こんにちは!グレースシティの結実です。
今回は、ディボーション習慣について書いてみようと思います。
最近面白い本を読みました。
Mini Habitsという本です。
著者のステファン・ギーズ(Stephen Guise)さんは、何年も運動の習慣を作ろうとしていたものの、一念発起してジムに通い始めては挫折する、を繰り返していました。
ところがある年の初め、新年の抱負を考えた時に、でかでかとした目標を掲げては挫折するのに疲れていたステファンさんは、ばかばかしいほど小さな目標を立てることにしました。
それは・・・
「1日1回腕立て伏せをする」
そんなの新年の抱負と言えるのか!というほど簡単に思えますが、ステファンさんはとにかく毎日1回腕立て伏せをすることだけを忠実に守っていくことにしました。
そして、その日の腕立てをするためにポーズをとり、1回こなすと、不思議と「1回やったんだからもう1回しよう」という気持ちになりました。そして、徐々に「腕立てもやったんだから懸垂もやろう」「今日はスクワットもやってみようか」というかたちで、ステファンさんの運動習慣は確立していったのです。
その後ステファンさんは、この「1日腕立て伏せ1回戦略」を「Mini Habits(ミニ習慣)」と名付け、生活の色々な分野に応用し、ポジティブな習慣を作っていくことに成功します。
そして、Mini Habitsについて本を出版するまでに至るのです。
さて、なぜこのストーリーをお話ししたかというと、私たちクリスチャンの中でも、ディボーションの習慣がつかなくて悩んでいる人が多いのでは?と思ったからです。
新年の抱負として、「今年こそ聖書通読するぞ!」と意気込んでは、失敗していませんか?
クリスチャンになって早14年、私もほぼ毎年挫折しています( ;∀;)
3年で通読するプランを実行しようとすると、1日に3章も読まなければなりません。
詩編117篇のようにスーパー短い箇所なら楽勝ですが、詩編119篇のように最強に長い章が当たった日や、民数記のいけにえの捧げ方の描写が長々と続くところは、正直心が折れそうになるかもしれません(笑)
でも朝のディボーションの習慣は、なんだかんだここ4年くらい続けることができています。
毎日たくさん読もうとすることをやめたからです。
もちろん1日3章を続けられたらすばらしいですが、多くの人にはその時間がありませんよね。
なので、短いディボーションブックをとにかく毎日読むことにしたのです。
Jesus Callingという本を活用しています。(日本語バージョンはこちら)
その日に必要な御言葉が分かりやすく解説されているし、1分以下で読むことができます。
まさにMini Habitsの本の考え方を実践していたようです(笑)
朝起きて、スマホを見たりする前に、つべこべ考えずにまずこのディボーションブックを読む。そして一言祈ったり、与えられた御言葉に関して思いを巡らす。
そうすると、その日の体調や気分や、直面している問題に対して、ひっじょ~~~~にタイムリーな御言葉が与えられることが多く、
「うっひょー!神様何でもご存知!!」
と毎日思い知らされます。
どんなに短くても、日々のディボーションは恵みが大きいものです。
いや、もう人知を超えた恵みですね。これは毎日続けていないと味わえない。
私たちは弱い存在なので、毎日福音を聴くが必要があります。
どんなに自分の力で立っていようとしても、気付いたときにはどこか遠くへ流されている。海の砂のような存在なのです。
だから、聖書を毎日読んで心のパンをいただく必要があると思います。
わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。―ヨハネの福音書6章48~51節
パンでも米でも肉でもいいですが、食事は毎日しないと死んでしまいます。
それと同じように、私たちの人生も御言葉を食べないと、どこかおかしくなります。
だから、御言葉に毎日触れて、人生の軌道修正をする必要があるのです。
ディボーションの習慣を脳科学的に見てみる
面白いことに、私たちの脳の構造的にも、ディボーションを習慣にしてしまうことが理にかなっています。
脳は、繰り返し何かをすることで、習慣をつくることができます。
習慣とは、何かをするかしないか、あえて考えることをせず、自然にそれを行うことができること。朝起きて家を出る前に歯を磨くべきか否か、考え込むことはないですよね。一日の終わりにシャワーを浴びようかどうか、判断に悩むことはないですよね。それは歯磨きやシャワーが「習慣」になっているからです。
私たちの脳には前頭前野(ぜんとうぜんや)という部分があります。これは理性を司る部分で、何かを「すべきか」「しないべきか」を決めるところです。
一方で、脳のもっと原始的な部分が、大脳基底核(だいのうきていかく)です。ここは、生き延びるために必要なものを見極めます。いわゆる「習慣」になっていることは前頭前野を通過せず、大脳基底核が直接判断して行動に移します。歯磨きやシャワーをするかしないかの判断は脳のこの部分が行っているのです。
それを行うことが、生き延びるためには必要と脳が判断するから、あれこれ考えずにやるようになります。
習慣は、毎日繰り返し行うことでつくれると書きました。
ディボーションを毎日繰り返し行っていけば、聖書の箇所に毎日ふれることが、神様に向かうことが、生き延びるために必要なことであると脳が学習するのです。
ところで、脳を作ったのは誰でしたっけ?
神様ですよね~!
脳の構造的にみても、神様は毎日私たちが福音に向かうことを習慣化するように、創造されたんですね。
聖書にも、習慣化するために繰り返し御言葉と向き合うようにと書かれています。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。 これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。―申命記6章6~9節
まとめ
脳科学的な面からディボーション習慣を見てみましたが、結局のところ導いてくださるのは聖霊なる神様です。
ディボーションを続ける習慣をつけられるように、まずは祈り求めましょう。
そして毎日1節でもいいから始めてみましょう。
感情に左右されず、毎日少しでもいいから続けることです。
じきにディボーションを続けているからこそ、与えられる恵みをいただくことができます。
グレースシティでも、3年で聖書を通読できるディボーションガイドを出しています。ただし、これではハードルが高すぎるという人もいるかもしれません。だからといって聖書通読をあきらめるのはもったいない!
毎日1節ずつでいいのです。
聖書を開く習慣をつけてみてください。
1節読んだなら、どうせならもう1節、どうせなら丸1章読んでしまえ、となるはずです。
続けたからこそ受けられる恵みを、じきに実感できると思いますよ(^^)/