主の恵みは朝ごとに新しい

こんにちは^^!グレースシティのさとみです。
新年が明けてから早くも2週間が経ちましたね。
新年を迎えるとき、多くの人が「こんな一年だったらいいな」「こんな一年にしよう!」と希望を抱くものですが、みなさんはいかがでしょうか。

わたしが今年の一番はじめに思ったことは、「主の恵みは朝ごとに美しい(哀歌3:17-25)」という御言葉と、「明けましておめでとうございます」という言葉の共時性についてでした。

日本のお寺では大晦日(12/31)に「除夜の鐘」を鳴らします。「除」という言葉の意味は、古い者を捨て、新しいものを迎えるという意味があります。一年の最後であり新年を迎える日となる大晦日は「除日」とされています。

除夜の鐘は108回鳴らすのですが、それは人間の煩悩(苦悩)やこの世界の闇を清める意味があるそうです。
そしてその闇が明け、清い世となり新しい朝が来たことをお祝いする言葉が
「新年、明けましておめでとうございます」なのです。

この言葉をじっくり振り返る時、キリストを信じる者としてこのような祈りが与えられました。「神様は大昔も今日も、まっさらな新しい朝を日ごとに用意してくださった。"今日"、新しく注がれる主の恵みに気づける心の目と、神様を第一に信頼する心をお与えください」と。

状況や心境が憂鬱な曇り空であっても、わたし個人のそれとは関係なく、朝陽よりも眩しく輝く神様は、その曇ったわたしの心を一新に照らし、晴れやかにさせる御力があるのだと思わされます。

この一年、いや毎日、毎瞬(←放っておくとすぐ神を忘れて自分本意になる身勝手な人間なので)、曇り空の隙間から覗く光を信じて、むしろ隙間さえなく嵐の中にあっても、その向こう側には太陽をはるかに凌駕した輝きを持つイエス様がいつもおられることを喜び、聖霊によって目を上げて歩んでいきたいと願っています。

2018年、みなさんは神様に何を願い、何を祈りますか…^^

17私のたましいは平安から遠のき、私はしあわせを忘れてしまった。18私は言った。「私の誉れと、主から受けた望みは消えうせた。」と。19私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。20私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。21私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。23それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。24主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。25主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。 哀歌3:17-25

※上の写真は、わたしがイスラエルにいた時に撮ったガリラヤ湖をのぞむ夕陽です^^。(朝陽じゃなくてすみません…笑)

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