グレースキッズ:子ども達と一緒に成長!

こんにちは。子どもミニストリーのグレースキッズの奉仕に携わっている恵美です。

今回はグレースキッズでどんなことをしてるのか、その働きについてご紹介させていただきます。

グレースキッズは神様が賜物として与えてくださった子ども達を、色々なプログラムを通してこの先、キリストの道を歩んでいけるよう導く為の学びの場です。

みなさんが日曜日に教会に来た時、元気に走り回っている子ども達を見かけることがあると思います。その子ども達は毎週日曜日、礼拝の中で親御さんと一緒に賛美をした後、大人のメッセージの時間に、グレースキッズに向かいます。メッセージ以外の賛美や主の祈り、献金や聖餐式などは基本的に親御さん達と一緒に参加して、みんなで主を礼拝できるよう目指しています。

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みんなでピクニック

まずはじめに、ワーシップチームの方と一緒に、みんなで神様に賛美を捧げます。賛美の歌の後は、ジェームスさんやインターン生の剛健くんが子ども達のために、分かりやすい言葉を使いながらメッセージをしてくれます。4月から「成長」という教材を使って子ども達と一緒に御言葉を学び始めました。メッセージの内容は年間のカリキュラムに沿って、聖書の流れをつかめる様な構成になっています。

ただ一方的に話をするのではなく、絵などのビジュアルを取り入れたり、質問しながら、会話をすることで子ども達の集中力が途切れない様に工夫をしてくれています。最近では、ヨセフのストーリを学んでいるときに、兄弟達に奴隷として売られたらヨセフの雇い主が誰なのか?という質問に、“ポティファル!”と元気よく回答してくれた子がいました。前に本で読んだから知ってると話してくれましたが、聖書の内容をしっかりと覚えていることに感動したのと同時に、子ども達の成長のために、一緒に学びをしてくれている親御さんは素敵なだと思いました。

メッセージの後は、それぞれの年齢に応じてメッセージ箇所をより深く学べる様に、3つのグループに分かれて行なっています。小学生以下の子ども達は、聖書に関連する塗り絵をしながら、聖書のストーリーを学んでいます。小学生の中学年と高学年の子ども達はそれぞれ別のワークブックを使い、より深く聖書の内容を学習しています。

この教材の良いところは、ただ聖書のストーリーを読んで質問に答えるだけではなく、聖書箇所にあわせてゲームやクラフトなども取り入れられていることです。クラフトやゲームを通して聖書を学び、子ども達は楽しみながら、真剣に作業をしています。グレースキッズにいる子ども達は絵がとても上手な子ばかりで、自由な発想で思いのままに描かれた絵を見るのが密かな楽しみです。

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イースターのエッグハントで卵を見つけた子どもたち

グレースキッズを通して、私は多くのことを学んでいます。子ども達が使っているワークブックには大人用の教材もあり、主題の背景や何を目標に学ぶかなどのガイドラインに加え、テキストの解説も書いてあるので、子ども達に教えながら、一緒に聖書を学ぶことができています。また、突然、踊りだしたり、ヘンテコな作品を作ったりと自由気ままな子を見ていると、思わず笑顔になります。人からどう思われるかを気にして、夢をみることを諦めたり、他からの評価を気にして自分を制限したりせず、自分らしくいられることは大事だなと感じます。そして、私自身、聖書の知識に自信がなく、子ども達から質問された時に、きちんと答えられないと恥ずかしいし情けないなという思いが強く、不安もありました。しかし、それは自分の“プライド”の問題であるということに気づかされました。子ども達の質問に対してわからないことは、正直にわからないと言えること、そして、子ども達が大人に教える側になることも、子ども達の成長にとって良い経験になるというアドバイスをもらい、自分自身の問題と向き合い始めることができました。

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グレースキッズのクラフトタイム

子ども達は神様からの賜物です。幼い頃からからできるだけ多くの御言葉にふれ、信仰の種を植えることは大切な事です。自分の弱さや過ちを認めつつ、神様により頼み、一緒に歩んでいる姿を子ども達にみせること。言葉で伝えるだけではなく、生活の中で聖書の教えを実践すること。など、普段の生活から始まり、日曜日の教会内での私達、大人達の姿が子ども達に影響力すると思っています。それには子ども達の家族や、奉仕スタッフだけでなく、キリストの家族の内にある皆さんにも一緒に、子ども達の成長を見守っていただけたらと思います。

最後に、子ども達が喜んで参加して、安心して学べる様になる為には、グレースキッズの奉仕スタッフ不足や、リーダーとしてメッセージをしてくれる方の不足、スタッフのトレーニングなどいくつかの課題があります。もし、少しでもグレースキッズに興味を持ってくれた方がいましたら、是非、声をかけてください。一緒に、子ども達の成長の為に仕えてくださる方、大歓迎です!そして、これらの課題や、子ども達の成長の為に、今後のグレースキッズの働きを覚えてお祈り頂けたら嬉しいです。

グレースキッズ  ボランティア募集中 !

グレースキッズに関する問合せはコチラ

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バイブル for キッズ  

7月1日 & 29日(日)

時間 : 第一礼拝後  2:15pm – 3:15pm

場所 : KDDI HALL ナーサリー隣 / エレベーターホールの前

申込みはコチラ       詳しくはコチラ

 

 

コミュニティの中の「あなたと私」

こんにちは、グレースシティの隼人です。

今回は長老のジェームス ・ライトさんが執筆してくださいました。

Hello This is Hayato from Grace City Church. Our elder James Write wrote our blog article this week. English follows after Japanese. Please enjoy!


コミュニティ(地域社会)の中の「あなたと私」

The U&I in Community

同僚の一人が私に対して、独り言をよく言うのはなぜかと尋ねたので、こう答えました、「専門家の助言が時々必要になるからです。」と。彼は苦笑いし、私は続けました「答えが見つからない時はいつもこうします」。

自分の内なるカウンセラーに問いかける事が、最も賢明だと考える人は少ないかもしれません。自分自身が成長するためには、話し合い、相談、分かち合い、そして互いに仕え合うことが不可欠です。私たちは結局、社会的な生き物なのです。

聖書の一番最初のページには「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」(創世記1:26-28)と書かれています。その次の箇所には「人が、ひとりでいるのは良くない。」(創世記2:18)とあります。三位一体という複雑な神学的議論はさておき、神ご自身がコミュニティの中に在り、神ご自身が三位一体の神なのです。愛は、神というご性質(神性)の中で分かち合われ、その愛が我々と共有され、神の愛の中で私たちが成長するには、コミュニティを経験する必要があります。神の一人子が流された血によって、我々が一つになることこそが神の目的なのです。お互いに協力しながら、神の中で一致した心を持つこと。

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」(ヨハネの福音書17:21,22)

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グレースシティチャーチ東京では信仰と仕事について考える機会が多くあります。日本企業が求める高い要求に応えながら、キリストを信じる者がどのように職場で用いられるのか。私たちの人生の中で、どれだけの負担になっているのかを分かち合います。日本のビジネスマンの日常はとてもストレスが多く、仕事や私生活だけでなく、人間関係の中でも厳しい要求を強いられることが多々あります。

ストレスを抱えた夫は、仕事に関する悩みでいっぱいの心で、子どもの世話や家事に負われて途方に暮れている妻のもとに帰ります。年齢を問わず、独身者は空虚な心で誰もいない部屋へ帰ることがあるでしょう。それでも、キリストは互いの重荷を負い合うようにと命じています。互いのために助け合い、他者の必要を満たすことによってストレスは軽減され、心は癒されるのです。人生に可能性を見出し、喜びが生まれます。何よりも、キリストの内にある神の愛が私たちに見いだされ、私たちを通して輝くのです。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書15:11-13

私の友人デイビッドが、神のコミュニティについて例え話をしてくれました。天国と地獄の住人達が、神の素晴らしい栄光に満ちた宴会用テーブルに座り食事している姿を思い描いてください。テーブルに座るすべての老若男女が手首をつながれています。右隣、左隣にいる人々の人生が、それぞれ互いに繋がっています。

地獄では他者に全く気を止めず、無我夢中で食べようとします。これにより、食べ物を口に運ぶ前に他の者が妨害し、最終的にはみんなが飢えてしまいます。

天国では、喜んで隣人同士が助け合いながら食べるので、一人一人が満たされます。私たちも自分の事しか考えない時、誰も必要な物を得ることができません。各人がコミュニティの一部として行動し、お互いを尊い存在、また創造主に似た者として、自分自身よりも大切に扱うなら、私たちの必要は満たされます。

神のコミュニティには目的があります。それは神様が私たちに愛を示す数多くの方法の一つです。私たちは社会的な生き物であり、コミュニティを必要とし、愛を切望しています。何にでも同じことが言えますが、コミュニティも一歩間違うと、偶像や部族主義と化してしまいます。しかし、正しく育むことができれば、素晴らしい大きな家族のような親密な存在になりえます。

現代社会では、仕事中心の人生になりがちなのは否めません。結局のところ、仕事によって関係を作り、ビジネスが成り立ち、繁栄しています。しかし、敢えて、自分の周りを見ながら、皆さんに考えて頂きたいのは「その人が何をしているか」が、「その人が何者なのか?」を決定することにはならないという事です。環境、家族、友人、そしてコミュニティは私たちの人格を形成するのに、職業よりも遥かに重要な役割を担っているのです。

仕事について語り合うのは勿論、重要ではありますが、コミュニティの形成に力を注ぐことも同じぐらい大切です。コミュニティこそが、神の一人子や私たちに対する神の愛を体験する事ができる場所であり、根本的な意味でも、人間が人間らしく生きることができる重要な要素なのです。

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The U&I in Community

“It is not good for Man to be alone…”

When my co-worker asked why I talk to myself so much I said, “Because sometimes I need expert advice.” He smirked and retorted, “I do it when I want someone interesting to talk to.”

Very few of us would ever consider our own counsel the wisest. We need to discuss, consult, share, and serve one another in order to grow. We are, after all, social creatures.

On the very first pages of the Bible God says, “Let US make man in OUR image.” (Gen. 1:26-28) and then says “it is not good for Man to be alone” (Gen. 2:18). Without going into a complicated theological discussion on the Trinity, God is community; He is Triune, Three in One. Love is shared within the Godhead, and for us as well, we must experience community to grow in God’s love. It is His purpose that through the life-blood of His Son, we become one. In each other and in Him.

“I pray they will be one, Father, just as you are in Me and I am in you. I pray that they also will be in Us, so that the world will believe that You sent Me. I’ve given them the glory that You gave Me so that they can be one just as We are One.” (John 17:21,22)

At Grace City Church Tokyo, we talk a lot about faith and work — how the life of a believer plays out in the workplace and the high demands that Japanese business ethics can put on us. The life of the Japanese businessman/woman can be very stressful and demanding in professional and personal life as well as to our relationships.

Stressed husbands bring home occupied minds to tired mothers who are at wit’s end with children and errands. Singles, young and old, go home to empty houses with empty hearts. Yet Christ bade us to carry one another’s burdens. In serving one another and meeting one another’s needs, stresses are relieved and hearts are healed. Lives open up and joy blossoms. Most of all, the love of God in Christ is seen in us and through us.

“I have told you these things so that My joy may be in you and your joy may be complete. This is My commandment, that you love one another as I have loved you. Greater love has no one than this, that he lay down his life for his friends.…” (John 15:11-13)

My friend, Dave, gave me an allegory of God’s community. Picture those in Heaven and those in Hell all seated around banquet tables full of the glory of God’s goodness, he said.

Every man, woman and child at each table is chained together at the wrist. Each person’s life undeniably bound to the ones to the right and the left of them.

In Hell, each person is ravenously trying to eat without a thought for anyone else. Because of this, no one is able to reach their own mouth, each person preventing the other from eating and thereby all starving.

In Heaven, everyone is intent to feed their neighbour, thus each person getting their fill.

When we think of only ourselves, no one gets what they need. When we act as community and treat one another as more important than ourselves; glorious beings, images made in the likeness of the One who created us, we are all fed.

There is purpose to God’s community. It is one of the many ways He chooses to show His love for us. We are social creatures; we need community, we crave it. As with all things, if treated wrongly it can become an idol and lead to tribalism. But nurtured, it becomes a larger, extended and wonderful family.

I know it’s easy in modern society for lives to revolve around one’s job. After all, it is how we associate, do business and prosper. But I dare us to look at the lives in motion around us and notice that what we do is not who we are. Environment, families, friends, and community play a far more integral part in our make up than our occupation. We should talk about our occupations, yes, but we must be occupied with community. Community is how we experience God’s love for His Son and for us. And even at the most base level, it is how we become fully human.

LIGHT PROJECT ワークショップ

こんにちは!グレースシティのRyuです。
昼夜の寒暖の差はありますが、お昼のポカポカな陽気が春を感じさせてくれます。

3/3(土)Lightプロジェクトに参加しました。今回のテーマは「仕事と人間関係と神様」。ゲストスピーカーは井上翔太さん、大塚麻美さん、そして堂跡美和さん。

井上翔太さんは大学卒業後、飲食業界で毎晩終電まで働き1年半後に退職 、その後インドのカルカッタで2週間、マザーテレサの教会で半日の奉仕をし、マレーシアで2年、ドバイで3年、今は東京で旅行関係の仕事をしてるそうです。

職場で理不尽な上司に苦しみ、サックス知子さんに祈ってもらってから、わずか1週間後に部署異動があったことをシェアしてくれました。彼のこんなコメントが名言だと思いました。 “「大変」とは「大きな変化」です。大変な時期の後には必ず成長します。”とても印象的な言葉でした。

次の大塚麻美さんは、ホンジュラス育ちの「サードカントリーパーソン」(帰国子女だが日本でも育った現地でも無い国民性の人)で、フランスの会社で秘書をしてた時の苦労を話してくれました。

「こんなに一生懸命やってるのに、どうして不満が止まらないんだろう?」という悩みを聞いて、働きすぎな日本人の完璧主義なDNAが大塚さんにもあるのだな、そしてそれは自分も同じだな」と私は感じました。

完璧主義で、いくら頑張っても満足できない、これは私自身にとっても課題だと感じます。

 

LightProject

最後の堂跡美和さんも、嫌いな上司や関わりたくない職場の争いなどについてシェアしていただき、「人間だもの、グチる場所も必要!」、「若い人達はノリや勢いだけで決めがち、だから嫌われる勇気も必要で厳しい意見を言って爪跡を残すのも大事だ」と話してくれました。

そんな彼女は現在の職場で高齢者層のスタッフと若手のスタッフを繋ぐ架け橋となって働いており、隣人を愛するクリスチャンの精神が生きているな、と感じました。

  パネルディスカッションの後、グループごとにテーマの「仕事と人間関係と神様」について話しました。我々のグループでは、

1. 日本人は「場の空気を読む」国民性、職場でも自分の本音を言えず、裏で陰口を言ったり、誰も止めなくて悪い結果を招いたりする事が多い

2. そんな中でクリスチャンとして、本音を言う勇気も必要(上層部の一方的な決定を黙認するのではなく、組織全体の繁栄のために、進んで発言する)

3. 自分がした発言や行動が正しかったか、その場でどうあるべきだったかは、自分や会社の人間ではなく、神様が教えてくれる。だから職場でも恐れずに行動していくべき。

4. 最後に…仕事で、人間関係で悩んでる人、苦しんでいる人が多いけど、その人たちに、今の苦労が将来きっと役立つ日が来る、だから落ち込んでばかりいないで、元気を出してほしい…などを話しました。

最後に、仕事で苦しんでいる人たちへの聖書箇所として、ローマ人への手紙8章18節をシェアしました。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。 」ローマ人への手紙8章18節

私自身いまの職場で人間関係その他で悩み苦しみが多いので、このディスカッションを通して、周りの皆が繰り返し口にしてた、「クリスチャンとして、恐れずに発言・行動していくべき」という言葉を肝に銘じて仕事をしていこうと思いました。

 

クリスマスイブ礼拝

みなさま、こんばんは。グレースシティの隼人です。

昨年2017年のクリスマスイブには2部礼拝でクラシックとジャズの礼拝が行われました。
今回はジャズ礼拝のアレンジを担当してくださった、スティーブ・サックスさんが記事を執筆してくださいました。どうぞ、お楽しみください。

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子供の頃はイエス・キリストを信じてはいませんでしたが、クリスマス聖歌(クリスマス・キャロル)が大好きでした。大学で音楽を専攻して、卒業後プロのジャズ・ミュージシャンになりました。1992年にクリスチャンになり、昔から大好きだったクリスマス聖歌の意味を、やっと理解できるようになりました。しかし、その頃クリスマスの時期に演奏した曲のほとんどが、一般のクリスマス・ソングでした。クリスマス聖歌をジャズマンの立場から本格的に考え始めたのは、1999年に東京に引っ越してからのことです。東京や地方のいろんな教会からジャズのクリスマス・コンサートと自分の体験談の証しの依頼をいただいたり、宣教団体のクリスマス伝道用CDのレコーディングに参加させてもらったおかげで、クリスマス聖歌のジャズ・アレンジをたくさん作りました。2010年にようやく自分のクリスマスCDを製作し、それ以降益々クリスマス聖歌が好きになりました。

クリスマス・ジャズ・コンサートではこれまでも楽しく演奏して来ましたが、日本で初めて行ったジャズ・クリスマス礼拝は、先日、行われた2017年のグレースシティチャーチ東京のクリスマスイブ礼拝でした。昔、アレンジした楽器だけのためのジャズ編曲を少し礼拝用にアレンジしたり、その場所にふわさしい「楽器によるクリスマス賛美」を考えて、福田先生とアビ・ラウザーさんと一緒に全体の流れを考えてプログラムを計画しました。そしてミュージシャンにとっては、忙しいクリスマス・シーズンなのに、素晴らしい仲間を手配でき、長時間のリハーサルを熱心にすることができました。

賛美のための「リハーサル」はある意味で一般的なリハーサルとは違い、もっとも大切な「オーディエンス」(要するに神様ご自身)が、いつでもどこでも出席している事を意識します。…と言いながらも、兄弟姉妹と一緒に賛美すると、同じ神様を褒め称えながら、雰囲気がだいぶ変わります。当日は、リハーサルの時間がほとんどなかったので、どうなるだろう?と考え始めてしまい、少し緊張していました。「皆が私の少し変わったアレンジの編曲に馴染みがないのに、良い奏楽ができるのか?」と。しかし、ジャズ礼拝の前に行われたクラシック礼拝にも参加したので、心が静まり、緊張せずに演奏ができました。後半には、なんと拍手をいただき、ホッとすることができました。これからも定期的に同じようなジャズ礼拝を行うチャンスがあると、とても嬉しく思います!

「新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」

詩篇33:3