いつも私たちより先を歩いてくださる神様

こんにちは、グレースシティのゆみです!

今週の礼拝のメッセージは、ヨシュア記3章1-17節から「試練の河を越えて」という題材で取り次がれました。

いつもなら過去のメッセージはこちらにアップされるのですが、残念ながら機材の不具合で録音ができなかったので、こちらのブログにメッセージの簡単なまとめと感想を書かせていただきます。

ヨシュア記3章は、カナンの地を目指して旅だった契約の箱とイスラエルの民が、ヨルダン川を渡るというシーンです。

 

今回のメッセージから得られる3つの学びポイントは、
①試練に進むとき、主なる神は誰よりも先に進んでくださる
②厳しく苦しくても、主は素晴らしさを表してくださる
③イエスを信じ、歩もう
でした。

 

①試練に進むとき、主なる神は誰よりも先に進んでくださる
ヨシュア記3章4節には、「あなたがたと箱の間には、約二千キュビトの距離を置かなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」とあります。

キュビトとは当時の長さの単位で、1キュビト=約44センチと言われています。
ですので、契約の箱は民よりも880メートルも先を進んでいたということが分かります。

これと同じように、神様は私たちが試練や、挑戦したことのない道を通る時、先を行ってくださいます。

神様が先に歩いて、道を整えてくださるのです。だから、私たちは安心して進むことができます。

 

②厳しく苦しくても、主は素晴らしさを表してくださる
モーセがイスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出する時に、神様が海を干上がらせた出エジプト記のシーンは有名ですが、ヨシュア記3章でもその時と同じような奇跡が描かれています。

神様は、民が渡ることができるように、ヨルダン川の水をせきとめてくださいました。

このように、厳しく苦しい試練の中でも、神様は私たちには想像もつかないような形で、ご自身の素晴らしさを表し、導いてくださいます。

 

③イエスを信じ、歩もう
現代の私たちには、モーセやヨシュアの時代のように直接神様の言葉を聞いたりすることはないかもしれません。

でも、私たちにはイエス様の救いが与えられています。
イエス様の愛が、夜道の中での灯のように、私たちを導いておられるのです。

 

今回、このようなメッセージを聞いて、私自身もとても励まされました。
日々立ち向かうチャレンジの中で、なぜこんな目に遭わなきゃいけないのか、どうしてこんな扱いをうけなければならないのか、そんなことが多々あります。

でもその一つ一つの試練の先には、神様がおられるということを改めて思い出させられました(880メートルも先ではなく、きっともっと近くに!)。私たちがその試練を乗り越えられるように、すでに道を用意してくださっているのです。

神様が私たちよりも前におられることを確信し、前に進みましょう!

主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。―申命記31章8節

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