奉仕する気分にならない時 / When We Don’t Feel Like Serving

こんにちは。グレースシティのメンバーのアーロンです。今回もグレースメンバーの結実さん、桃子さん、隼人さんに日本語翻訳をしていただきました。英語の原文は後に続きます。

Hello, Grace City member Aaron here. Once again fellow members Yumi, Momoko, and Hayato kindly translated my post into Japanese. The original English is below.

グレースシティチャーチでは、教会の内外で仕える機会が沢山あります。

今回「なぜ奉仕するのか?」という内容についてブログを書いてほしいという要望があったので、この記事を書いています。なぜ、奉仕をするのだろうかという動機と、奉仕する気分じゃない時に、どうするか?について考えたことをまとめました。

クリスチャンにとって、お互いのために仕えるという事は、オマケ(オプション)ではありません。聖書には、お互いのために仕え合いなさいとばかり書いてあります(例 : マルコ10章42節〜45節、ガラテヤ5章13節、ヘブル6章10節)。ヤコブは聖書の中で、自分に信仰があると言っても、その人に良い行いがないなら、本当の信仰とは言えないと言っています。(ヤコブ2章14-26節)自分の教会で、奉仕が必要とされているかどうかわからないって?教会のどの働き(ミニストリー)を見ても、沢山の奉仕者によって支えられているのがわかります。もしくは、いつもボランティアや奉仕者を募集していますよね。

もちろん、私たちは人間ですから、奉仕なんかしたくない、お互いに仕えたくないと感じる事が多々あります。奉仕をするには、それなりの努力が必要ですし、疲れますし、他にやりたいと思っている事を犠牲にしなければならない事もあります。では、もし奉仕が必要とされているならば、歯をくいしばってでも頑張らなければならないのでしょうか?やらなければいけないから、やりたくなくても無理矢理しなければならないのでしょうか?ほとんどのクリスチャンは、奉仕というものはいやいやながらするものではないとは理解しています。ガラテヤ書にあるように、私たちクリスチャンはキリストを信じているので「自由」であることも知っています。

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。― ガラテヤ5章13節

また、クリスチャンの人生の中心は規範に則ることではなく、恵みに基づいて歩むことだということもわかっています。(ヨハネの福音書1章17節、ローマ7章1-6節)それに聖書には、神は喜んで捧げる人を喜ばれると語っていますよね?

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。― 2コリント9章7節

それなのに私たちは時おり、喜んで与えて仕えることが難しく感じます。

奉仕はいやいやながらするのに、自分のためには喜んで時間とエネルギーを使いたいと考えます。これは言い訳ではなくて、悲しい現実なのです。

私たちは自分に奉仕を強制することはできますが、奉仕を愛することを強制することはできないのです。じゃあ、奉仕をしなければならないのに、それを楽しめないときは、どうしたらいいんでしょうか?日曜日に教会に来た時、誰かが〇〇ミニストリーの奉仕者が足りないとアナウンスしていたとします。表向きには自分の時間は空いているのに、な~~~んとなく気乗りしないとき、どうしたらいいんでしょう?

そんな時は、最初の原則に戻ってみる良きタイミングでしょう。

聖書ではこのことがすでに説明されており、注意深く読めば理解することができます:私たちが奉仕、福祉や慈善活動を行う時、義務感や罰への恐れからではなく、感謝と愛に動機づけられるべきだということです。

なぜなら神はキリストの犠牲を通して私たちに仕えてくださったのであり、それを通して私たちは謙虚さと感謝にあふれた気持ちになる。それが、他の人に仕える動機をくれるというのです。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。―Ⅰヨハネ4章9節

だから私たちが奉仕をするように求められているのに、そんな気分にならない時、強制されたように奉仕すべきではないと思います。だからといって、求められていること自体を無視すべきではありません。

その代わりに、自分にこう訪ねてみませんか? ― なぜ「神がまず私たちを愛してくださったから私たちも愛する」ができないのか?これについて心を静めて考え、祈り、知恵のあるクリスチャンの兄弟姉妹に相談してみてはいかがでしょうか。そうすれば、不思議な現象、すなわち理論と実践のギャップに対しての解決策が与えられるでしょう。

あなたは、神様は聖なる方で、敬意や尊敬に値すると心から思っていますか?そうでなければ、彼の命令に従うことに意欲が持てないのも仕方がないかもしれません。神様は素晴らしいお方で、あなたを祝福し愛してくださっていると本当に信じていますか?そうでないなら、仕えることに嫌気がさしてしまうかもしれません。あなたは自分が罪深い存在だと認めますか?そうでなければ、自分のプライドが邪魔をしてしまう場合があります。あなたは自分が赦されていると信じることができますか?そうでなければ、自分自身があまりに弱く不安定で、必要としている人たちへ手を差し伸べるのは難しいのかもしれません。

これらのことに疑問を感じているなら、聖書には十分な証拠が記されています。ぜひ、探してみてください。

真に喜んで与えるもの、そして心から熱心に喜びをもって与えるという理念はもはや、おとぎ話のように思えるかもしれません。しかしパウロとヨハネは冗談を言っていたわけではありませんでした。主イエスが私たちを先に愛してくださったから、喜んで与える者になることは可能なのです。この理論にはしっかりとした根拠があります。自分の人生がうまく行っていないのであれば、その根底にある物を探れば良いのです。神様はその手助けをしてくださいます。

ヘブル人への手紙6章10節には、「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」と書かれています。神様はたとえ些細なことでも、私たちの喜んで与える姿勢に歓喜し、その行いを必ず祝福してくださいます。

グレースシティチャーチ東京では、常に多くの奉仕者を必要としています。特に礼拝セットアップの搬入搬出を手伝ってくださる方を急募しています。

詳しくはコチラ  www.gracecitychurch.jp/volunteers

Grace City provides many opportunities for members to serve others, both inside and outside the church. I was asked to write a blog post about the motivation for this service, or, what to do when we don’t feel like serving. Here’s what I came up with.

For Christians, serving others is not optional. The Bible is full of commands to serve one another (e.g. Mark 10:42-45, Galatians 5:13, Hebrews 6:10), and James says that any so-called faith that does not produce good works is really no faith at all (James 2:14-26). And if you have any doubt as to whether service is necessary, just look at your own church. Does it seem like every ministry has an abundance of volunteers? Or are they pretty much always looking for more people to help?

Of course, very often we don’t feel like serving one another. Any service worth doing requires effort; it’s often tiring; it usually requires giving up something else that we’d rather be doing. But if it’s required and necessary, then should we simply grit our teeth and grind through it? Do it even though we don’t want to, because we have to? Most Christians realize that this isn’t how things are supposed to work either. We know that Christians are free (Galatians 5:13—the same verse as above!); the basic principle of the Christian life is not law, but grace (John 1:17, Romans 7:1-6). And doesn’t the Bible say that God loves a cheerful giver (2 Corinthians 9:7)?

Yet very often we find that we are not able to give, or serve, cheerfully. It seems like our only choices are to serve grudgingly or to cheerfully keep our time and energy to ourselves. This is not an excuse; it is cold reality. We can force ourselves to serve, but we cannot force ourselves to love serving. So then, when we are called to serve and we don’t love it, what are we to do? When we are sitting in church on Sunday and someone is reading the announcements and we are reminded yet again that XYZ ministry needs more volunteers, and we’re technically available, but, ughhhh…what are we do to?

This is the time to go back to first principles. The Bible explains these things for us, and if we have read it carefully, then we understand the theory: We are supposed to be motivated to service and good works not by duty and obligation or fear of punishment, but by thankfulness and love. Because God, through Jesus, sacrificially served us, we are humbled and grateful, and this gives us the motivation to serve others. “We love because he first loved us” (1 John 4:19).

So if we are called to serve and we don’t feel like it, then I don’t think we should force ourselves to do it anyway. Neither should we ignore the call. Instead, we should ask ourselves why “we love because he first loved us” isn’t working for us. We should meditate on this, pray about it, and talk to other wise Christians about it. We should find the solution to this mystery, this disconnect between theory and practice.

Do we really believe that God is holy, that he deserves our reverence and respect? If not, it’s no surprise that we are unmotivated to obey his commands. Do we really believe he is good, that he loves to bless us? If not, then it’s very easy for our service to become grudging. Do we really believe we are sinful? If not, then our pride may be getting in the way. Do we really believe we are forgiven? If not, then we may be too weak and anxious to be able to reach out to others. If we doubt any of these things, the Bible provides ample evidence for all of them. Search it out.

The idea of being a truly cheerful giver—actually being happy and eager to give—may seem like a fairy tale. But Paul and John were not kidding. It is possible to be a cheerful giver, to love because he first loved us. The theory is sound. If it’s not working out in your life, then get to the bottom of it. God will help you to do so. And as Hebrews 6:10 says, he “is not unjust so as to overlook your work and the love that you have shown for his name in serving the saints.” God is delighted with our cheerful service, no matter how small, and he will not neglect to reward it.

奉仕する気分にならない時 / When We Don’t Feel Like Serving” への1件のフィードバック

  1. とっても正直なブログ記事をありがとう!奉仕したくないな、と思うことありますよね。唯一のしかもよく効く処方箋は、神の恵みに返ることですよね。

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