奉仕にまつわる3つの “つ“

こんにちは、グレースシティのさとみです。みなさんは風情ある朗らかな秋を満喫していますか^^。

この秋、という季節は旧約聖書の時代から現代のイスラエル(ユダヤ文化)では始まりの季節として、毎年人々に大切なことを想起させる季節でもあります。

神である主がモーセの時代から約束に忠実な方で、主が愛された者たちを確かに救われた(救われる)、というその偉大な主の御業をおぼえ、人々は仮庵のまつり、つづけて過越のまつりを通し、主を賛美し、主に感謝を捧げます。

わたし自身も、3年前に現地での生活の中でこの経験をし、とても祝福を受けました。まつりのお話はまたいつかにとっておくとして、今日はわたしがそのイスラエルの滞在中に学んだことの一つを皆さんとお分かちしたいと思います。

わたしは、スタッフの87%が9カ国から集まる「奉仕者」によって運営されているクリスチャン団体で5ヶ月弱、フルタイムで奉仕をしました。

イスラエルは、日本を含めた先進国(欧米の大都市など)以上に物価がかなり高いので、奉仕者は現地での生活費のために前もって自国で献金を集めたり、貯金を切り崩したりしなければとても生活できません。

また、奉仕の内容は、一般の会社のように組織運営に必要なマネジメント、会計、マーケティング、広告などを始め、サポートを必要とする現地の諸団体や支援受給者への連絡やデリバリーなど多岐にわたり、とても複雑で肉体的にも精神的にも疲労をともないます。

このように経済的にも肉体的にも負担があり、人生の貴重な時間も捧げなくてはならないにもかかわらず、その団体で奉仕をしたい人はこの23年、後を絶ちません。

多くの奉仕者は、40代後半から70代で、牧師や宣教師、長老や教師を現役で行う、もしくはリタイアした夫婦たちでした。自分の貴重なバケーションを使って、あるいは、リタイアした後の穏やかな時間の代わりに、イスラエルという異国で熱心かつ真剣に仕える彼らは、勤勉で真面目と言われる日本文化で育ったわたしの目から見ても、明らかに…異様でした。

異様である、というのは、彼ら一人一人を表現する言葉が見つからないのです。

目は宝石を埋め込んだかのように輝いて、語る言葉は音楽のように優しくユニークで、子どものようによく笑い、小さなことにも丁寧に取り組み、熱心に御言葉に頼り、大胆に喜ぶその心は、まさに、まさに、キリストの香りがするような麗しい人々だったのです。

それまでの人生でわたしが出会ったことのない、この驚異的な彼らと過ごした数ヶ月によって、わたしの人生観や神様との関係性は大きく変えられていきました。

キリストにあって「奉仕する」「仕える」というわたし自身の基盤となっている概念も、この時新たに与えられました。

日本の教会はおそらくどこも奉仕者で満たされている!とは言えない状況にあると思います。(ただでさえクリスチャン人口は少ないので)

そのような中で、「奉仕は犠牲だから、覚悟と忍耐が必要」「つらくたってやらなければならない」という思いが生まれがちではないでしょうか。

事実、わたし自身も奉仕に携わる(携わってきた)人からこの言葉を聞いてきました。

教会での奉仕は、正直なところ、義務的な役割のようで「つまらない」。忙しい時間を割かなくてはならない中任されて「つらい」。この他にも様々な理由があって、結局「つづかない」。。。

こうした感情や経験をされた方も、あるいはその只中にいる方も、またはそんなふうになりたくなくて奉仕を避けている方もおられるかもしれません。

しかし実際のところ、わたしたちキリスト者は奉仕にさえ既に「招かれている」のです。

それはまるで、わたしたちにとって憧れてやまない人物が、正しく自分の能力や性格を理解し評価してくれた上で、「この仕事を一緒にやってみるのどう?」と直々に声をかけてくれるようなものであるといえます。

本来、全知全能である神様は一瞬で、この世界を滅びに向かわせることも、救うこともお出来になる方です。にもかかわらず、小さな人間であるわたしたちを選び、育み、ご自身の神の国の計画へと招いてくださっていることを思う時、神様がいかに人を愛し、神の側から自己中心的なわたしたちに深い関わりを持とうとされ、わたしたちに与えた人生がより一層エキサイティングなものになるよう願われていることを知るのではないでしょうか。同時に、神の懐の深さや忍耐強さ、最高の脚本家であるご性格を覚えずにはいられません。

きっと神様は、あなたの名前を呼ばれ、このように言ってくださっています。

「◯◯、この奉仕、一緒にやらない?お前が必要なんだ。絶対楽しいし、わたしとの関係も、他の兄弟姉妹との関係も、今よりもっと素晴らしいものになると約束するよ。大丈夫、わたしが全て責任をとるから。わたしを信じて、楽しみなさい」と。

神である方から誘われ、天国に向かう前にその素晴らしさを先取りして味わう『アクティビティ』のような喜びのミニストリー(神によって賜物が用いられキリストを喜んで伝えること)に加われることが、クリスチャンにとっての奉仕なのではないでしょうか。

奉仕を通して与えられる恵みは、神への信頼や関係性が「つよめられる」こと。自分一人だけでは成り立たず、互いに仕え合うという神の御心を経験することによって、兄弟姉妹との深い「つながりが与えられる」こと。そしてそれらをとおして自分という人格がキリストへ似た者へと「つくり変えられていく」こと。。。そのようにして、神の国を経験するという特権であると思うのです。

「理想的すぎ」と言われるかもしれませんが、わたしたちにとっての奉仕は、小さな子どもが大好きな親からおつかいを頼まれて用事を任される時、誇らしく喜んでいる姿と重なります。

「奉仕ができて嬉しい。神様の計画に参画出来て光栄な気持ち」へりくだりつつ、心からこんな言葉をいうことができたらと、わたし自身も日々願っていることです。

それは、3年半の公生涯で人々に仕え続け、自分の命を十字架にかけて捧げた、最高の奉仕者であるイエスキリストの御思いであると思うのです。

わたしがイスラエルで出会った、わたしよりはるかに年配のクリスチャンたち。彼らは奉仕に取り組む行動と心を通してわたしに力強い希望を与えてくださいました。わたしの夢は、わたしもいつか、そのようなおばあちゃんになって、次世代の若者の希望になりたい、というものです。

ユダヤの暦では始まりの季節である秋。

新たな気持ちで主に、「わたしの賜物は何ですか?何に遣わそうとされていますか?用いてください」と静かな場所で聴いてみるのはどうでしょうか。

神様の願いは、一人でも多くの主に愛された民たちが主ご自身と共に、仕え人としての喜びを経験することだと思います。

 

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