イエスと自分らしさとコミュニティと。

こんにちは!グレースシティのさとみです。
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タイトルに出したこの3つ、〈コミュニティ〉 〈自分らしさ〉 〈イエスの存在〉 について、最近よく思い巡らすことがありました。
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人間であるわたしたちには、生きた年数分の記憶があり、それを振り返る時、周りにどんな人がいたか、彼らから何を言われたか、あるいは何を一緒にしたかという思い出が必ず蘇るものだと思います。
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自分にとっていい思い出だったなぁということが思い起こされる時、いい出会いや、人とのいい関係性が必ず存在していたことに気付きます。
そして個性を尊重し合い、お互いに魅力的だと思える友人や家族、上司や取引先、部下の存在がどれほど素晴らしい益を人生にもたらしてくれたかを思うと、出会いを含めた〈コミュニティ〉という居場所はとても大切であると思わされます。
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しかし大人になってそのような居場所を求めると、少しばかり幻想的になりがちではないでしょうか。何か自分が無理をしなくても「自分らしくいられて」、「居心地がよくて」、「受け入れてもらえて」、「時に刺激的で」、「尊重し尊敬し合える」コミュニティというのは、実在するのでしょうか。
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数年前、ありのままでいいんだよ、あなたらしいありのままが素晴らしいんだ、という風潮がありましたね。(アニメの歌がものすごく流行ったのは時代を物語っていたからですね)
しかし、わたしたちのありのままは、神が似せて造った者であるにもかかわらず、自分が思う以上に罪に染まった汚れた存在です。
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ありのままの自分を認めて欲しいという気持ちは、自分(エゴ)が中心(神)でありたいという願いに近いのかもしれません。
この、ありのままの罪だらけの人間(一人一人)を唯一愛し、罪という性質から救うために、神様は愛する子であるイエスキリストを十字架につけました。
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わたしたちは、誰もが自分らしさを表現できるコミュニティを求めます。
それ自体は大切なことだと思います。
けれど、イエスキリストの十字架の死が、わたしたちの罪のために成されたことだと信じる人にとって、もっとも大切なのはありのままの自分らしさや、それに見合ったコミュニティを追い求めることではなく、聖書のみことばにあるキリストの生き方と彼の性質を追い求めて生きていくことであると聖書は語ります。
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そうすれば、必ず、絶対に、〈本当の自分らしさ〉が造りかえられ、その中にキリストの性質が輝きだすのだと。そしてそれほど素晴らしく、生きがいのある人生はないとパウロというキリストの弟子は何度もあらゆる町の教会へ手紙を書き送っています。
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そしてだからこそ、ありのままの罪だらけを許された者として、互いに愛し合いなさい、と彼は熱心に訴えました。そこに、キリストの義なるコミュニティが生まれるからと。
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わたしが今までに経験してきた素晴らしいコミュニティは、人間関係の摩擦が確実に生じていました。その時は苦しい時期であっても、人と人がぶつかり合うことで削られ、磨かれ、痛い思いをしながら不要な自分のプライドが暴かれたりそがれていく。
その経験は、まるでダイヤモンドを研磨する工程のようだと思ったものでした。嫌悪感を抱いていた相手に正直にぶつかると、その人の知らなかった輝きが見出されるのです。
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イエス様は今も生きていて、わたしたちがこの輝きを見出すまでの、忍耐と信仰を新たに与え続けてくださる唯一の方です。
そして聖書のことばによって、わたしたちは、神様の意思(心)をいつでも訊くことが出来る特権があります。
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願わくは、グレースシティの一人一人が、教会を通し、神の真実なるコミュニティをこれから後、何度も経験されますように。そしてキリストの強固なコミュニティとして神様が、わたしたちを立て上げてくださいますように。
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8月いっぱいはお休みとなりますが、ぜひ!まだ経験されたことのない方や、お休み中の方はまたいつでも、グレースシティのコミュニティグループへご参加ください^^。
↓ コミュニティグループって? ↓

 

 

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