こんにちは^^!グレースシティのさとみです。
ちょうど一ヶ月前、お天気が最高の日に祈り会のメンバーで、プレヤーウォークを行いました。
月に一度、第一礼拝前に行っている祈り会を、コアメンバーとしてリードしている4名と牧師、宣教師、全6名で皇居の周りをぐるりと一周歩きながら、東京のあらゆることについて、お祈りしました。
改めて、この教会が置かれている東京のど真ん中は、文字通り日本の心臓のように、休むことなく動き続けている大切な地域であるということをより一層理解しました。
政治・経済・マスコミ・文化・芸術・金融・教育・学業・歴史・伝統…と上げ出したらきりがないほど重要な機関が網羅されています。(同時に、東京や日本の具体的な現状について、無知な自分にもたくさん気付かされました!汗)
この日は最高に祝福され、楽しい交わりも与えられ、充実した時間を過ごすことが出来て本当に感謝でした。なので、早く教会のみなさんとも一緒に行いたいと願っています^^。
さて、東京について祈る中でわたしが思い起こしたのは、アブラハムの切なる祈りでした。創世記18章16節-33節。
この箇所は、アブラハムが神を畏れへりくだり、自分の小ささゆえに神を信頼して懇願する心が浮き彫りにされています。これは、現代のわたしたちがどのように自分以外の人や物事のために神に(とりなして)祈るべきか、具体的に書かれている箇所でもあります。
簡単にこの箇所をさとみ訳として解説させていただくと、(聖書をお持ちの方はぜひ、聖書を開いてみてくださいね)
人の姿としてアブラハムの前に現れた主(神様)は、アブラハムの甥の住んでいるソドムとゴモラという堕落し尽くした町がどんな状況なのか確かめに行く、とアブラハムに告げます。するとアブラハムは「あなたは本当に正しい者を悪い者と一緒に滅ぼしつくされるのですか?」と問い、正義なる神へ訴えかけます。
「その町に正しい者が50人いたら?その50人のためにその町をお赦しにならないのですか?」アブラハムが聞くと、主はこう答えられます。「もし、わたしが50人の正しい者を町に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう」。
そしてアブラハムが訊ねるこの人数は、「正しい者が45人いたらどう?」「40人いたら?」「30人いたら?」「20人いたら?」「10人いたら?その町全部を赦す?」と交渉するかのように続きます。
神を心底おそれつつ、しかし妥協せずに食い下がるアブラハムに対して、その人数ごとに「滅ぼさないよ。その正しい者たちのために」と主は一回一回お答えになります。
このやりとりは、アブラハムが神様に対して、「どうかあの町を、滅ぼさないでください」と願い求め、アブラハムの切なる祈りに神である「主」が受け答えているように見えます。しかし会話に入る前の17-19節にはこうあります。
『「主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。(略)…わたしが彼を選び出したのは..(略)..正義と公正とを行わせるため、主がアブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである」
神である方がわざわざアブラハムにこれからご自分のしようとしていることを明かしているところに、主の憐れみ深さを感じます。
義人の祈りは働くと大きな力がある ヤコブの手紙5:16