信じられています。

「自分の十字架を負って、私について来なさい。」というイエスの言葉は、敢えて無視して生きています。

なぜなら、それには、ある程度の犠牲が伴うからです。

楽ではありませんし、イエスはこう言っています。

「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ7章14節

ですから、教会は、個人の幸せではなく、神を信じて、神を追い求める事をチャレンジしていかなければなりません。

あなたが同性愛の人にセックスを辞める必要があると言うのであれば、あなた自身は、神を求めて自分のどの分野を捧げる準備ができているでしょうか?

お金  :   教会が教会として機能していくための、金銭的なサポートを捧げる?

時間、仕事、キャリア   :  コミュニティグループや周りの人に仕えるための時間を捧げる?

自分の好きな場所に行く余暇のホリデー :  自分の好きなことに使っている分を、神学生やインターンを支える事に捧げられる余地がある?

結婚している人 :  独身の人たちを家に招いて、家族の暖かさを体験する時間を提供できる?

結婚したいという祈り : 自分の幸せを追い求めて結婚したいと願う代わりに、神による満たしを追い求め、イエスの様に造りかえてくださいという祈りを捧げる?

本当の幸せは、神との関係の中に見いだせるものです。結婚関係の中に見いだせるものではありません。

教会が、結婚の中に安定を見いだせるという言い方をする事がありますが、結婚している人も、神を追い求める必要があります。

独身であっても、神との満たされた関係を見いだす事ができるのです。神からの満たしを体験するために、結婚する必要はないのです。

教会の教えの中に、独身者に対する積極的かつ肯定的な見方が必要ですし、より良い関係を築く事を促し、励ます必要があるのです。

私は、イエスの為に犠牲を払って生活している人を見ると、とても励まされます。

沢山のお金を持っていても、安いホリデーに敢えて行って、宣教のために多くのお金を捧げている人。教会に捧げる金額に加えて、節約しながら月々10万円を捧げて、国内外における宣教活動をサポートしている人。自分の生活は節約して、貧しいクリスチャンを支えるために月々10万円を捧げている人。自分のために時間やお金を使うのではなく、自分にはメリットのない周りの人のために時間やお金を捧げている人。勇気を出して、職場で福音を伝えたが故に、周りの人から嫌がらせを受けている人。

質問 : 若い人にセックスをしてはいけないというのは、ちょっと酷なのでは? 同性愛を認めない事が、若者の自殺につながるのでは?

自殺の問題は、性的な問題以上の問題だと思っています。同性愛者として、オープンにして生活していても、様々な理由で鬱になっています。

同性愛者でも、そうでない人でも様々な理由で自殺をしています。

成功者と言われている人でさえ自殺します。

むしろ、先ほど引用した第一コリント人への手紙6章にあるように、神の国に入ることができない事を知っていても、伝えない事の方が酷なのでは?と思います。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

[ 参加した人達の感想 ]

● 私はイギリスに住んで、クリスチャンの方の家でホームステイをしていましたが、確かにお金を持っていても、そうでないかの様に節約した生活をしながら、安いホリデーを選んで、宣教の働きをサポートしていました。他の教会では、同性愛を認めているところもありますが、私が行っていたSt.Helen’s Bishopsgate Churchは、同性愛者を受け入れても、同性愛の関係は認めない事が古い教えの様な気がしていましたが、今回、色々聞くことができて良かったです。

● 同性愛の友人が、同性愛を肯定している教会に行きましたが、結局、聖書の解釈がおかしい事に本人も納得がいかない様で不満気でした。聖書を断片的にしか読まないので、都合の良い解釈をするという事に疑問を感じてしまう様です。

● 日本だと同性愛であるという事をなかなかオープンにできないので、私の周りには同性愛の知り合いがいません。同性愛に関して、先天性の場合など、どう捉えたら良いかわからなかったのですが、全てが同じ罪、つまり、同性愛だけが最悪な罪なのではなく、親から受け継いだ”怒り”の感情を取り扱うのと同様に、神から離れている状態が罪だと聞いて、納得できた気がします。安心しました。

● 私の周りには、沢山の同性愛の友達がいます。同性愛であってもそうでなくても、「神の国を相続することができない」可能性を、周りの友達に正直に伝えていない事を、改めて考えさせられました。聖書の福音を分かち合うのは、自分の罪を認めることから始まるので、もっと正直になる必要があるのと、周りの人への愛が足りないと思わさせられました。

● 私たちは、同性愛のカップルです。同性愛であるが故に若い自殺者がいる事に心を痛めています。


 

この様な2時間のディスカッションはあっという間に終わりました。今回ライフストーリーを分かち合ってくださった方は、私にとって愛すべき大切な友人の一人です。

友人として、クリスチャンとして、神の家族として、彼の事を心から尊敬しています。性的な事は、話しづらいトピックスですし、恥ずかしいと思える事でもあるのに、オープンに話してくれた事に心から感謝しています。

誰にでも多かれ少なかれ、弱さがありますし、それぞれに長所、短所、様々な傾向があります。

失敗する事は沢山ありますし、あまり良くないと思える状況下に置かれる事もあります。周囲からは「ダメな人」だとレッテルを貼られる可能性は、いくつかの条件が揃ってしまうだけで、いくらでもあります。

私たちは、他の人から批判されたり、非難されたりしますが、イエスは、私たちに向かって「私のもとに来なさい」と語りかけてくださっているのです。大勢の人が沢山の重荷を負って生きている事をイエスは知っているのです。

最後に、ナンセンスなのは、百も承知ですけれど…(^^;) 地球の重力が重たい理由は、人々の罪の大きさが重たいからなのではないか?と思うことがよくあります。科学的には、正しくないのですが、私の頭の中にはそのようなイメージが浮かびます。

私たちの性質、傷、根本的な傾向が肩に重くのしかかるときに、疑心暗鬼になって人を信じられなくなったりもします。

イエスは、聖書を通して、今もなお私たちに語りかけてくださっているので、私たちが、聖書の御言葉によって応答していく事ができるのは、神との関係を取り戻す最大のチャンスなのかもしれません。

長いレポートとなりましたが、読んでくださりありがとうございました!

What happens when life doesn’t make sense?

“What the bible says about same sex attraction”?

Introduction

I became a Christian aged 12.

Looking back, I can see I was attracted to men from around the same age.

Finally concluded I was exclusively attracted to guys aged around 22.

Told first person about it aged 25 – friend at church.

Now many people in my church know.

I believe that even though I’m attracted to men, God’s Word, the Bible, tells me I shouldn’t have sex or seek any form of sexual stimulation from men.

That obviously is a very controversial statement for many people to understand and accept.

When I was 22 and finally realised I was attracted to guys and could potentially try dating them, how did I decide whether I would do so or not?

I’d been a Christian for 10 years and believed God’s Word was true. So I knew I had to turn to the Bible.

As I turned to the Bible, I was very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, says things that make people uncomfortable – Jesus’ words provoke strong reactions – some love them but others hate them.

So for example, I knew that Jesus says that people are “evil” (eg Matthew 7:11).

And he does this on purpose, to expose what people are like – both the powerful and the weak.

An example of a powerful person being upset by God’s Word is the rich man in Mark 10:22. He goes away sad and disheartened because he doesn’t want to obey Jesus and sell his possessions.

Jesus criticises ordinary people too – his own family, the disciples.

In John 4, the Samaritan woman, an outcast in her society because of her multiple marriages, is shocked when Jesus firmly exposes her false religious beliefs and her sexual failure.

He tells weak, hungry people who beg him for bread in John 6 that he won’t give them any.

But remember, the reason Jesus makes people uncomfortable is because he loves them (Mark 10:21). He makes them feel uncomfortable and despairing for their benefit. So that they’ll repent and turn to him. For the people in John 6, Jesus loves them so much he wants them to see he has a bigger agenda of satisfying their eternal needs, not meeting their immediate hunger. He wants them to depend on him for eternal life more than food.

So as a 22 year old who had finally concluded I was same sex attracted, as I turned to the Bible, I was also very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, teaches uncomfortable truths about sex and marriage

Essentially, Jesus exposes that none of us is sexually “straight”

In Matthew 5:28, lusting after a woman is the same as adultery. How many people can honestly say they have never listed after someone?

In Mark 7, Jesus says that sexual immorality is evil. And what does he mean by that? Well, when questioned about divorce in Mark 10:6-9, he uses a definition of marriage written at least 1500 years before he lived, in Genesis. He says that marriage is a public, lifelong commitment between one man and one woman – meaning that any form of sexual activity or stimulation outside of that framework is sexual immorality. That is what a Jew like Jesus at that time would have believed, based on Genesis.

And I guess the question for me aged 22 and for of us is “Will we too, like Jesus, believe words that were spoken nearly 2000 years ago to define marriage?”

And will we then admit that, because of the fall, because we are all evil, all of us have fractured sexualities?

Similarly, the challenge we face as Christians when dealing with same sex attraction is ultimately – will we accept the trustworthiness of God’s Word?

At the aged of 22, I knew deep down that God is good and that his words are trustworthy, even if hard to hear. I knew Jesus was prepared to trust words written hundreds of years before when he was tempted by the devil in Luke 4. I also knew that all wisdom and knowledge is found in Jesus – we’ve been reminding ourselves of that on the London Team this week in Colossians.

Since my early 20s, as I’ve dug deep into the Bible more and more, I’ve realised that God’s marriage blueprint is not just found in a few verses, but that it’s woven into the whole Bible story.

The reason God created man and woman as equal but different sexual beings was not primarily for making babies or for companionship, but to help everyone understand how passionately God loves his people. To show us that God wants to marry his people forever.God gave sex in a marriage between a man and a woman to make us want to go to heaven. To illustrate just how passionately God wants us to live with him forever.

There is a difference between God and us, just as there’s a difference between man and woman – yet both can be brought together in passionate relationship. It’s as if Jesus looks down the aisle at his bride, the church, at the end of time, and smiles. God will be with his people. If you redefine marriage as between two men or two women then you imply there’s essentially no difference between God and his people. But thee is a difference.

That’s why a marriage between one man and one woman as a picture of God eagerly desiring his people appears throughout the Bible. So the case against gay sex is not just a matter of a few verses.

Examples:

Marriage at beginning and end of the Bible (Genesis 1 and 2 and Revelation 21 and 22).

Heterosexual marriage shows how terrible it is for people to be unfaithful to God when he loves them so much (Ezekiel 16 and Hosea 1-3).

Old Testament prophets often speak of spiritual adultery.

Song of Songs is about God’s passionate love for his people as illustrated by sex and marriage.

Jesus is described as the bridegroom in John 2,3 and 4.

Paul in Ephesians 5 quotes Genesis to say marriage is a picture of a relationship between Christ and the church.

I also saw in 1 Corinthians 6:9-11 that the church has always been full of people who weren’t sexually straight – people who had been sexually immoral heterosexually  and homosexually. Jesus has by his grace washed, sanctified and justified all of us who aren’t sexually straight who are trusting him for forgiveness.

So I don’t need to despair when I hear Jesus’ hard teaching that I can’t have sex with a man. I may be like the rich ruler and initially be sad about Jesus’ teaching, but then I see that Jesus hasn’t left me to despair. He’s given his life for me. If I repent and believe that, then I’m welcomed into his family, the church.

Just like the Samaritan woman, I get married permanently, forever, to Jesus when I turn to him, and can be a member of God’s chosen people.

Questions : But many say, aren’t you denying who you are? Aren’t you made that way?

Yes, from my perspective, I was probably born gay – environmental factors may have played a role, but I don’t know for sure. The cause doesn’t really matter.

Because I know that Jesus assessment of all of us is that we are born evil. That even the good things we do are to some extent tainted with evil motives. And when I look at the Bible’s definition of evil, I see that ultimately it means rejecting God’s word. That’s what happened in the Garden of Eden when Adam and Eve didn’t trust what God said. And that rejection of God’s Word means that humanity is broken. One area of our brokenness is our sexuality, but it includes all other sins too – greed, lying, cheating, looking to money rather than God for my security, being angry. Gay sex is not an act that is worse than others. All acts that stem for our rejection of God are equally sinful.

We may think it isn’t fair that some people are attracted to people of the same sex. But the Bible says that even though we’re born sinners, we are still responsible. We have no problem saying that people who inherit good or bad characteristics from their parents are still responsible for what they do. Similarly, we inherent sin from Adam and are held responsible.

Questions : But you might still think I’m starving myself. That I can’t be truly satisfied or happy unless I’m in a gay relationship. 

That makes a huge assumption that marriage and sex are where we find intimacy.

Thankfully, the Bible assures me that because I have Jesus and my church family, I have all the intimacy I could ever need.

Because I’m in Jesus’ family, I enjoy a rich feast of intimacy both now and in eternity.

I was created in God’s image to relate to him. The Father-Son relationship is a precious gift. In fact the language used to describe the relationship between Adam and his son Seth deliberately echoes the relationship God has with us (“in his image”).

The Father-Son relationship is something I already have in Jesus. John 1 says I have become a child of God. My relationship with God that was destroyed at the Fall has been restored. I’ve been welcomed home forever by God’s grace.

I experience that as I listen to God speak to me in the Bible and as I respond to him in prayer. As I repeat back to my Father the wonderful words he has given to me (just as children repeat the words of their parents). Psalm 1:1-3.

Psalm 23 tells me that because the Lord is my Shepherd, I lack nothing. I am not starving myself by missing out on a sexual relationship.

The only way I can starve myself is by not listening to God’s Word.

God has also given me my church family so that I have all the intimacy I’ll ever need.

Genesis 2 tells us that marriage was created as it was not good for man to be alone. The result of marriage is families – and in the New Testament, the focus moves off the biological family to the church family. In Christ, I have been given a church family (Mark 10:29-30). This is where I can form a whole range of intimate relationships. I don’t need exclusive friendships – I can serve lots and lots of people as a friend. Jesus and Paul were both single and had a huge number of friends.

The way I experience intimacy in these friendships is to share intimacies. We carry the burdens and struggles of each other. Galatians 2:2.

Same sex attracted people can change church culture. As I have opened up about my struggles, others have opened up about where they find it hard to live sacrificially for Jesus.

I’m thankful God has used my sexuality to drive me to depend on him more and encourage others to do the same. I know I’m weak and vulnerable. This shatters my pride and self-righteousness and causes me to cry out to him to sustain me. I want others to know that intimacy too. It’s not easy – so I often need to repent. To repent of distancing myself from God and his Word and growing the intimacy that I already have in Christ.

I know that’s hard in Japan but I would strongly encourage you to do it. I have received tremendous support from friends at St Helen’s (people in my small group and some who are same sex attracted too) and I think it would be great if same sex attracted people at Grace City could be comfortable about discussing sexual issues they are struggling with, so that the burden and struggle can be shared. In the Western church, Christians only started doing this once the gay agenda was being debated in the public arena. In Japan, the church could take the lead here. It’s not being discussed in society, so wouldn’t it be great if people started talking about it in the church and showing Japanese society how true intimacy is found? It is possible – I know of a Japanese guy who is same sex attracted in Hokkaido and yet has decided to repent of sleeping with men and follow Jesus.

I am also involved with families at church in London. Get to be a dad to loads of kids – read stories, watch films, have meals. I got to look after Momoko’s daughter in London so Momoko could attend a Bible study for non-Christian Japanese people in London.

Questions : But surely you can’t really be happy?

[I’ve had a few same sex attracted Christian friends who’ve stopped following Jesus because they thought that a gay relationship would make them happy – they’ve abandoned Jesus for this reason, based on feelings mainly, because they’ve found it very hard to make the Bible say that gay sex is ok. Even many liberal scholars say the plain reading of the text is clear – that gay sex is clearly prohibited in the Bible. In the end, I’m not surprised that the attraction of immediate happiness causes some people to stop following Jesus though. Jesus himself said this would happen in the parable of the sower.]

The Christian life is not about happiness. Its about Godliness. Yet in our culture we idolise personal comfort and happiness above everything else. We ignore the fact that Jesus says we must take up our cross and follow Him. It involved sacrifice. It is hard. Jesus himself says that the way his kingdom is hard and few are those who find it.

So the church does need to be challenged to pursue Godliness above happiness. If you’re expecting same sex attracted people in the church to give up gay sex, then are you too prepared to give up what you might be pursuing at the expense of Godliness? Money to support the work of Grace City? A good career so you have more time to serve your community group? A nice holiday so that you have more money to support the SALT team? If you’re married, are you inviting single people round to your home regularly to share in family life? Are you praying that you would get married so you’ll be happy or are you asking God to make you more Godly and content and more like the Lord Jesus whether you get married or not? True happiness is found in Godliness not marriage. So married people need to pursue Godliness. The church has often promoted marriage as the answer to everything. It isn’t. Godliness is. And you can be Godly as a single person. So positive church teaching about singleness and friendship is urgently needed.

I am so encouraged when I hear that people who aren’t same sex attracted are living sacrificially for Jesus. I know that they too are giving up something they really want to do (like me staying celibate when I really want to have a sexual relationship with a guy).  Examples:

Christians with lots of money having cheap holidays so they can give more money for gospel work.

I knew someone who once gave 1000 US dollars a month to help a Christian worker overseas. That was on top of the money he was giving to his own church every month.

I know someone who for many years has been helping a poorer Christian in his church by paying 1000 US dollars per year into the poorer Christian’s pension fund.

I’ve heard of a person being mocked in the workplace for taking the brave step to speak openly about Jesus in their office.

Questions : Are’t we being cruel? If we tell young people they can’t have sex with people if the same sex, doesn’t that lead to suicide?

I think it’s probably more complicated than just sexuality driving people to suicide. There are also many gay people who are completely “out”, yet utterly depressed for a whole number of other reasons. And we know that even successful people commit suicide.

I could equally look at 1 Corinthians 6 and say, “aren’t we being cruel to young people if we tell them that gay sex is OK, because that will mean they miss out on living without God for eternity?”

Thank you for reading.

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