「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」エペソ人への手紙6:18
この聖書箇所は、パウロがエペソの人たちに獄中から送った励ましの手紙の最後の章に登場します。エペソは偶像礼拝の盛んな地であり、物質的にも豊かな町でした。サタンの誘惑や試みが多いこのエペソで、パウロは手紙の最後にかけて、こう記しました。
「主にあって、その大能の力によって強められなさい。」エペソ人への手紙 6章10節
「神のすべての武具を身につけなさい」と続きます。「真理の帯」「正義の胸当て」「平和の福音の備え(靴)」「信仰の大盾」「御言葉の剣」などの言葉が出てきます。まさしく戦士が戦いに出て行く情景が浮かびます。
それは、わたしたちがこの世にあって流されやすく、弱い存在だからこそ、強められるために必要なアイテムであり、それらはすべて主なる神、キリストを信じることによってすべて与えられることが大胆に記されているのです。
旧約聖書を見ると、神様の力によって、どのような武器を持ちわせても、それを敵から奪いとられたり、失ったりして、力が弱まり、滅ぼされてしまった人々が多く登場します。
しかし、キリストを信頼した戦士たちは、たとえどのような結果になっても死ぬことがなく、天の御国で生きることが約束されています。
では、キリストの戦士として、わたしたちはどのように祈るべきでしょうか。
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」エペソ人への手紙6:18
すべての祈りと願いとは、神様へ対する感謝、賛美、とりなし、期待も嘆きさえも含まれています。それをいつも、どんなときにも御霊に導かれて祈りなさいと記されています。
「そのためには絶えず目を覚ましていてすべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」エペソ人への手紙6:18
情報が氾濫する中で、あらゆる誘惑にさらされながら東京に住む現代の私達にとって、絶えず目をさまし、福音を心のど真ん中に置き、キリストの元に立ち続けることは、まさに戦いであり、時に難しいことです。その中で祈り続ける忍耐を、神様は決して無駄にはされず、かえってそれを喜び用いてくださいます。
自分のことや家族や職場のことだけでなく、 「すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」とパウロは書きました。エペソではユダヤ人と異邦人との一致が大きい問題だったのですが、私たちも一致のために、お互いのために、どんなに違う性格、違う背景の人々の中にあっても、全ての聖徒のために祈る者でありたいと励まされます。
一人でも多くの人々の信仰のために祈りを積み続け、主に期待し続けることが戦士の役目であり、必要であることがわかります。
キリストを信じ始めた頃は、誰もが信仰的には赤ちゃんです。しかし、日々、御言葉を食べ、祈りを重ね、兄弟姉妹と関係を築き、父なる神様に益々成長させられて、キリストの戦士へと成長 させられることが重要です。その一人一人が連なり、輪となって、神様の恵みや栄光を表すコミュニティへと変革するのです。
そのような変革を遂げたコミュニティへと成長するよう、イエスご自身も、忍耐の限りを尽くして、私たちのために自分のいのちさせ犠牲にして下さいました。十字架で、私たちの罪を聖負って、全ての聖徒に赦しを与えて下さいました。そして、イエスはエペソの手紙によってパウロを通して私たちが一致を持つ、成長したコミュニティになることを祈るように命じています。
この祈り会が、心を合わせ、御霊によって祈る時間となり、祈りの戦士へと主がわたしたちを成長させてくださる機会となることを期待しています。
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、
また祈りなさい。」エペソ人への手紙6:18