Gospel Centered Life 福音中心の人生

今週末から「福音中心の人生 Gospel-Centered Life」という学び / バイブルスタディが始まります。

まだ十分に福音を理解していない、キリストの福音のすばらしさを経験したいと考えているなら、ぜひご参加ください。キリスト教とは何か?を追求している方にもピッタリの学びです。

今回の学びでは前半の4つのレッスンを11~12月かけて行い、後半の5つのレッスンは年明け後1~2月に実施する予定です。前半スケジュール : 2018年11月11日/18日/25日/12月9日(日)12:00 – 13:30 KDDI HALL

「福音中心の人生 Gospel-Centered Life」は、(講義のようなスタイルではなく)グループの形式で学びます。

それは私たちは一人だけでは十分な学びをできないからです。互いに励まし合うラーニングコミュニティにおいてこそ、新しい発見と深い経験をすることができます。各課には聖書の学び、一つの文章の考察やディスカッション、実践的な適用が含まれています。この学びにおいて期待されていることは、参加者がチャレンジを受け、聖霊によって導かれ、葛藤しながら心と人生に福音を適用するすばらしさを経験することです。

「福音中心の人生 Gospel-Centered Life」は、私たちの個人的な人生とキリストの共同体である教会が、ともに福音のDNAによって形作られるために提供される学びです。

聖書が語る福音は、私たちの心から始まり、人生をつくり変え、人間関係やコミュニティにも影響を及ぼす神の救いの力です。しかし、多くの人たちは、福音に込められている神の恵みの力を実際的には余り深く理解していなかったり、経験したりすることが難しいのではないでしょうか。

「福音中心の人生 Gospel-Centered Life」は、福音がどのように私たちの人生のあらゆる部分をつくり変えていくのかを理解することができるように準備されています。

「福音は…神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来…あなたがたの間で実を結び成長」コロサイ書1章6節

そのような結実や成長はどのように起こるのでしょうか?福音を継続的に再発見しながら人生に適用するのは、なぜそれほど重要なのでしょうか?逆に福音を深く理解しないなら、私たちの霊的な成長や宣教的な人生はどのように妨げられてしまうのでしょうか?「福音中心の人生Gospel-Centered Life」はこのような問いに答えてくれるでしょう。

「福音中心の人生 Gospel-Centered Life」は、次のように3つの範疇に分けられる9つのテーマの学びになります。

Ⅰ.福音とは何か

第1課 福音の枠組み 私たちのすべてをつくり変える福音の全体像を理解します。

第2課 見せかけと行い 十字架を縮小させ、神の聖さと罪をないがしろにする問題を考えます。

第3課 福音を信じる 十字架の力を知り、神が与えた福音を信じる重要性を学びます。

Ⅱ.福音が私たちの間で行うこと

第4課 律法と福音 律法の意義と福音の関係を考え、人生がどのように導かれるかを学びます。

第5課 悔い改め 福音中心に生きるために避けられない悔い改めの喜びを経験します。

第6課 心の偶像 信仰と悔い改めにおいて、福音によって心の偶像を取り扱います。

Ⅲ.福音が私たちを通して働くこと

第7課 使命 福音によって変えられた期待と動機をもって、贖いの愛をあらわすようになります。

第8課 赦し キリストによる福音的な赦しがどのように私たちの間で実践されるのかを学びます。

第9課 争い 人間関係の葛藤や争いを、福音によってどのように取り扱うべきかを理解します。

全てのセッションに出られない方でも、部分参加もできますので、キリストの福音のすばらしさを経験したい方はぜひ!

詳しくはコチラ

参加申込み & 問い合わせはコチラ

福音的コミュニティ Gospel Community

9月に入り、過ごしやすい季節になってきましたね。
新しいメッセージシリーズ「福音的コミュニティ Gospel Community」が始まりました。

メッセージはオンライン上で聞くことができます。福音的コミュニティとは何でしょうか?
今週のブログ記事は、グレースシティの主任牧師、福田真理先生が書いてくださいましたので、ぜひ、ご一読を!


 

「福音的コミュニティ」 

ぼくがクリスチャンになった大きなきっかけの一つは、教会に「高校生会」があったからです。「おい!マコト。高校生になったら毎週土曜日にやってる高校生会に来いよ。待ってるからな!」何と嬉しい呼びかけだったでしょう。同世代の仲間たちが聖書を一緒に学んだり祈ったり、恋愛や将来の人生について考えたり、「コーヒーハウス」という伝道パーティーやコンサートを開いたり、キャンプにも行きました。たまには羽目を外してバカなこともしたものです。悔い改めてイエスの福音による赦しを経験しました。

このようなコミュニティは思春期や青春時代の若者だけに必要なものでしょうか?とりわけ都市部では人間関係が希薄になりがちで、人生をともに歩んでいく信頼と愛とアカウンタビリティのあるコミュニティは育ちにくい傾向があります。子どもたちは十分なケアがなされず、年配者たちは忘れ去られて孤独になり、働く世代は長時間におよぶ過剰労働のために忙しくて疲れ果てています。学校生活でも成績や進学のために絶えず競争にさらされ、おまけにいじめのプレッシャーに恐れおののいています。

評論家の加藤周一はこのような現代社会の特徴を「競争的集団主義Competitive Groupism」と呼んで次のように言っています。「みんなが同じようなことをして、同じような意見を持つことが理想で、少数意見は望ましくないのですが、集団内外において競争が激しいのです。ですから、一緒に同じようなことができない場合には、「村八分」と言って仲間から追い出されてしまいます。一見仲が良いように見えながら、実は互いに競争していますので、表面的には一致しているようで、本当はコミュニティ内部では争いや問題が絶えないのです。」

聖書によれば、どんな世代の誰にでも福音的なコミュニティが必要なのです。それゆえ神は「教会」と呼ばれるキリストの福音によって形成されるコミュニティを与えてくださいました。それは、私たちが福音的なコミュニティにおいて、イエス・キリストの恵みを経験して、聖書に啓示されている生けるまことの神を知り、人生の目的と価値を学び、互いの人生に貢献し合って励まし合い、弱さや苦しみを担い合い、イエスの福音を宣べ伝えて「神の国とはこんなものですよ」とあらわすためです。

そのようなコミュニティなしには、神がいかなる方であるのか実際的に知ることは難しく、キリストの福音の意味や深さを理解して成熟することもままならないでしょう。そもそも三位一体の神は永遠に一体的なコミュニティであり、この神を知るのに最も良いのはクリスチャンの共同体を通してなのです。それゆえ、どの世代のいかなる人も、人生の負け組も勝ち組も、イエスの家族と言える福音的なコミュニティを必要としているのです。

とは言え、このような愛と信頼とアカウンタビリティのあるコミュニティは、どのように築いていくことができるのでしょうか?それが問題です。現代の市場原理は、個人主義と消費至上主義を生み出して、コミュニティの役割や力を競争と利己主義へと変容させてしまいました。人生の幸せはより多くの質の高いものを手に入れることとされ、個人の自己実現が最高の価値あることとみなされる傾向があります。

それだけではなくより伝統的な集団主義も生きていて、周りの空気を読んでそれに合わせることにより人々に認められることで、安心や平安を得ようとする傾向も根強いものです。その結果自分のアイデンティティや各自の人生の固有の情熱や希望は失われやすく、空しさや虚無感、あきらめムードが蔓延しています。東京大学社会科学研究所の「希望学プロジェクトによれば、「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」において「自分の生活や仕事に希望がある」と答える割合は、2007年は55%、2014年は37%まで下がっているそうです。将来に希望を持てない人々が、確実に増え続けています。

それゆえ、グレースシティでは是非とも福音的なコミュニティの再生に取り組みたいのです。イエスが幸せで美しい永遠に一体的な三位一体のコミュニティを離れて、罪や悪、偽りや欺き、利己主義やねたみ、怒りや憎しみにあふれた私たちの世界にやって来て、ご自分のすべての良きものを犠牲にして私たちに与えてくれました。普通私たちは利己的で信用できない悪いコミュニティを抜け出て、愛と信頼に満ちた麗しいコミュニティに入りたいものですが、イエスは全く逆のことをしてくださったのです。

このようにご自分を犠牲にして、私たちの人生とコミュニティを優先してくれたイエスの福音こそが、コミュニティ再生の唯一のカギです。イエスの愛と赦しの福音をあなたの心で受け入れ、変えられた心で、誰もが互いにコミュニティに仕えてみましょう。福音的なコミュニティ作りは一朝一夕では成し遂げられません。イエスにより頼み、聖霊の助けを得て、悔い改めと信仰をもって精力的に取り組んでいく必要があります。あなたの時間を隣人との相談のために与えたり、忙しい仕事の合間を縫って一緒に聖書を読んだり祈り合ったり、もちろん楽しいことを一緒にしたりする必要があります。何より福音の喜びを分かち合い、互いの弱さや重荷を負い合いましょう。

「互いの重荷を負い合いなさい。そうすればキリストの律法を成就することになります。」ガラテヤ人への手紙6章2節

「わたし(イエス)はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたの互いに愛し合いなさい。」 ヨハネ福音書13章34節

9月のメッセージシリーズ 「福音的コミュニティ」はコチラ

8月のメッセージシリーズ 「素晴らしい神」はコチラ

家族で参加したリトリートの恵み

グレースシティに家族で参加している昌代です。

これまでにリトリートには3回参加しましたが、今年も、家族5人で2018年のゴールデンウイークに行われた、軽井沢リトリートキャンプに参加しました。

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キャビン前にて

今回のテーマ「Rebuild-再建.回復から宣教へ」に沿って、どんなグループディスカッションが行われたか振り返ってみたいと思います。

今回のリトリートでは、旧約聖書「ヨナ書」が取り上げられました。4章しかない短いこのお話は、ヨナが大魚に飲み込まれるという、子供がワクワクするようなストーリーです。しかし大人の私たちにとっても、悔い改めの意義と神の赦し(ゆるし)、私たちの宣教の指名について知ることができる、とても味わい深い書でした。

セッション1ではヨナ書第1章と2章をグループでディスカッションしました。

私が今いる場所で宣教について考えるとき、一番の妨げは “怖れ” であるという事をシェアさせていただきました。ヨナも同じように怖れから主からの逃亡を試みます。ヨナへの親近感がわくところです。しかもヨナにとってニネベはイスラエルの敵国の首都でした。

私たちのグループでは、まだイエス様を知らない人へ宣教することの怖れがある一方、クリスチャン同士の関係の中でも、過去の辛い経験から怖れを簡単に払拭できずにいる苦しさも、分かち合いによって知ることができました。

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グループセッションが行われた教会

 

 

 

 

 

2日目のセッション2ではヨナ書3章から、ヨナが悔い改め宣教を始めた結果、どんなことが起きたかをみんなで分かち合いました。私たちは悔い改めによって、主が私たちの中で必ず働いてくださることの恵みを深く感謝する時間を持つことができました。

最終日セッション3では4章を学びました。ヨナの不完全さの記述の中で、私たち自身も深く探られました。本当にわたしたちは、罪だらけの者だと知らされます。しかし、主はその深い愛によって、御子イエス・キリストの十字架の尊い犠牲により、私たちの罪を許してくださいました。聖書で何度も何度も語られるイエス様の犠牲と復活のメッセージに、今回もやはり胸打たれ、大きな勇気を得ました。喜んで主に仕え、東京でグレースシティ教会のクリスチャンの家族とともに、宣教のために用いられたいと最後にグループで祈りました。

だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。

ルカ11章33-36節

軽井沢の爽やかな自然の中で、主の恵みを味わい分かち合うのは、格別の経験です。身の周りの雑多な物事をとりあえず都会に残し、兄弟姉妹と共に、魂が喜ぶような時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

わたしにとって何よりもありがたいのは、ボランティアスタッフのみなさんが、子供たちのためにプログラムを用意してくださっているので、安心してグループセッションに参加することができることです。夕方、キャビンに戻って子供たちが楽しそうにその日のことを話してくれる時間はいい思い出になりました。

軽井沢で秋のリトリート   9月15日(土)〜  17日(月祝)に開催!

慌ただしい日常を離れて、軽井沢の豊かな自然の中で、神様とまた教会の皆さんと分かち合いの時を過ごしませんか?

まだ、募集していますので、まだ迷っている方は、ぜひご参加ください。

詳しくはコチラ

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みんなに誕生日をお祝いしてもらいました♡
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旧軽井沢のクレープ♡美味しい

 

 

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パンも食べ歩き♡

 

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キャビンのダイニングにて

 

 

 

 

HOPE – お弁当プロジェクト

HOPEミニストリーの中のお弁当プロジェクトに参加しています、みねです。

お弁当プロジェクトでは、皇居外苑にいるホームレスの方にお弁当を差し入れしています。

現在は、お弁当と飲み物を60セットと、いくつかの日用品を用意して皇居外苑周辺を歩いて回っています。差し入れするだけの時もあれば、話を聞いたり、芝生に座って一緒にお弁当を食べたりする時もあります。最近は、お名前を教えていただくことが増えてきて、お名前を呼んで挨拶できるのが嬉しいです。


お弁当プロジェクトが始まったきっかけ

お弁当プロジェクトがスタートしたきっかけは、教会のイベントで東京駅周辺を歩いて東京のために祈るPrayer Walk(プレイヤーウォーク : 祈りの遠足)でホームレスの方の存在に気づいたことだそうです。


お弁当プロジェクトの目的  –  隣人を愛して、必要に応える

お弁当プロジェクトの目的は「隣人を愛して必要に応える」ということで、イエス様の性質が表されることです。イエス様は人との対話を通じ、それぞれの人の状況に応じて必要なことをご存知です。お弁当をもって話をしに出かけます。

あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

ヤコブの手紙2章16節


お弁当プロジェクトはどのように準備しているの?

私がお弁当プロジェクトに参加し始めたのは、2011年の大震災後からです。最初は月1回のプロジェクトでしたが、2014年から月2回になりました。

お弁当ってどうやって準備しているのかという事を時々質問されます。お弁当プロジェクト全体の準備についてご紹介したいと思います。思い浮かぶ言葉は、ヒト、モノ、話題、天気、お金です。


人 – ヒト

お弁当を必要としている方が何人いるのか、お弁当を渡すのを手伝って下さるボランティアが何人いるのか、当日に行ってみないとわかりません。参加するたびにドキドキしますが、教会に行くときの気持ちに近いかなと思います。何度もボランティアをして下さっている方々とは事前に連絡を取り合える環境に感謝し、神様に祈ってさらにどんな賜物をもった人を送って下さるのかに期待します。


物 – モノ  :  お弁当・飲み物・日用品の調達、それらをどのようにして集合場所まで運ぶか?

お弁当・飲み物・日用品の調達、それらをどのようにして集合場所まで運んでいるか? 正直、これにはリーダー達がかなりの時間と労力をかけて取り組んでいます。私個人は、神様に知恵を求めながら、リーダー達やボランティアの方々と段取りを工夫して実践していくことに面白さを感じます。東京の便利さを思うのもこの時です。これまでに、集合場所までお弁当を配達してくれるお弁当屋さんがあるとか、コンビニで飲み物を予約できることなどの知恵が与えられました。

2016年に、セカンドハーベスト・ジャパンとつながる事ができ、お弁当をご提供いただけるようになりました。

お弁当
セカンドハーベストからご提供いただいているお弁当
お弁当セット
配布用にお弁当と飲み物をセットにして、ボランティアが運びます

セカンドハーベスト・ジャパンへお弁当を受け取りに行き、飲み物と一緒に袋に詰めます。(写真上) 飲み物を電車やタクシーで運んだり、インターネット通販を利用したりとこれまで様々な工夫をしながら変遷してきました。

日用品は献品いただいたり、献金で購入したりしています。一人が預かると一度に運びこめないなど、必要に応じて集合場所に運ぶための課題があり、毎回、知恵と工夫を祈り求めています。


話題

ホームレスの方々と話しをしているうちに、困っていて解決したいことなどを耳にするときがあり「今度○○さんに会ったら、助けになる情報提供をしたい」と思うことが多くあります。たとえば、体調が悪いときに病院に行く方法や生活保護を受ける方法などです。

認定NPO法人ビッグイシュー基金が編集・事務局をしている路上脱出ガイドの存在を知ってからは、必要に応じて渡したりしていますが、自分でも読むと勉強になります。路上脱出ガイドに出ている様々なNPO法人のセミナーがあれば私自身も参加し、お弁当プロジェクトの他のリーダー達やボランティアの方々と情報共有をしています。

より多くの人が神様の愛を知り、福音が伝わる様にと祈りながら、時には、聖書の御言葉や、教会の礼拝の日程案内を印刷して持っていきます。ボランティアの方も時々自主的にその様な資料を持ってきてくださいます。


天気

天気の準備(?)というとおかしいですかね。雨でもお弁当プロジェクトは開催しますが、お弁当を配布する側も、受け取る側も大変です。お弁当プロジェクトの日が近づいてくると、天気予報をこまめに見ては、神様に祈りながら、お天気のことを相談しています。


お金

教会の献金の予算内におさまるよう、やりくりをして月単位で管理しています。お弁当を無償でご提供いただけるので、日用品を買う事ができるようになってきました。日用品を下調べして、違う日に買いにいくと安くなっているという経験もあり、神様の恵みを感じます。

できるだけ多くの方の必要に応えるために、衣類についてはできるだけ献品をお願いしています。靴下や靴などは、3ヶ月ほどで使い切ってしまうため、需要が高い日用品です。


 

お弁当プロジェクトに参加しながら、私が感じている事は、ヒトからヒトへモノを渡すだけの一方通行ではないということです。励まそうとして、逆に励まされます。準備が不十分でがっかりさせてしまったときは、神様の前で、みな罪人である事を再認識します。お弁当プロジェクトへの参加がきっかけの一つとなり、進むべき道を見つけたボランティアの方々もいます。会社と家の往復だけで、それまでは近所づきあいをしていなかった私が、日常的に「○○さんはお元気かな?」とホームレスの方々を思いめぐらすようになりました。

何年後かにこの活動がどうなっているとよいか、リーダー達と話し合うことがあります。

キーワードとして、カフェ、シェルター、聖書の学び、礼拝などが登場します。

これからも、様々な教会とつながりながら運営していけるようにと願いつつ、神様がどのように働いてくださるのか、期待しながら祈っています。

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。ヨシュア記 1章 9節


お弁当プロジェクトの開催日と継続的な必要

お弁当プロジェクトは毎月第一、第三土曜日に開催しています。

ボランティアとして参加して頂く場合は12時5分に丸ビル1F丸キューブに集合しています。お気軽にご参加ください。1回だけだと、よくわからないうちに終わってしまうかもしれませんが、3回もしくは、月1回のペースで行ってみるなど、継続的に参加していただくと、お弁当プロジェクトの意義を体験できるかもしれません。

お弁当プロジェクトのリーダーを募集しています。今、現在、お弁当プロジェクトのリーダーは2名だけですので、足りない状況です。ぜひ、お祈りください。

献金によりサポートしていただくこともできます。

ご不明な点がありましたら、こちらにご連絡ください。

詳細 : www.gracecitychurch.jp/obento

 

コミュニティの中の「あなたと私」

こんにちは、グレースシティの隼人です。

今回は長老のジェームス ・ライトさんが執筆してくださいました。

Hello This is Hayato from Grace City Church. Our elder James Write wrote our blog article this week. English follows after Japanese. Please enjoy!


コミュニティ(地域社会)の中の「あなたと私」

The U&I in Community

同僚の一人が私に対して、独り言をよく言うのはなぜかと尋ねたので、こう答えました、「専門家の助言が時々必要になるからです。」と。彼は苦笑いし、私は続けました「答えが見つからない時はいつもこうします」。

自分の内なるカウンセラーに問いかける事が、最も賢明だと考える人は少ないかもしれません。自分自身が成長するためには、話し合い、相談、分かち合い、そして互いに仕え合うことが不可欠です。私たちは結局、社会的な生き物なのです。

聖書の一番最初のページには「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」(創世記1:26-28)と書かれています。その次の箇所には「人が、ひとりでいるのは良くない。」(創世記2:18)とあります。三位一体という複雑な神学的議論はさておき、神ご自身がコミュニティの中に在り、神ご自身が三位一体の神なのです。愛は、神というご性質(神性)の中で分かち合われ、その愛が我々と共有され、神の愛の中で私たちが成長するには、コミュニティを経験する必要があります。神の一人子が流された血によって、我々が一つになることこそが神の目的なのです。お互いに協力しながら、神の中で一致した心を持つこと。

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」(ヨハネの福音書17:21,22)

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グレースシティチャーチ東京では信仰と仕事について考える機会が多くあります。日本企業が求める高い要求に応えながら、キリストを信じる者がどのように職場で用いられるのか。私たちの人生の中で、どれだけの負担になっているのかを分かち合います。日本のビジネスマンの日常はとてもストレスが多く、仕事や私生活だけでなく、人間関係の中でも厳しい要求を強いられることが多々あります。

ストレスを抱えた夫は、仕事に関する悩みでいっぱいの心で、子どもの世話や家事に負われて途方に暮れている妻のもとに帰ります。年齢を問わず、独身者は空虚な心で誰もいない部屋へ帰ることがあるでしょう。それでも、キリストは互いの重荷を負い合うようにと命じています。互いのために助け合い、他者の必要を満たすことによってストレスは軽減され、心は癒されるのです。人生に可能性を見出し、喜びが生まれます。何よりも、キリストの内にある神の愛が私たちに見いだされ、私たちを通して輝くのです。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書15:11-13

私の友人デイビッドが、神のコミュニティについて例え話をしてくれました。天国と地獄の住人達が、神の素晴らしい栄光に満ちた宴会用テーブルに座り食事している姿を思い描いてください。テーブルに座るすべての老若男女が手首をつながれています。右隣、左隣にいる人々の人生が、それぞれ互いに繋がっています。

地獄では他者に全く気を止めず、無我夢中で食べようとします。これにより、食べ物を口に運ぶ前に他の者が妨害し、最終的にはみんなが飢えてしまいます。

天国では、喜んで隣人同士が助け合いながら食べるので、一人一人が満たされます。私たちも自分の事しか考えない時、誰も必要な物を得ることができません。各人がコミュニティの一部として行動し、お互いを尊い存在、また創造主に似た者として、自分自身よりも大切に扱うなら、私たちの必要は満たされます。

神のコミュニティには目的があります。それは神様が私たちに愛を示す数多くの方法の一つです。私たちは社会的な生き物であり、コミュニティを必要とし、愛を切望しています。何にでも同じことが言えますが、コミュニティも一歩間違うと、偶像や部族主義と化してしまいます。しかし、正しく育むことができれば、素晴らしい大きな家族のような親密な存在になりえます。

現代社会では、仕事中心の人生になりがちなのは否めません。結局のところ、仕事によって関係を作り、ビジネスが成り立ち、繁栄しています。しかし、敢えて、自分の周りを見ながら、皆さんに考えて頂きたいのは「その人が何をしているか」が、「その人が何者なのか?」を決定することにはならないという事です。環境、家族、友人、そしてコミュニティは私たちの人格を形成するのに、職業よりも遥かに重要な役割を担っているのです。

仕事について語り合うのは勿論、重要ではありますが、コミュニティの形成に力を注ぐことも同じぐらい大切です。コミュニティこそが、神の一人子や私たちに対する神の愛を体験する事ができる場所であり、根本的な意味でも、人間が人間らしく生きることができる重要な要素なのです。

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The U&I in Community

“It is not good for Man to be alone…”

When my co-worker asked why I talk to myself so much I said, “Because sometimes I need expert advice.” He smirked and retorted, “I do it when I want someone interesting to talk to.”

Very few of us would ever consider our own counsel the wisest. We need to discuss, consult, share, and serve one another in order to grow. We are, after all, social creatures.

On the very first pages of the Bible God says, “Let US make man in OUR image.” (Gen. 1:26-28) and then says “it is not good for Man to be alone” (Gen. 2:18). Without going into a complicated theological discussion on the Trinity, God is community; He is Triune, Three in One. Love is shared within the Godhead, and for us as well, we must experience community to grow in God’s love. It is His purpose that through the life-blood of His Son, we become one. In each other and in Him.

“I pray they will be one, Father, just as you are in Me and I am in you. I pray that they also will be in Us, so that the world will believe that You sent Me. I’ve given them the glory that You gave Me so that they can be one just as We are One.” (John 17:21,22)

At Grace City Church Tokyo, we talk a lot about faith and work — how the life of a believer plays out in the workplace and the high demands that Japanese business ethics can put on us. The life of the Japanese businessman/woman can be very stressful and demanding in professional and personal life as well as to our relationships.

Stressed husbands bring home occupied minds to tired mothers who are at wit’s end with children and errands. Singles, young and old, go home to empty houses with empty hearts. Yet Christ bade us to carry one another’s burdens. In serving one another and meeting one another’s needs, stresses are relieved and hearts are healed. Lives open up and joy blossoms. Most of all, the love of God in Christ is seen in us and through us.

“I have told you these things so that My joy may be in you and your joy may be complete. This is My commandment, that you love one another as I have loved you. Greater love has no one than this, that he lay down his life for his friends.…” (John 15:11-13)

My friend, Dave, gave me an allegory of God’s community. Picture those in Heaven and those in Hell all seated around banquet tables full of the glory of God’s goodness, he said.

Every man, woman and child at each table is chained together at the wrist. Each person’s life undeniably bound to the ones to the right and the left of them.

In Hell, each person is ravenously trying to eat without a thought for anyone else. Because of this, no one is able to reach their own mouth, each person preventing the other from eating and thereby all starving.

In Heaven, everyone is intent to feed their neighbour, thus each person getting their fill.

When we think of only ourselves, no one gets what they need. When we act as community and treat one another as more important than ourselves; glorious beings, images made in the likeness of the One who created us, we are all fed.

There is purpose to God’s community. It is one of the many ways He chooses to show His love for us. We are social creatures; we need community, we crave it. As with all things, if treated wrongly it can become an idol and lead to tribalism. But nurtured, it becomes a larger, extended and wonderful family.

I know it’s easy in modern society for lives to revolve around one’s job. After all, it is how we associate, do business and prosper. But I dare us to look at the lives in motion around us and notice that what we do is not who we are. Environment, families, friends, and community play a far more integral part in our make up than our occupation. We should talk about our occupations, yes, but we must be occupied with community. Community is how we experience God’s love for His Son and for us. And even at the most base level, it is how we become fully human.

聖書的観点から同性愛について : ディスカッション

聖書的観点から同性愛について

Hello. This is Momoko from Grace City. We had great sharing experiences with the London Team on “The Frustrations of Life” in April. We had a discussion event about “what the bible says about same sex attraction”? The title was What happens when life doesn’t make sense? English Life Story follows after Japanese.

こんにちは。グレースシティのMOMOKOです。

4月の半ばに英国ロンドンから短期宣教チームが来日し、「人生のフラストレーション」という大きなテーマで様々な課題について考える機会がありました。

私たちは常にフラストレーションを感じていますが、旧約聖書に登場するヨセフの人生を通して沢山の事を学びました。

厳しい条件の中で神が働かれた時に、その状況が最大限に生かされて、私たちの想像を絶する結果になる事があります。そもそも、何故わたしたちはフラストレーションを感じることが多々あるのでしょうか?

理想と現実の違い、自分の思い通りにならない毎日、体調不良、苦しみ、葛藤、心に刻まれた様々な傷跡…

多くの人は自分の問題を見て見ぬふりをしたり、諦めてしまったりする事もあると思います。

去る4月21日(土)  に「人生の不条理」というテーマで、聖書的観点から同性愛についてディスカッションをする機会がありました。ロンドンチームのメンバーの一人がライフストーリーを分かち合ってくださり、同性愛について語ってくださいました。

同性に惹かれるという状況について、聖書的観点から多くの興味深い話し合いをする事ができましたので、レポートさせて頂きます。(長文失礼いたします!)


 

私は、12歳の時にクリスチャンになりました。

その頃から男性に惹かれる傾向があったのかもしれませんが、ハッキリとそうだと確信したのは、22歳の頃でした。

25歳の時に初めてクリスチャンの友人に自分が同性に惹かれるという事を告白しました。

結論から言うと、聖書にある神の言葉を見ると、同性に惹かれたとしても、同性である男性とセックスをしたり、性的な欲求を満たすために男性と関係を持つことは良くないと書いてあります。これは、大勢の人が議論している事であり、大勢の人が理解したり受け入れたくないと思っている事です。

聖書を開くと、イエスは私たちを愛しているが故に、誰もが “心地好くない” と感じる応答をしています。

それには、深い理由があります。

私は、10年間クリスチャンとして生活してきて、神の言葉が真実であると信じていたので、聖書がどの様に語っているかを調べる事にしました。

同性の人と付き合おうかと迷った時に、どのような選択をして、どのように決断したのかを、シェアします。

あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。マタイ7章11節

イエスは、あなたがたは、”悪いもの”であるとハッキリと言っています。

聖書は「良い人」であっても誰もが罪人であると断言しているので、多くの人が憤慨し、ついていけなくてガッカリしてしまいます。

イエスは、人がどのような性質を持っているかを明らかにするために、この様な言い方をしているのですが、真実を突きつけられたり、自分の思惑と違うことを言われると、人は嫌な気分になりますよね。

例を挙げると…

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」マルコ10章21節

お金持ちで、社会的な地位ある人が、イエスからこう言われてガッカリして去って行きました。イエスは、普通に堅実に生きている人、弟子達、家族にでさえ厳しい言葉をかけています。

マルコ10章21節を見ると、イエスは、このお金持ちを愛していましたが、心地好くない応え方をしています。

なぜなら、自分の得になるもの、自分の支えとなっているもの全て喪失する事によって、自分自身を低くして、神の前に悔い改め、神に立ち返ることを促しているからです。

ヨハネの福音書6章には、イエスが人々の事を愛しているが故に、一時の空腹を満たすだけの奇跡を行うのではなく、もっと大きな神の計画である永遠の必要を満たす ”いのちのパン” について教えました。一時の空腹を満たすよりも永遠のいのちを受け取るために、イエスに依り頼むように勧めました。

22歳の時に、自分が同性愛者だとハッキリと自覚し、聖書を通してイエスがハッキリと自分に語りかけているのがわかりました。

イエスは自分を愛しており、恵みと憐れみに満ちた眼差しで、セックスと結婚に関して “心地の良くない” 真理を明らかにしました。

根本的に、イエスは、私たち全ての人を性的に “正しい”とは言っていません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。マタイの福音書5章28節

他の人を性的な対象として見た事がないという人が何人いるでしょうか?

マルコの福音書7章には、性的に不品行、不道徳な行為は、悪だと書かれています。

これは、どういう意味だと思いますか?

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコ7章20節〜23節

マルコ10章6節〜9節では、イエスが離婚について問われたときに、最初に神が創造された結婚に関する旧約聖書の記述を引用しました。

しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、 ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。マルコ10章6節〜9節

イエスは、創世記というイエスが生まれた少なくとも1,500年以上は前に書かれた結婚の定義を引用しながら、離婚について説明しています。

結婚が公的なものであり、一生をかけた1対1の男女のコミットメントであると言っているので、それ以外の性的な関係もしくは性的な刺激を助長させる行為は、すべて不品行であると言っています。ユダヤ人であるイエスは創世記に書かれている結婚の定義をそう説明しました。

そして22歳であった私は、自分に問いました。

「私も、イエスの様に、この2,000年以上前に語られた結婚に関する定義を信じるべきだろうか?これを真理だと受け入れるのであれば、私達は皆が悪いものであり、この世界は堕落して、性的なモラルや道徳は完全に壊れてしまっているのではないだろうか?」

私たちクリスチャンは、全員、同性愛者も含めて究極的には、神の言葉を信頼して、実行するかどうかが問われているのです。

22歳の時に、耳が痛いと感じながらも、心の底では神は良い方であり、神の言葉は信用に値すると信じていました。

イエス自身もルカの福音書4章にあるように試みに合われて、何百年も前に書かれた旧約聖書の言葉を引用して、誘惑に勝利しました。

知恵と知識は、イエスの中に見いだせるという事は、常にリマインドさせられています。今回、ロンドンチームの毎朝のミーティングではコロサイ人への手紙を読んでいましたが、自分たちへのリマインドとなりました。

20代前半から、私は聖書の言葉に惹き付けられていきました。

神が創造された結婚は、数カ所だけではなく、聖書のあらゆる話に刻まれています。

神が男女を平等に創造した理由は、二人の交際を通して子孫を増やすためだけではありません。

神が情熱的に人々を愛しているという事を表すためです。神は人々と永遠の関係を結びたいと招いておられます。

神は結婚における男女のセックスを、私たちが天国に行きたいと思わせるために創造されました。

神と一緒に住まうことの素晴らしさを表すためにです。

男女の差があるように、神と私たちには、違いがありますが、関係を築くという意味では共通点があります。

イエスは花婿として、終わりの時に出会う花嫁と呼ばれる教会を待っています。

神は神を愛する人々と一緒になる時が来るのです。

聖書のあらゆる部分で、セックスは一対一の男女の結婚関係のために与えられているという事が語られているのはそのためです。

結婚外のセックスが不品行であり、同性愛のセックスが良くないと書いてあるのは、一カ所だけではありません。

旧約聖書に登場する預言者は、性的な姦淫の罪だけでなく、偶像礼拝(異教の神を礼拝すること)を霊的な姦淫と呼んでいます。

様々な聖書箇所を引用して説明
聖書の最初と最後に出てくる結婚に関する記述  |  創世記1章、2章、黙示録21章、22章
異性愛でも、神に従わなかったケース  |  エゼキエル16章、ホセア書1〜3章
イエス・キリストと教会の関係は、結婚関係を表している | ヨハネ2章、3章、4章  |   エペソ5章

第一コリント人への手紙では、使徒パウロは、教会が 性的に” 正しくない人々” で満ちているという言い方をしています。

ここには同性愛も異性愛も含まれています。イエスはこの様な人々に恵みと憐れみに満ちた眼差しで近づき、性的に正しくない私たちに触れてくださり、清めてくださるのです。この罪のために、イエスは十字架にかかり、赦してくださいました。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

イエスの厳しい教えを聞いたときに、つまり、同性とセックスをする事ができないという事を聞いても落胆したり、絶望しなくていいのです。

聖書に登場する金持ちは、イエスの教えに落胆しましたが、私は同じようには絶望しませんでした。イエスがご自身の命を私たちのために捧げてくださったからです。

イエスを信じて、罪を罪だと認めて、悔い改めたら、その罪は赦されて神の家族に迎え入れられます。

サマリヤの女が体験した様な事もあり得るのです。

ヨハネ4章  : イエスとサマリヤの女とのやりとり

多くの人から、同性愛者として生まれた自分自身を否定しているのでは?と言われることがあります。

確かに自分は、生まれつきの同性愛者かもしれません。もしかしたら環境が影響したのかも?正直言って、どうしてそうなったのかは、分かりません。どうして、そうなったのかという事が問題ではないのです。原因を追求する事に、こだわりすぎると論点がずれてしまいます。

なぜなら、人間はみんな罪人だからです。イエスは私たちが皆 ”悪いもの” であると評価しています。つまり、神の目から見ると誰一人として正しくはないのです。良い事にでさえも、悪い動機や悪い思いが含まれている事があります。

聖書の “悪いもの” の定義を見ると、神の言葉を無視した状態が ”悪い” と定義されています。

エデンの園でアダムとエバが体験した事もそうです。神の言ったことを信頼せず、神の言葉を無視した結果が罪となりました。

神の言葉を無視したことがキッカケで、人類は堕落してしまったのです。

私たちは、様々な部分で堕落しています。性的な問題だけでなく、あらゆる分野で堕落しています。貪欲、嘘、偽り、神よりもお金に頼って、怒りの心を抱えています。ですから、同性愛のセックスが世界中で一番堕落しているという訳ではありません。全ての堕落が、神の言葉を無視した結果として表れているのです。私たちは、みんな、同様に罪人なのです。

同性に惹かれる同性愛者にとって、同性愛の性的関係を否定することはフェアじゃないと思われる方もいるかもしれません。

しかし、聖書には、私たちは罪人として生まれたと書いてあり、自分が抱えている罪に対して自分が責任を持たなければならないのです。

自分が両親から良い性格や悪い性格を受け継いだら、それに対して、自分が責任を持たなければならないのと同じようにアダムとエバから受け継いだ、神の言葉を無視する性質である罪に対する責任を負う必要があるのです。

[ Q & A タイム ]

質問 : 同性愛の性的関係を持てないことで、満たされないと感じることがありませんか?

結婚関係にある性的関係だけが、自分を満たすものであるというのは、大きな思い込みです。幸いな事に、聖書を通してイエスが確信を与えてくれています。

御言葉を通して、教会の家族を通して、神との関係における 一過性の満たしと”永遠の” 満たしを体験しています。

人は神のかたちに似せて造られて、神と関係を持つように創造されました。父、御子の関係に招き入れられたのは、最高のプレゼントです。

聖書の御言葉に耳を傾けると、神は御言葉を通して、自分の祈りを通して語ってくださいます。

子どもが親の言葉を真似していうように、父なる神に素晴らしい御言葉を返します。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。詩編1篇1-3節
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。詩篇23篇

ですから、本当に満たされない時は、私が神の言葉を聞いていない時です。

神と教会の関係を見ても言えますが、自分が必要としている以上の素晴らしい”関係”をキリストと教会の中で体験しています。

結婚は人は一人でいるのは良くない、という理由で創造されました。家族の始まりです。

新約聖書では、結婚の焦点が、血のつながった家族から、キリストの家族へと移行しています。

結婚をしていなくても、神の家族の中で、関係を築くことができ、大勢の人のために仕えることができるのです。

イエス・キリストも使徒パウロも独身でしたが、大勢の仲間や友達がいました。

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。マルコ10章29節〜30節

ガラテヤ書には、より多くの人に仕えるために結婚をしないという選択があるという事が書かれています。

それは、お互いに重荷を負い合い、助け合う必要があるからです。

それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。ガラテヤ2章2節

私が同性愛で葛藤しているというという事をオープンに話をすると、他の人が自分の葛藤についてオープンに話してくれるようになって、教会の雰囲気が変わりました。罪を罪だと認めて、周りの人も告白しやすくなり、悔い改めへと導かれます。

質問 : 今でも、同性に惹かれ、誘惑に感じることはありますか?それに対して、どう対処していますか?

あります。常に悔い改める必要があります。同性愛であるが故に、神をもっと信頼しなければならないという状況におかれていますが、それは、他の人がもっと神を信頼しなければならないと、悔い改めるキッカケや助けにもなります。自分の弱さを自覚しています。同性愛であるが故に、プライドは崩され、自分が正しいと思える全ての要素が打ち砕かれていますが、これが神に向かい、神の支えを求める動機になります。

神から離れている事を悔い改め、御言葉の中でキリストとの関係が養われる事に感謝しています。

神に立ち返り、悔い改め、周りに仕える事を通して、神との関係や人との健全な関係が与えられるのは、幸いだと感じています。

質問 : 本当の意味では、幸せになれないのでは?

私には、何人か同性愛のクリスチャンの友達がいます。

同性愛の関係を持つことが、自分たちの幸せに繋がると思い、イエスに従うことを辞めてしまいました。自分達のフィーリング、感情、感覚、つまりHAPPINESS(幸せ)を優先するがために、同性愛のセックスに同意していない聖書を読むことを辞めて、イエスを捨ててしまいました。リベラル(何でも良いと考える)派のクリスチャンでさえ、聖書を文字通り読むと、ゲイのセックスは良くないと書いてあると認めています。ですから、今現在の自分の幸せを求めている人たちが、イエスに従うことを辞めてしまう事に驚かなくなりました。イエス自身、このことを”刈り取り”のたとえで、話をしています。

クリスチャンの人生は、幸せを追い求めることではありません。神を追い求めて生きる事なのです。

世の中では、個人の幸せ、快適さ、その他の自分を満たしてくれるものを追い求めることがよい良い事だと信じられています。

「自分の十字架を負って、私について来なさい。」というイエスの言葉は、敢えて無視して生きています。

なぜなら、それには、ある程度の犠牲が伴うからです。

楽ではありませんし、イエスはこう言っています。

「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ7章14節

ですから、教会は、個人の幸せではなく、神を信じて、神を追い求める事をチャレンジしていかなければなりません。

あなたが同性愛の人にセックスを辞める必要があると言うのであれば、あなた自身は、神を求めて自分のどの分野を捧げる準備ができているでしょうか?

お金  :   教会が教会として機能していくための、金銭的なサポートを捧げる?

時間、仕事、キャリア   :  コミュニティグループや周りの人に仕えるための時間を捧げる?

自分の好きな場所に行く余暇のホリデー :  自分の好きなことに使っている分を、神学生やインターンを支える事に捧げられる余地がある?

結婚している人 :  独身の人たちを家に招いて、家族の暖かさを体験する時間を提供できる?

結婚したいという祈り : 自分の幸せを追い求めて結婚したいと願う代わりに、神による満たしを追い求め、イエスの様に造りかえてくださいという祈りを捧げる?

本当の幸せは、神との関係の中に見いだせるものです。結婚関係の中に見いだせるものではありません。

教会が、結婚の中に安定を見いだせるという言い方をする事がありますが、結婚している人も、神を追い求める必要があります。

独身であっても、神との満たされた関係を見いだす事ができるのです。神からの満たしを体験するために、結婚する必要はないのです。

教会の教えの中に、独身者に対する積極的かつ肯定的な見方が必要ですし、より良い関係を築く事を促し、励ます必要があるのです。

私は、イエスの為に犠牲を払って生活している人を見ると、とても励まされます。

沢山のお金を持っていても、安いホリデーに敢えて行って、宣教のために多くのお金を捧げている人。教会に捧げる金額に加えて、節約しながら月々10万円を捧げて、国内外における宣教活動をサポートしている人。自分の生活は節約して、貧しいクリスチャンを支えるために月々10万円を捧げている人。自分のために時間やお金を使うのではなく、自分にはメリットのない周りの人のために時間やお金を捧げている人。勇気を出して、職場で福音を伝えたが故に、周りの人から嫌がらせを受けている人。

質問 : 若い人にセックスをしてはいけないというのは、ちょっと酷なのでは? 同性愛を認めない事が、若者の自殺につながるのでは?

自殺の問題は、性的な問題以上の問題だと思っています。同性愛者として、オープンにして生活していても、様々な理由で鬱になっています。

同性愛者でも、そうでない人でも様々な理由で自殺をしています。

成功者と言われている人でさえ自殺します。

むしろ、先ほど引用した第一コリント人への手紙6章にあるように、神の国に入ることができない事を知っていても、伝えない事の方が酷なのでは?と思います。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

[ 参加した人達の感想 ]

● 私はイギリスに住んで、クリスチャンの方の家でホームステイをしていましたが、確かにお金を持っていても、そうでないかの様に節約した生活をしながら、安いホリデーを選んで、宣教の働きをサポートしていました。他の教会では、同性愛を認めているところもありますが、私が行っていたSt.Helen’s Bishopsgate Churchは、同性愛者を受け入れても、同性愛の関係は認めない事が古い教えの様な気がしていましたが、今回、色々聞くことができて良かったです。

● 同性愛の友人が、同性愛を肯定している教会に行きましたが、結局、聖書の解釈がおかしい事に本人も納得がいかない様で不満気でした。聖書を断片的にしか読まないので、都合の良い解釈をするという事に疑問を感じてしまう様です。

● 日本だと同性愛であるという事をなかなかオープンにできないので、私の周りには同性愛の知り合いがいません。同性愛に関して、先天性の場合など、どう捉えたら良いかわからなかったのですが、全てが同じ罪、つまり、同性愛だけが最悪な罪なのではなく、親から受け継いだ”怒り”の感情を取り扱うのと同様に、神から離れている状態が罪だと聞いて、納得できた気がします。安心しました。

● 私の周りには、沢山の同性愛の友達がいます。同性愛であってもそうでなくても、「神の国を相続することができない」可能性を、周りの友達に正直に伝えていない事を、改めて考えさせられました。聖書の福音を分かち合うのは、自分の罪を認めることから始まるので、もっと正直になる必要があるのと、周りの人への愛が足りないと思わさせられました。

● 私たちは、同性愛のカップルです。同性愛であるが故に若い自殺者がいる事に心を痛めています。


 

この様な2時間のディスカッションはあっという間に終わりました。今回ライフストーリーを分かち合ってくださった方は、私にとって愛すべき大切な友人の一人です。

友人として、クリスチャンとして、神の家族として、彼の事を心から尊敬しています。性的な事は、話しづらいトピックスですし、恥ずかしいと思える事でもあるのに、オープンに話してくれた事に心から感謝しています。

誰にでも多かれ少なかれ、弱さがありますし、それぞれに長所、短所、様々な傾向があります。

失敗する事は沢山ありますし、あまり良くないと思える状況下に置かれる事もあります。周囲からは「ダメな人」だとレッテルを貼られる可能性は、いくつかの条件が揃ってしまうだけで、いくらでもあります。

私たちは、他の人から批判されたり、非難されたりしますが、イエスは、私たちに向かって「私のもとに来なさい」と語りかけてくださっているのです。大勢の人が沢山の重荷を負って生きている事をイエスは知っているのです。

最後に、ナンセンスなのは、百も承知ですけれど…(^^;) 地球の重力が重たい理由は、人々の罪の大きさが重たいからなのではないか?と思うことがよくあります。科学的には、正しくないのですが、私の頭の中にはそのようなイメージが浮かびます。

私たちの性質、傷、根本的な傾向が肩に重くのしかかるときに、疑心暗鬼になって人を信じられなくなったりもします。

イエスは、聖書を通して、今もなお私たちに語りかけてくださっているので、私たちが、聖書の御言葉によって応答していく事ができるのは、神との関係を取り戻す最大のチャンスなのかもしれません。

長いレポートとなりましたが、読んでくださりありがとうございました!

What happens when life doesn’t make sense?

“What the bible says about same sex attraction”?

Introduction

I became a Christian aged 12.

Looking back, I can see I was attracted to men from around the same age.

Finally concluded I was exclusively attracted to guys aged around 22.

Told first person about it aged 25 – friend at church.

Now many people in my church know.

I believe that even though I’m attracted to men, God’s Word, the Bible, tells me I shouldn’t have sex or seek any form of sexual stimulation from men.

That obviously is a very controversial statement for many people to understand and accept.

When I was 22 and finally realised I was attracted to guys and could potentially try dating them, how did I decide whether I would do so or not?

I’d been a Christian for 10 years and believed God’s Word was true. So I knew I had to turn to the Bible.

As I turned to the Bible, I was very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, says things that make people uncomfortable – Jesus’ words provoke strong reactions – some love them but others hate them.

So for example, I knew that Jesus says that people are “evil” (eg Matthew 7:11).

And he does this on purpose, to expose what people are like – both the powerful and the weak.

An example of a powerful person being upset by God’s Word is the rich man in Mark 10:22. He goes away sad and disheartened because he doesn’t want to obey Jesus and sell his possessions.

Jesus criticises ordinary people too – his own family, the disciples.

In John 4, the Samaritan woman, an outcast in her society because of her multiple marriages, is shocked when Jesus firmly exposes her false religious beliefs and her sexual failure.

He tells weak, hungry people who beg him for bread in John 6 that he won’t give them any.

But remember, the reason Jesus makes people uncomfortable is because he loves them (Mark 10:21). He makes them feel uncomfortable and despairing for their benefit. So that they’ll repent and turn to him. For the people in John 6, Jesus loves them so much he wants them to see he has a bigger agenda of satisfying their eternal needs, not meeting their immediate hunger. He wants them to depend on him for eternal life more than food.

So as a 22 year old who had finally concluded I was same sex attracted, as I turned to the Bible, I was also very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, teaches uncomfortable truths about sex and marriage

Essentially, Jesus exposes that none of us is sexually “straight”

In Matthew 5:28, lusting after a woman is the same as adultery. How many people can honestly say they have never listed after someone?

In Mark 7, Jesus says that sexual immorality is evil. And what does he mean by that? Well, when questioned about divorce in Mark 10:6-9, he uses a definition of marriage written at least 1500 years before he lived, in Genesis. He says that marriage is a public, lifelong commitment between one man and one woman – meaning that any form of sexual activity or stimulation outside of that framework is sexual immorality. That is what a Jew like Jesus at that time would have believed, based on Genesis.

And I guess the question for me aged 22 and for of us is “Will we too, like Jesus, believe words that were spoken nearly 2000 years ago to define marriage?”

And will we then admit that, because of the fall, because we are all evil, all of us have fractured sexualities?

Similarly, the challenge we face as Christians when dealing with same sex attraction is ultimately – will we accept the trustworthiness of God’s Word?

At the aged of 22, I knew deep down that God is good and that his words are trustworthy, even if hard to hear. I knew Jesus was prepared to trust words written hundreds of years before when he was tempted by the devil in Luke 4. I also knew that all wisdom and knowledge is found in Jesus – we’ve been reminding ourselves of that on the London Team this week in Colossians.

Since my early 20s, as I’ve dug deep into the Bible more and more, I’ve realised that God’s marriage blueprint is not just found in a few verses, but that it’s woven into the whole Bible story.

The reason God created man and woman as equal but different sexual beings was not primarily for making babies or for companionship, but to help everyone understand how passionately God loves his people. To show us that God wants to marry his people forever.God gave sex in a marriage between a man and a woman to make us want to go to heaven. To illustrate just how passionately God wants us to live with him forever.

There is a difference between God and us, just as there’s a difference between man and woman – yet both can be brought together in passionate relationship. It’s as if Jesus looks down the aisle at his bride, the church, at the end of time, and smiles. God will be with his people. If you redefine marriage as between two men or two women then you imply there’s essentially no difference between God and his people. But thee is a difference.

That’s why a marriage between one man and one woman as a picture of God eagerly desiring his people appears throughout the Bible. So the case against gay sex is not just a matter of a few verses.

Examples:

Marriage at beginning and end of the Bible (Genesis 1 and 2 and Revelation 21 and 22).

Heterosexual marriage shows how terrible it is for people to be unfaithful to God when he loves them so much (Ezekiel 16 and Hosea 1-3).

Old Testament prophets often speak of spiritual adultery.

Song of Songs is about God’s passionate love for his people as illustrated by sex and marriage.

Jesus is described as the bridegroom in John 2,3 and 4.

Paul in Ephesians 5 quotes Genesis to say marriage is a picture of a relationship between Christ and the church.

I also saw in 1 Corinthians 6:9-11 that the church has always been full of people who weren’t sexually straight – people who had been sexually immoral heterosexually  and homosexually. Jesus has by his grace washed, sanctified and justified all of us who aren’t sexually straight who are trusting him for forgiveness.

So I don’t need to despair when I hear Jesus’ hard teaching that I can’t have sex with a man. I may be like the rich ruler and initially be sad about Jesus’ teaching, but then I see that Jesus hasn’t left me to despair. He’s given his life for me. If I repent and believe that, then I’m welcomed into his family, the church.

Just like the Samaritan woman, I get married permanently, forever, to Jesus when I turn to him, and can be a member of God’s chosen people.

Questions : But many say, aren’t you denying who you are? Aren’t you made that way?

Yes, from my perspective, I was probably born gay – environmental factors may have played a role, but I don’t know for sure. The cause doesn’t really matter.

Because I know that Jesus assessment of all of us is that we are born evil. That even the good things we do are to some extent tainted with evil motives. And when I look at the Bible’s definition of evil, I see that ultimately it means rejecting God’s word. That’s what happened in the Garden of Eden when Adam and Eve didn’t trust what God said. And that rejection of God’s Word means that humanity is broken. One area of our brokenness is our sexuality, but it includes all other sins too – greed, lying, cheating, looking to money rather than God for my security, being angry. Gay sex is not an act that is worse than others. All acts that stem for our rejection of God are equally sinful.

We may think it isn’t fair that some people are attracted to people of the same sex. But the Bible says that even though we’re born sinners, we are still responsible. We have no problem saying that people who inherit good or bad characteristics from their parents are still responsible for what they do. Similarly, we inherent sin from Adam and are held responsible.

Questions : But you might still think I’m starving myself. That I can’t be truly satisfied or happy unless I’m in a gay relationship. 

That makes a huge assumption that marriage and sex are where we find intimacy.

Thankfully, the Bible assures me that because I have Jesus and my church family, I have all the intimacy I could ever need.

Because I’m in Jesus’ family, I enjoy a rich feast of intimacy both now and in eternity.

I was created in God’s image to relate to him. The Father-Son relationship is a precious gift. In fact the language used to describe the relationship between Adam and his son Seth deliberately echoes the relationship God has with us (“in his image”).

The Father-Son relationship is something I already have in Jesus. John 1 says I have become a child of God. My relationship with God that was destroyed at the Fall has been restored. I’ve been welcomed home forever by God’s grace.

I experience that as I listen to God speak to me in the Bible and as I respond to him in prayer. As I repeat back to my Father the wonderful words he has given to me (just as children repeat the words of their parents). Psalm 1:1-3.

Psalm 23 tells me that because the Lord is my Shepherd, I lack nothing. I am not starving myself by missing out on a sexual relationship.

The only way I can starve myself is by not listening to God’s Word.

God has also given me my church family so that I have all the intimacy I’ll ever need.

Genesis 2 tells us that marriage was created as it was not good for man to be alone. The result of marriage is families – and in the New Testament, the focus moves off the biological family to the church family. In Christ, I have been given a church family (Mark 10:29-30). This is where I can form a whole range of intimate relationships. I don’t need exclusive friendships – I can serve lots and lots of people as a friend. Jesus and Paul were both single and had a huge number of friends.

The way I experience intimacy in these friendships is to share intimacies. We carry the burdens and struggles of each other. Galatians 2:2.

Same sex attracted people can change church culture. As I have opened up about my struggles, others have opened up about where they find it hard to live sacrificially for Jesus.

I’m thankful God has used my sexuality to drive me to depend on him more and encourage others to do the same. I know I’m weak and vulnerable. This shatters my pride and self-righteousness and causes me to cry out to him to sustain me. I want others to know that intimacy too. It’s not easy – so I often need to repent. To repent of distancing myself from God and his Word and growing the intimacy that I already have in Christ.

I know that’s hard in Japan but I would strongly encourage you to do it. I have received tremendous support from friends at St Helen’s (people in my small group and some who are same sex attracted too) and I think it would be great if same sex attracted people at Grace City could be comfortable about discussing sexual issues they are struggling with, so that the burden and struggle can be shared. In the Western church, Christians only started doing this once the gay agenda was being debated in the public arena. In Japan, the church could take the lead here. It’s not being discussed in society, so wouldn’t it be great if people started talking about it in the church and showing Japanese society how true intimacy is found? It is possible – I know of a Japanese guy who is same sex attracted in Hokkaido and yet has decided to repent of sleeping with men and follow Jesus.

I am also involved with families at church in London. Get to be a dad to loads of kids – read stories, watch films, have meals. I got to look after Momoko’s daughter in London so Momoko could attend a Bible study for non-Christian Japanese people in London.

Questions : But surely you can’t really be happy?

[I’ve had a few same sex attracted Christian friends who’ve stopped following Jesus because they thought that a gay relationship would make them happy – they’ve abandoned Jesus for this reason, based on feelings mainly, because they’ve found it very hard to make the Bible say that gay sex is ok. Even many liberal scholars say the plain reading of the text is clear – that gay sex is clearly prohibited in the Bible. In the end, I’m not surprised that the attraction of immediate happiness causes some people to stop following Jesus though. Jesus himself said this would happen in the parable of the sower.]

The Christian life is not about happiness. Its about Godliness. Yet in our culture we idolise personal comfort and happiness above everything else. We ignore the fact that Jesus says we must take up our cross and follow Him. It involved sacrifice. It is hard. Jesus himself says that the way his kingdom is hard and few are those who find it.

So the church does need to be challenged to pursue Godliness above happiness. If you’re expecting same sex attracted people in the church to give up gay sex, then are you too prepared to give up what you might be pursuing at the expense of Godliness? Money to support the work of Grace City? A good career so you have more time to serve your community group? A nice holiday so that you have more money to support the SALT team? If you’re married, are you inviting single people round to your home regularly to share in family life? Are you praying that you would get married so you’ll be happy or are you asking God to make you more Godly and content and more like the Lord Jesus whether you get married or not? True happiness is found in Godliness not marriage. So married people need to pursue Godliness. The church has often promoted marriage as the answer to everything. It isn’t. Godliness is. And you can be Godly as a single person. So positive church teaching about singleness and friendship is urgently needed.

I am so encouraged when I hear that people who aren’t same sex attracted are living sacrificially for Jesus. I know that they too are giving up something they really want to do (like me staying celibate when I really want to have a sexual relationship with a guy).  Examples:

Christians with lots of money having cheap holidays so they can give more money for gospel work.

I knew someone who once gave 1000 US dollars a month to help a Christian worker overseas. That was on top of the money he was giving to his own church every month.

I know someone who for many years has been helping a poorer Christian in his church by paying 1000 US dollars per year into the poorer Christian’s pension fund.

I’ve heard of a person being mocked in the workplace for taking the brave step to speak openly about Jesus in their office.

Questions : Are’t we being cruel? If we tell young people they can’t have sex with people if the same sex, doesn’t that lead to suicide?

I think it’s probably more complicated than just sexuality driving people to suicide. There are also many gay people who are completely “out”, yet utterly depressed for a whole number of other reasons. And we know that even successful people commit suicide.

I could equally look at 1 Corinthians 6 and say, “aren’t we being cruel to young people if we tell them that gay sex is OK, because that will mean they miss out on living without God for eternity?”

Thank you for reading.

The London (and Singapore!) Team’s 2018 Visit ロンドンチーム来日!

[ ロンドンチームからご挨拶 ]

Greetings from the London Team : English follows after Japanese

みなさん、こんにちは。ロンドンチームのマークです。

今回は6名(ロンドンから5名、シンガポールから1名参加)のチームで日本に行き、短期の宣教活動を行います。グレースシティチャーチ東京の皆さんと一緒に、主のために働くことができるのを楽しみにしています。

「ロンドンチーム」と呼ばれているこのチームは、年一度、春に日本を訪れています。グレースシティチャーチ東京を訪問するようになってから、かれこれ数年が経ちました。

メンバーの中には、過去に出張や旅行、短期宣教チームとして来日した事があるメンバーと初来日というメンバーがいます。メンバーのプロフィールはコチラ

毎回、新しい出会いがあり、日本の兄弟姉妹達と再会し、東京の仲間達と一緒にイエスの福音を分かち合う事ができるのは嬉しい事です。

今年は一週間にわたる「人生のフラストレーション」というミッションウィークをサポートをしてほしいというリクエストがありました。今回のミッションウィークはこれまでに比べて、スケールが大きいですが、各コミュニティグループが少なくとも一つのトークイベントを主催し、企画していると聞いて励まされています。

私たちは、これまでイースター(復活祭)の時期に日本を訪問していたのですが、年度末と年度初めの時期をさけた方が良いという事で、敢えてイースターの2週間後(4月の3週目)という時期にスケジュールを組みました。タイミングとしては、皆さんにとってイベントに参加しやすい時期だという事を想定していますので、お知り合いの方々をぜひイベントに誘って頂けたらと願っています。

福音を恥ずかしがる必要はありません。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。ローマ人への手紙 1章16節

ぜひ、勇気を出してご家族、友達、同僚の方を誘ってイベントに誘って参加してください。たとえ、断られたとしても、心配しないでください。神は全ての状況を把握してくださっているので、失敗ではありません。

神が最高の主権者である事実と、この世界を救うための計画は今回、取り扱われる「ヨセフ物語」を通しても見ることができます。このミッションウィークで皆さんは私たちと一緒にヨセフの人生を探求します。グレースシティチャーチ東京に行っている方は、もうすでに創世記に書かれているヨセフの人生に関する聖書の箇所を学んでいると聞きました。ミッションウィークのディスカッションのテーマや課題に関して何かしら耳にしているという事ですので、その準備ができていれば、参加される方々の質問に答える備えもあるという事ですね。

各イベントやランチタイムミーティングで私たちの証しや体験談を分かち合ってほしいと依頼された事も嬉しく思っています。この一週間を通して、この世界における神の福音の計画、誰でも変わる事ができるチャンスがあるという事実を知ることができるでしょう。神は私たちに働いて、誠実になる力を与えてくださり、プライドや誘惑を取り扱ってくださいます。セルフイメージや自分のアイデンティティ、仕事、成功するとはどういう事かに関しての見方も神は変革してくださいます。この課題は、多くの人がどうしたら良いか分からないと思っている課題ではないでしょうか?

ですから、皆さん、ぜひ私たちと一緒にお祈りください。主が日本におられる多くの方々に触れてくださるように。トークやディスカッションイベントに参加する事ができ、人生の問題の解決のためには、イエスの赦しが必要であると目が開かれるように。神の新しいコミュニティの中に入り、神のご計画に沿って生きて行きたいと思うことができるように。

何か事情があって、イベントに来られなかった方とは、私たちが個人的に会えるかもしれません。お知り合いの方をロンドンチームに紹介したいと思っておられる方がいましたら、ランチやお茶をしながら会うことができますので、ぜひ、コチラにご連絡ください。グレースシティのスタッフが私たちのスケジュールを確認して調整してくれます。

ついに明日、4月15日(日)から最初のイベントが始まります!

私たちロンドンチームは、このセッションから参加しますので、教会のために、福音のためにもっと用いられたいと願っている人がいたら、皆さんのアイディアを創造的に広げるよい機会です。ぜひ、ご参加ください。

最後に、お時間がありましたら、ロンドンチームのためにお祈りください。

私たちは毎日、チームミーティングでコロサイ人の手紙を学びながら祈りの時を持ちます。福音によって一致する事ができ、愛をもって喜びながらお互いのために仕えることができるように。全てにおいて満たしてくださる最高のイエスの話に耳を傾ける時に、お互いが励まされて刺激を受けることができるようにも、お祈り頂けますと嬉しいです。

私たちを受け入れるために尽力してくださっている日本の皆さんに心から感謝しています。

ありがとうございます!

明日から皆さんとお会いできる事を楽しみにしています。

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ミッションウィーク イベントスケジュール with The London Team

– Mission Week Events Schedules – 詳しくはコチラ

[ 福音的ネットワーク Gospel Network トーク&ディスカッションイベント ]

4月15日(日)①11:00 – @KDDI HALLロビー  ②17:30 – @南国亭 神田2号店

[ コミュニティグループ イベント ]

4月17日(火)神田 19:30-21:30

4月18日(水)六本木 or 表参道 19:30 – 21:30(予定)

4月19日(木)渋谷 19:30 – 21:30

20th April Fri in Azabujuban 18:00 – 22:00 – English Only

[ 4月21日(土)特別トーク&ディスカッションイベント ]

①月島 13:00 – 15:00  テーマ 「人生の不条理」  *聖書的観点から同性愛についてのディスカッション 定員30名

②神田  15:00 – 17:00  テーマ:「成功と失敗」 定員20名


 

THE LONDON TEAM イベントに関する 申込み & 問合せ


 

Hello everyone. This is Mark from London. Along with six other members of our team (five from London and one from Singapore), we are looking forward to spending ten days partnering in the Lord’s work with everyone at Grace City Church Tokyo.

The “London Team”, as you have kindly named us, has been coming to Grace City Church annually in the spring for several years. As before, the team comprises some who have been to Japan before (on business, on holiday or as part of a past London Team) and some who have not. Every time we visit, it is a joy to make new friends and reconnect with brothers and sisters in Japan as we reach out to Tokyo with the good news about Jesus. Here are the profiles of the team members.

This year, you have asked us to help with a week-long series of evangelistic talks called “The Frustrations of Life”. This is the first time we have worked together on such a large mission. We’re encouraged to hear that each Community Group is backing at least one of the talks and putting in lots of effort to plan them.

The dates for our 2018 trip fall two weeks after Easter. We specifically chose not to come in the week leading up to Easter Sunday as we have done previously, because Easter Week fell during at the end of March and we knew that many non-Christian Japanese people working in Tokyo would not be able to come to events then because of deadlines connected to the close of the financial year.

Therefore, we hope the timing of the trip is ideal for you to invite your colleagues – those you have been working with for a long time, and perhaps even some who joined your workplace at the beginning of April.

Remember that the gospel is nothing to be ashamed of (Romans 1:16), so we pray that you would be bold to invite your family members, friends and work colleagues. Even if people turn down your invitations, don’t worry. You have not failed, because God is still in control of everything.

In fact, God’s unstoppable sovereign rule and plan to save the world are big themes in the life of Joseph that we’ll be exploring together during the mission week. It’s great to hear you’ve been studying Joseph’s story in Genesis at Sunday services recently, because this means that during the discussion times at the mission week events, you will be well equipped to answer questions from those who come along.

We’re really grateful that Grace City Church has asked us to give our testimonies at these events and at the midweek lunchtime talks too. Over the course of the week, we’ll hear about how God’s gospel plan for the world makes it possible for anyone to be transformed – how it empowers us to live with integrity and deal with pride and temptation, and how it changes the perspective we have on our identity, our jobs and what it means to be successful. These are topics that many people want guidance on, so please pray with us that the Lord would bring many Japanese people to hear the talks and open their eyes to their need to accept the Lord Jesus for forgiveness and be brought into God’s new community, wanting to live in line with God’s plan.

If for any reason someone who you invite to a talk cannot come, we would love to meet them over coffee or lunch. Please ask the Grace City Church staff about slots during the week when you can introduce your friends to the London Team.

And don’t forget that this Sunday 15 April at 11.00am, before the first service, we’re helping lead a session on supporting gospel work. Come along if you want to think creatively about how you can partner more effectively as a church family in backing gospel projects.

Finally, if you have time, please pray for the London Team – that we’d love and serve one another sacrificially and be united in the gospel, and spur each other on as we hear about the sufficiency and supremacy of Jesus in our daily Colossians team study and prayer time.

Thank you for the hard work you have already done preparing for our arrival. We look forward to seeing you soon.

You can find the MISSION WEEK EVENTS SCHEDULES from here.

2月よりバイブルスタディがスタートします

みなさん、こんにちは!
グレースシティチャーチ東京のMOMOKOです。

今日から、2月に入りましたね。私は毎週、水曜日の夜に開催されているコミュニティグループ(コミグル)に参加しています。今週は、コミグルで皆既月食の話題になったこともあり、寒空に浮かぶ何とも言えない不思議な色合いの月(皆既月食)を眺めながら、言葉で表現することのできないこの情景をどう説明したらよいものかと思いめぐらしながら、帰途につきました。

グレースシティでは、どなたでも参加する事ができるコミュニティグループ(コミグル)という集まりを都内14箇所で開催しています。それぞれがアクセスしやすい場所や時間帯に集まり、聖書を一緒に読んで、ディスカッションしたり、時には悩みを分かち合えるコミュニティとして都内各地に点在しています。

今月から、各コミグルで、マルコの福音書のバイブルスタディがスタートします。

マルコの福音書は全部で16章ありますが、唐突かつ劇的に始まり、イエス・キリストの教え、数々の業,死,復活に至るまでので出来事をかなり早いペースの展開で書かれています。あまりにも凄い出来事が数行で説明されているので、それに慣れてしまうと、重要なポイントを見落としてしまいますので、段落ごとにじっくり読んでいく事をオススメしています。

1行1行の物語 = narrativeを意識して読むと、ツッコミ処が満載で、驚くべき出来事や、笑える展開で終始大忙しのドタバタなストーリーが広がっていて、お茶の間でも楽しむことができるぐらい面白く読む事ができるのです。

イエス・キリストが長い間、待ち望まれていた約束のメシヤ(救い主)であること、その使命に焦点が当てられているので、救い主がどのように、どのような使命を全うされたかについてのマルコの記述をスタディすることにより,聖書が語っている壮大なストーリー、良い知らせと呼ばれる「福音」を観ることができます。

※ 一部のコミグルは、スタディの内容が異なる場合がありますので、興味がある方は、詳細をお問い合わせください。

コミグルやバイブルスタディには、まだ教会に行ったことがない方でもご参加いただけます。聖書は学んでみたいけれど、教会に行くのは難しいという方は、ぜひこの機会に参加してみてはいかがでしょうか?

聖書の入門口座「クロスロード バイブルスタディ」も日曜日にKDDI HALL大手町にて開催中です。

クロスロード バイブル スタディ
2018年1月21日(日)〜  2月25日(日)詳しくはコチラ

聖書を学びはじめると、ストレスが多い日常がリフレッシュします。
ぜひ、この機会を用いてくださいね。

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ランチタイムミーティングって何? おいしいの?

こんにちは。今年度、ランチタイムミーティングの担当をさせていただいております芝田です。働かれている皆さんはお昼休憩をどう過ごしておられますか?

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オフィスでお弁当でしょうか。同僚と食べに出かけますか?それとも、一人で過ごしたい?中には、忙しくてまともに休憩できていない人もおられるかもしれません。

ランチタイムミーティングは、仕事の合間のお昼の休憩時間に集まって、一緒に食事をしながら、聖書のメッセージを聴いたり、バイブルスタディをしたり、日々の分かち合いをしつつ祈りの時を持つという、舌に嬉しい小1時間のミーティングです。

参加者は、グレースシティーチャーチに通っている方よりも、近隣で働かれている他教会のクリスチャンの方が多く参加されています。他教会の方と一緒に聖書の分かち合いをできることも、ランチタイムミーティングの強みです。もちろん、ノンクリスチャンの同僚を誘うこともできます。聖書の知識に触れることは、クリスチャンであるかないかに関わらず、様々な場面において有益です。

お昼休みを同僚が福音に触れる機会として用いることができるなんて、なんだか素敵だと思いませんか。

ランチタイムミーティングは、都内5箇所(霞ヶ関、丸の内、赤坂、大手町、九段下)で平日のお昼休憩を利用して行われています。あいにく現在は会場が限られていますが、職場の近い仲間が集まり、新しい場所で始めるグループが起こされることも願っています。

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ランチタイムミーティングの情報はコチラ

日々、お昼ご飯を食べるとき、このミニストリーのことを少しだけ心に留めてくだされば幸いです。ぜひ、東京が福音で満たされるために用いられる様、お祈りください。

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。(マタイ18:20)

11月25日(土)には、信仰と仕事に関するディスカッションのイベントも開催されます。

ご興味のある方は、ぜひ、ご参加ください。

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Light Project「信仰と仕事」ワークショップ 

働くクリスチャンの証 & ディスカッション

2017年11月25日(土)1:00pm – 3:00pm
場所 : C-Lounge   東京都千代田区内神田1-15-10

詳しくはコチラ

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子どものミニストリー : グレースキッズについて

こんにちは(^-^)

東京基督教大学から実習神学生として来ています大平宙武(ひろむ)です!

みなさんグレースシティチャーチ東京には、様々なミニストリーがありますが、グレースキッズという子どものミニストリーはどのような働きをしているかご存知でしょうか?

礼拝説教やリトリートのセッションなど大人の皆さんが、御言葉を聞いている裏では、子どもたちも御言葉を聞いています。礼拝中に子どもたちの元気な声が聞こえてきたりするのは、キッズが元気いっぱい賛美を捧げているからです。そんな子どもたちが、毎週、なんと約20人ほども参加してくださっています!多くの子どもたちが喜んで参加してくださりスタッフも感謝でいっぱいです!今回はみなさんにグレースキッズでどんなことをしているのかもっと知ってもらいたいので、その働きについて紹介させていただきます!

グレースキッズは、私たちの主である神様が賜物として教会に与えてくださった子どもたちを、様々なプログラムを通して訓練し、教育する場としています。また、子どもたちを預かり、教育することで、親御さんの支えになればと思っています。私たちは、子どもたちが、この先の歩みの中でキリストの道を歩んでいけるよう導く必要があります。なので私たち自身が喜んで子どもたちと交わり、一緒に神様に導かれる生き方を考え、分かち合うことに取り組んでいます。

プログラムは、1部礼拝の「平和のあいさつ」のタイミングで子どもたちを預かり、賛美やメッセージ、ゲームやクラフトなどを通して子どもたちに福音を伝えています。

賛美は、アビさんがリードして、歌やダンスをもって元気よく楽しい雰囲気の中、賛美をささげています。最近では、男の子と女の子がパートに分かれて2部合唱のように賛美したり、ダンスを新しくつくっていただき、そのダンスを練習しながら賛美をしたり、身体全体をつかって賛美をささげています!新しい歌を覚える時は、まず、歌詞を読みながら一緒に歌の意味を考えます。

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メッセージは、関さんや僕が準備をして、毎週聖書のお話をしています。ですが、とてもとても元気な子どもたちがあつまっているので、時には集中ができなくなることも…より福音を伝えるために、クイズや紙芝居など、視聴覚教材を取り入れて試行錯誤しながらお話をしていますが、なかなか落ち着けないことも(@_@)それでも、先週のお話のふりかえりなどをしてみるとはっきりと答えてくれる子どもたち。いろいろと大変な面もありますが、多くの福音が伝わっていることに神様の御業を感じています!

 

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そして最後に子どもたちが楽しく喜んでグレースキッズに参加してもらえるように、ゲームやクラフトなど、レクレーションも用意しています!カルタやお絵かき、だるまさんがころんだなどなど…数えたらきりがありませんが、毎週楽しんでもらえるよう多くのレクレーションを用意しています!この時間はいつも本当に賑やかで、元気のよい子どもたちがかわいくてかわいくてたまりません(´▽`)

このように、御言葉を楽しく、喜んで味わってもらえるよう多くのプログラムの用意して行っています!時にはピクニックやハイキングなどお出かけをすることも…子どもたちともっと多くの関わりをもって距離を縮めていくことができるように、これからも楽しんで準備をしていきたいと思っています!

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キッズのために、準備をしていく上で、多くの課題もあります。男性スタッフの不足、リーダーとして引っ張っていってくれる方の必要、スタッフのトレーニングなど、子どもたちが喜んで積極的に参加できるために必要な課題が多くあります。特にお手伝いしてくださる方々は今でも絶賛大募集中です!

子どもの教育に興味がある方、もう少し詳しく話が聞きたいという方はぜひ一声かけてください!見学もいつでも大歓迎です!奉仕ができない方も、これらの課題や子どもたちの成長、これからのグレースキッズの働きを覚えてお祈りください( ˘ω˘ )

問合わせ先 : 詳しくはコチラ
https://www.gracecitychurch.jp/family