芸術祭 色彩豊かな 主を思う

10月に入り、秋空の元で過ごしやすくなってきましたね。

秋と言えば「芸術の秋」、「食欲の秋」、自然の恵みを存分に楽しめる季節です。

「芸術の秋」ということばの由来には、色とりどりの紅葉、耳に優しい鈴虫の音色、過ごしやすい秋空の空気などがあり、俳句の世界では、「文化祭」「芸術祭」は秋を表す季語だそうです。

ー 芸術祭 色彩豊かな 主を思う ー

「恵み」や「祝福」を色彩と表現して”麗しき主を仰ぎ見て、主の宮に住み、主を思う” ♬ という詩編27篇4節の賛美からインスピレーションを得た一句を作ってみました。

グレースシティチャーチ東京は、今週末からニューヨークよりゲストをお迎えして、芸術、信仰、ワークライフ、紅葉の秋などを楽しむ様々なイベントを企画しています。

10月14日(土)には浜離宮朝日小ホールにて、様々なアーティスト達をお迎えして秋の芸術祭 Art Festivalを開催します。詳しくはコチラ

忙しい生活の中で、少し立ち止まり、違う世界に触れてみることは、人生を新たな視点で考える良いきっかけになります。リフレッシュの機会として、この時期をぜひ用いてくださいね。

世界を造られた神が、6日間で世界を創造し、7日目に休んだ(安息した)と聖書には書いてあり、休息する時に神を思わ(礼拝し)なければならないと勧めて(命令して)います。

私は、仕事を優先し、休む事を後回しにしてしまう傾向があり、休むべき時間や家族と過ごすべき時に、仕事のニーズに応えてしまう事が多々あります。それを続けていくと、私事と仕事の区別がつかなくなり、メリハリのない生活に陥ってしまいます。自分の許容量には限界があるので、「神を思う」という心の余裕がなくなっていくからです。不満や文句の言葉がムクムクと浮上してくると、心のアラームが信号のように点滅します。

「休む」ことは、何もしないという事ではなく、もっと深い意味があるような気がします。なぜなら、日本の現代社会においては、休むことの難しさが、深刻な問題になっているからです。休むことを優先すると、生活そのものや人間関係を脅かす可能性があるので、それを恐れて、休みづらくなるのかもしれません。

聖書の創世記では、神は6日間かけて世界を創造するという仕事をこなし、7日目に仕事を休みました。その7日目に、神を礼拝すべきである事が特筆されていますが、それは、どのぐらい人生を豊かにするのでしょうか?

働き続けて休まない事が、生産的でない事は、ある程度は理解されているかもしれませんが、休みの時に、自分の好きな事だけを優先する事が、全ての解決になるわけでもありません。

みなさんは、どう思われますか?

今週の日曜日には、「ワークライフ」について話し合うディスカッションもありますので、お互いに良い分かち合いができるといいですね。

さて、先述しましたが、今週末から、NYから短期宣教チームが来日します。その中には、ビジネスマンだけでなく、俳優、ミュージシャン、ファッション関係の方々も含まれいます。

普段ではあまり体験できない出会いもありますので、ぜひ、この機会をお見逃しなく!楽しんでくださいね。

(文 : はやしももこ)

 <   2017年 芸術の秋のスケジュール  – NYチームを迎えて- >

①10月8日(日)WORK LIFE ディスカッション – Sun 8th Oct : Work Life Discussion

礼拝の前後の時間帯に、NYという忙しい街で活躍している方々と共にディスカッションをします。
場所 / 時間 : KDDI HALL 第1礼拝前 AM 11:00 – 12:30    第二礼拝後  5pm – 6:30pm

②10月9日(月祝)ピクニック  Mon 9th Picnic in Edo Tokyo architectural museum

場所 / 時間 : 江戸東京たてもの園 10am – 3pm

③10月11日(水) ランチタイム ミーティング パーティ  Wed 11th Lunch Time MTG Party

場所 / 時間 丸ビル 7pm – 9pm

④10月13日(金)老人ホーム訪問(新富町) Fri 13th  RETIREMENT HOME VISIT 

場所:社会福祉法人 シルヴァーウィング  東京都中央区新富1-4-6 

⑤10月14日(土)秋の芸術祭 2017 「隠れた美」- HIDDEN BEAUTY –  Sat 14th Oct

場所 / 時間 : 浜離宮朝日小ホール 1pm – 5pm
申込み : www.communityarts.jp/festival2017

⑥ 10月15日(日)ANYTHING GOES 幕屋プロジェクト ファンドレイズ コンサート

場所 / 時間 :  KDDI HALL大手町  4pm – 4:30PM

⑦10月15日(日)NY Team 歓送ディナー Sun 15th Oct Farewell Dinner 5pm – 8pm

詳しくはウェブサイトをご覧ください。

良い秋をお迎えください〜

コミュニティ / Community

こんにちは、グレースシティに通うアメリカ人のアーロンです!今回のブログは友達の結実さんに翻訳していただきました。英語の原文は後に続きます。

Hello! This is Aaron; I’m a regular attender of Grace City from the US. My friend Yumi kindly translated this post into Japanese for me, but the original English is below.

日本の社会は、フレンドリーで真面目ということで知られています。これは特に僕のような外国人にとっては顕著に感じることです。僕は1年ちょっと前にアメリカから日本に引っ越してきました。とある多国籍企業で働いており、今までに僕と同じような駐在員にたくさん出会いました。その人たちの大半が、日本人のフレンドリーさに驚かされると言っていました。日本人はとても優しい人たちで、新しい人に出会うことが大好きな人が多いです。でも遅かれ早かれ、外国人は日本の社会に根付いた境界線の問題に直面することになります。例えば、「先輩と後輩」、「本音と建て前」、「内と外」などです。

この「内と外」がおそらくもっとも面倒な問題だと思います。僕は結構な頻度で、日本人コミュニティに本当の意味でなじめなくて、国へ帰ることにしてしまった外国人の話を耳にします。僕が思うに、友達ができなかったからではないのです。所属感やコミュニティへのつながりが欠けていたからなのです。

僕自信も日本の社会のストレスやプレッシャーを感じてきたので、ある程度は理解できます。でも広い意味で、僕の経験は他の外国人と比べて異なるものだったと思います。日本で過ごした1年半の間、僕は本当の友達を見つけただけではなく、自分のことを積極的に気にかけてくれて、受け入れてくれるコミュニティが少なくとも一つはあったからです。僕はただラッキーだったのかもしれません。ラッキーどころか、クリスチャンの言葉で言うならば、恵みによって祝福されているのです。

僕の場合は、寛大に受け入れてくれたコミュニティというのは教会であり、特にコミュニティグループでした。

クリスチャンとして、僕は毎週日曜日の礼拝を楽しみにしています。礼拝は、毎週一度立ち止まり、自分の人生の中心である神に焦点を合わせる機会をくれます。ただし、礼拝は他の人と知り合う所としてはベストな場所ではありません。ですので、グレースシティは多くの教会がやっているような、コミュニティグループ(以下コミグル)を毎週、開催しています。少人数のグループが、日曜日以外に東京の別の場所で集まるのです。コミグルでは聖書を学んで祈りますが、友人となり、一緒に考えることが重要な点です。僕たちは学びながらディスカッションをします。そして、自分たちの人生で起こっていることをシェアして祈り合います。

つまり、僕はコミュニティグループに参加することで日本で所属すべきコミュニティを見つけたのです。だからコミグルは本来の目的を成していると言えると思います。そうですよね?

でもどうしてコミグルは成り立つのでしょうか?どうして僕は疎外感を感じることなく、このコミュニティに惹かれたのでしょうか?どうしてこの特定の場所にコミュニティを見い出すことができたのでしょうか?

僕が思うに、クリスチャンが礼拝する神ご自身がまさにコミュニティであり、クリスチャンであるということはまさに部外者をコミュニティに受け入れるということだからなのではないでしょうか。

キリスト教の神はユニークで、3つの存在でありながら一体的です。神は父、子、聖霊の3つの「位格(人格)」から成っており、この3位は完璧な一体感を持つゆえに「ひとり」と呼ばれています。要するに、神ご自身がしっかりとつながり合うコミュニティそのものなのです。

神が人間を作られたのは、人間がこのコミュニティに参加し、これを拡大するためでしたが、人間はこれを拒絶し、自ら離れていったのです。人間はこの親切を拒絶で返し、神がこれに対して怒るのは人間にとって当然の報いです。人間は自分が払える以上のものを神から受けています。でも神は僕たちのことを深く愛しておられ、彼自身が僕たちの負債を返してくださいました。キリストが十字架の上で死なれたとき、彼は僕たちが受けるべき罰を身代わりになって受けてくださったのです。その結果、僕たちが願えば無償の赦しが与えられるようになりました。福音、すなわちキリスト教のメッセージとは、キリストを通して僕たちは神のコミュニティに再入場できるということなのです。

教会が(きちんと機能していれば)素晴らしい受け入れの場所となるはずです。僕たちは何もしなくても、一人残らずみんなが神の家族として迎え入れられているのです。だから、僕たちも他の人々を家族として受け入れることができます。これは人格、言語、文化を超えるものです。これこそが誰もが参加できる暖かく、愛にあふれたコミュニティの基盤なのです。

Japanese society is known for being both friendly and rigid. I think this is especially apparent to foreigners like myself. I moved to Japan from the US a little over a year ago, and since I work at an international company, I’ve met many other expats as well. Most of them seem to be struck first by Japan’s friendliness: Japanese are all so nice, and most of them are enthusiastic about meeting new people. But sooner or later, almost every expat runs into one of the many boundaries in Japanese society: between senpai and kohai (social “superior” and “inferior”), tatemae and honne (a person’s “facade” and “true feelings”), or uchi and soto (the “inside” and “outside” of a group).

This last boundary is perhaps the most troublesome. I’ve heard more than a few stories of expats who have left after a few years, frustrated that they were never truly able to work their way “into” a Japanese group. As far as I can tell, what they lacked was not friendships. It was a sense of belonging, a sense of community.

To a certain extent I understand, because I have felt the stress and pressure of Japanese society myself. Yet on the whole, my personal experience has been very different. In the year and a half I’ve spent here, not only have I found many genuine friends, I have also found at least one group that has actively reached out and drawn me in. Maybe I just got lucky. Actually, I won’t deny that I’ve been very lucky–or to use the “Christianese” word, blessed. But I think there’s a bit more to it than that.

In my case, the group that has so graciously drawn me in has been my church, and especially my community group.

As a Christian, I look forward to Sunday worship services. They give me a chance every week to pause and re-focus on God, who is the center of my life. But worship services are not always the greatest place to get to know other people. So, like many churches, Grace City has formed community groups, which are smaller groups of people that meet on different days of the week, at different locations throughout the city. We study the Bible and pray, but most importantly we do this together as friends. We discuss as we study. We share about our lives and pray for each other.

In short, I found community in Japan by joining a community group. So it sounds like community groups work as intended. One would hope so, right?

But why do community groups work? Why did I feel drawn into this group, instead of pushed out? Why did I succeed in finding community in this particular place?

I think perhaps it’s because the very God whom Christians worship is a community, and the very message of Christianity is about welcoming outsiders into this community.

The God of Christianity is unique in being three in one. He consists of three “persons,” the Father, the Son, and the Holy Spirit, yet these three are in such perfect unity that they are called “one.” In other words, God Himself is a close-knit community.

God created humans to join and expand this community, but we have all rejected him and excluded ourselves from it. We have repaid his kindness with offense, and now he is angry with us, and we deserve it. We owe him more than we can pay. But God loves us so much that he himself paid what we owe. When Jesus died on the cross, he took the punishment that we deserved for our offensive behavior. As a result, free forgiveness is available to us if we ask for it. The Gospel, the message of Christianity, is that through Jesus, it’s possible for us to re-enter God’s community.

I believe this is why churches (when they function properly) are such amazingly welcoming places. We have all been welcomed into God’s family even though we did nothing to earn it. Therefore we can freely welcome others into our family. This transcends personalities, languages, and cultures. It’s the foundation of a warm, loving community that anyone can join.

祈りのコミュニティ

毎月2週目の1部礼拝と2部礼拝の間の時間(14:30~15:00)にグレースシティチャーチ東京では「祈り会」を行っています。
この祈り会は、神様に喜ばれる働きの一端となるよう、祈るわたしたちにとっても祈りの喜びを実感できる時間となるよう、集う人々と共に祈りつつ、まだスタートしたばかりです。
(どなたでも!ご参加いただけます^^。途中参加 ・途中退室、可能ですよ☆)
神様に聞いて頂きたいことは尽きないものですが、わたしたちはどのように祈ったらいいのでしょうか。
これについての答えは、祈り手の心の状況によって何通りもあると思いますが、聖書には明確に書かれてあります。祈りを聞いておられる神はいつも変わることがない、ということを覚えつつ、前回の祈り会で分かち合った聖書の箇所をご紹介します。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」エペソ人への手紙6:18

この聖書箇所は、パウロがエペソの人たちに獄中から送った励ましの手紙の最後の章に登場します。エペソは偶像礼拝の盛んな地であり、物質的にも豊かな町でした。サタンの誘惑や試みが多いこのエペソで、パウロは手紙の最後にかけて、こう記しました。

「主にあって、その大能の力によって強められなさい。」エペソ人への手紙 6章10節

「神のすべての武具を身につけなさい」と続きます。「真理の帯」「正義の胸当て」「平和の福音の備え(靴)」「信仰の大盾」「御言葉の剣」などの言葉が出てきます。まさしく戦士が戦いに出て行く情景が浮かびます。

それは、わたしたちがこの世にあって流されやすく、弱い存在だからこそ、強められるために必要なアイテムであり、それらはすべて主なる神、キリストを信じることによってすべて与えられることが大胆に記されているのです。

旧約聖書を見ると、神様の力によって、どのような武器を持ちわせても、それを敵から奪いとられたり、失ったりして、力が弱まり、滅ぼされてしまった人々が多く登場します。

しかし、キリストを信頼した戦士たちは、たとえどのような結果になっても死ぬことがなく、天の御国で生きることが約束されています。

では、キリストの戦士として、わたしたちはどのように祈るべきでしょうか。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。エペソ人への手紙6:18

すべての祈りと願いとは、神様へ対する感謝、賛美、とりなし、期待も嘆きさえも含まれています。それをいつも、どんなときにも御霊に導かれて祈りなさいと記されています。

そのためには絶えず目を覚ましていてすべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさいエペソ人への手紙6:18

情報が氾濫する中で、あらゆる誘惑にさらされながら東京に住む現代の私達にとって、絶えず目をさまし、福音を心のど真ん中に置き、キリストの元に立ち続けることは、まさに戦いであり、時に難しいことです。その中で祈り続ける忍耐を、神様は決して無駄にはされず、かえってそれを喜び用いてくださいます。

自分のことや家族や職場のことだけでなく、 「すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」とパウロは書きました。エペソではユダヤ人と異邦人との一致が大きい問題だったのですが、私たちも一致のために、お互いのために、どんなに違う性格、違う背景の人々の中にあっても、全ての聖徒のために祈る者でありたいと励まされます。

一人でも多くの人々の信仰のために祈りを積み続け、主に期待し続けることが戦士の役目であり、必要であることがわかります。

キリストを信じ始めた頃は、誰もが信仰的には赤ちゃんです。しかし、日々、御言葉を食べ、祈りを重ね、兄弟姉妹と関係を築き、父なる神様に益々成長させられて、キリストの戦士へと成長 させられることが重要です。その一人一人が連なり、輪となって、神様の恵みや栄光を表すコミュニティへと変革するのです。

そのような変革を遂げたコミュニティへと成長するよう、イエスご自身も、忍耐の限りを尽くして、私たちのために自分のいのちさせ犠牲にして下さいました。十字架で、私たちの罪を聖負って、全ての聖徒に赦しを与えて下さいました。そして、イエスはエペソの手紙によってパウロを通して私たちが一致を持つ、成長したコミュニティになることを祈るように命じています。

この祈り会が、心を合わせ、御霊によって祈る時間となり、祈りの戦士へと主がわたしたちを成長させてくださる機会となることを期待しています。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。

そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために忍耐の限りを尽くし、

また祈りなさい。エペソ人への手紙6:18

 

いつも私たちより先を歩いてくださる神様

こんにちは、グレースシティのゆみです!

今週の礼拝のメッセージは、ヨシュア記3章1-17節から「試練の河を越えて」という題材で取り次がれました。

いつもなら過去のメッセージはこちらにアップされるのですが、残念ながら機材の不具合で録音ができなかったので、こちらのブログにメッセージの簡単なまとめと感想を書かせていただきます。

ヨシュア記3章は、カナンの地を目指して旅だった契約の箱とイスラエルの民が、ヨルダン川を渡るというシーンです。

 

今回のメッセージから得られる3つの学びポイントは、
①試練に進むとき、主なる神は誰よりも先に進んでくださる
②厳しく苦しくても、主は素晴らしさを表してくださる
③イエスを信じ、歩もう
でした。

 

①試練に進むとき、主なる神は誰よりも先に進んでくださる
ヨシュア記3章4節には、「あなたがたと箱の間には、約二千キュビトの距離を置かなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」とあります。

キュビトとは当時の長さの単位で、1キュビト=約44センチと言われています。
ですので、契約の箱は民よりも880メートルも先を進んでいたということが分かります。

これと同じように、神様は私たちが試練や、挑戦したことのない道を通る時、先を行ってくださいます。

神様が先に歩いて、道を整えてくださるのです。だから、私たちは安心して進むことができます。

 

②厳しく苦しくても、主は素晴らしさを表してくださる
モーセがイスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出する時に、神様が海を干上がらせた出エジプト記のシーンは有名ですが、ヨシュア記3章でもその時と同じような奇跡が描かれています。

神様は、民が渡ることができるように、ヨルダン川の水をせきとめてくださいました。

このように、厳しく苦しい試練の中でも、神様は私たちには想像もつかないような形で、ご自身の素晴らしさを表し、導いてくださいます。

 

③イエスを信じ、歩もう
現代の私たちには、モーセやヨシュアの時代のように直接神様の言葉を聞いたりすることはないかもしれません。

でも、私たちにはイエス様の救いが与えられています。
イエス様の愛が、夜道の中での灯のように、私たちを導いておられるのです。

 

今回、このようなメッセージを聞いて、私自身もとても励まされました。
日々立ち向かうチャレンジの中で、なぜこんな目に遭わなきゃいけないのか、どうしてこんな扱いをうけなければならないのか、そんなことが多々あります。

でもその一つ一つの試練の先には、神様がおられるということを改めて思い出させられました(880メートルも先ではなく、きっともっと近くに!)。私たちがその試練を乗り越えられるように、すでに道を用意してくださっているのです。

神様が私たちよりも前におられることを確信し、前に進みましょう!

主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。―申命記31章8節

リトリートで体験したことについて

今回は、5月のリトリートに参加された奈央さんの証をご紹介いたします!

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みなさん。こんにちは。奈央です。

私は5月3日から5月5日に行われた、春のリトリートに参加しました。今日は、そのお話をさせて頂きます。リトリートに参加するのは2回目でした。前回もとても楽しく、有意義な時間だったため、今年はキッズのサポートもするということで、とても楽しみにしていました。

軽井沢に着くと、澄んだ綺麗な空気と、豊かな自然が私たちを迎えてくれました。現地の軽井沢ユニオンチャーチでは、3日間を通し賛美、メッセージ、バイブルスタディーを行いました。

今回は特に偶像について理解し、それを悔い改め、福音によって人生が新しくされるということを学びました。私は今まで日常の生活で、自分の偶像と向き合うことはあまりせず、むしろ少し偶像について考えることを避けていたように思います。けれども今回の学びで、感情の問題を用いて考えたことで、自分の偶像に気付くことができました。

私は楽しみや快適さを与えてくれる家族や友人がいることに人生の意味、価値があるという偶像に支配されることが多いことに気が付きました。その偶像に支配されている時、どれだけ生活が充実しているかで人のことを妬み、自分と比べ相手を裁いてしまうような時もありました。また、相手から自分の生活をどのように見られているのか、良く見られたい、という人の目に対する恐れもありました。このような私の問題でも、神様はとりなし、気づきを与えてくださいました。

エペソ書1章11章「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです」

この御言葉とともに、東京に戻ってからも偶像に支配されないよう、忙しい中で、心を落ち着かせ友人と聖書を読む時間が与えられました。そして、自分中心の祈りから、神様の御心を求める祈りに変えられていきました。神様が与えてくださった家族、友人一人ひとりを感謝し大切にし、何よりキリストにあって喜ぶ人へと造り変えられて歩みたいと強く決心しました。さらに家族、友人に福音を伝える勇気、知恵、機会が与えられるよう、これからも神様に期待し祈り続けていきたいです。


大人がセッションをしている間、子供たちは別の部屋で賛美、メッセージを聞き、ゲームをする時間があります。そこで今回キッズプログラムのお手伝いをしました。キッズの奉仕では子供たちが楽しそうに一生懸命賛美をする、その純粋な思いや、真剣にメッセージを聞く姿勢に、感動し、癒されました。

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また子供たちのために、たくさんの方々が、お手伝いしてくださったことに励まされ、感謝でいっぱいの気持ちになりました。子供たちの純粋無垢な心に触れ、マルコの福音書10章14-15節「子供たちを私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子供のように、神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません」

この御言葉を思い起し、子供たちのように神様を求めつつ、学び、多くの子供たちに神様のことを伝えていきたいです。

リトリートでは神様の大きな恵みと、感謝に溢れる2泊3日を過ごしました。これ以外にも、神様が創造された美しい自然、毎日食べたくなるようなおいしいジェラート屋さん、行列の出来る焼き鳥屋さん等、軽井沢には素敵な魅力がたくさんあります。ハイキングをしたり、スポーツをしたり、夜な夜な語り合ったり、日曜日の礼拝とは一味違った、兄弟姉妹としての深く交わりの時間を持つことが出来ます。

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まだリトリートに参加されたことがない方は、是非、今月に開催される秋のリトリート(9月16日-18日)に参加しませんか?

一緒に参加出来たら、とても嬉しいです!

最後にリトリート開催のために尽力してくださった方々、そしていつも豊かな恵みを与えてくださる神様に心から感謝しています。

グレースシティチャーチ 秋のリトリートのおしらせ

2017年9月16日(土)ー 18日(月祝) 場所 : 軽井沢リトリートセンター
詳しくはコチラ

夏の終わりに差し掛かって

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19篇1節)

こんにちは、グレースシティでスタッフをしております野村です。

8月ももう終わりに差し掛かっていますが、この夏の暑さはまだまだ続きそうですね。
夏は、この世を創られた神様の素晴らしい業を堪能するのには、絶好の季節です。

山に登り、神の創られた雄大な自然を満喫し、海に行き、波の音、そして青い空に飛ぶ鳥を見ながら、神様の創造のすばらしさに驚き、また夜になれば、夜空の星の輝きに目をとめて、素晴らしく作られた天を仰ぐ。

このような自然の素晴らしさを堪能、満喫するために、またはリフレッシュするために、夏休みを取って、何処かへの旅行の計画を建てられた方もいらっしゃると思います。

また東京に残って読みたい本を読んでみたり、家族との団らんを楽しむのも良い夏休みの過ごし方だと思います。

しかし、現実的に、夏休みは長いようで、短く感じ、そして有限なものです。

休みが終われば 、またいつもの生活が始まると憂鬱に駆られる人もいらっしゃるかもしれません。

しかし、良い知らせがあります。この世を創られた神は、信じる人たちに、永遠の安息を与えます(へブル書4章3節)。

その安息に私たちを招き入れるために、父なる神は、最愛の御子イエス・キリストを十字架に付けられました。

自分の罪を悔い改めて、神を信じ、赦しを願いましょう。主はあなたを永遠に続く喜びにあふれる安息へと導きいれて下さるお方です。

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手に持っているのはグレースシティこの夏のオススメ図書、マルティン・ルター著「キリスト者の自由・聖書への助言」。
福音主義の信仰とは何か?に迫り、キリスト教の生活全体を示したものです。

立川昭和記念公園でBBQを行いました!

こんにちは!グレースシティメンバーのゆきほです。

少し前となりましたが、7月8日(土)に立川昭和記念公園でBBQを行いました!

この日は、30℃を超える暑い中でのバーベキューとなりました。

BBQ1

今まで夏のイベントとして、「浴衣パーティー」を5回ほど行なってきましたが、今年は都心を離れたBBQです!

ところで、グレースシティの頭文字である4つの「G」をご存知でしょうか?

Gospel, Grace, God and Gourmet

イエス様は、弟子たちや様々な背景を持つ人たちとともに食卓につくことを楽しみ喜ばれました。そのような祝宴好きなイエス様は「グルメ」であると言えるのではないでしょうか。

BBQ2

食事をともにすることは、友情関係を持つことを意味しています。

そのように、イエス様は利害関係なしに私たちの友人となられたのです!それは、良き知らせ(Good news)です。

グレースシティは都市に福音を宣べ伝える使命がありますが、わたしたちは休みを得ることも必要です。そこで、忙しい都心を離れ自然豊かな場所に行き、神さまの下で休息を得ることにしました。

BBQ3

キリストにある兄弟姉妹でBBQを楽しみ、フリスビーや水風船をしておもいっきり楽しんできました!

 

~みんなで食事の準備~

それぞれが得意なことを持ち寄って、美味しいBBQのために励みます。

このコミュニティの中心に居られる神さまに感謝して…みんな:「かんぱーい!」

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BBQ奉行な男性陣が美味しく焼き上げてくださいました!

グレースシティの礼拝で会う人や毎週のコミグルで会う人、会う頻度は様々ですが、週末の美味しいBBQとおしゃべりを通して、更にお互い知りあうことができました。(とーっても幸せそうですね!)

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~BBQ後の集合写真~

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今後も、キリストにあって豊かな友人関係を広げていくことができますように!

食事の後はアイスクリーム!それから広場に移動して、大人も子どもも関係なしに思う存分に遊んできました。

~フリスビーと水風船ではしゃぎます~

BBQ12

BBQ13

「思ったより、水風船があたらず濡れることができないね!」ということで…

真上に投げて一斉に水風船へ当たりにいきました 。

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カラフルな水風船が空色に映えていて、とってもきれいでした!

 

今後も「グルメ」なイベントを通して、キリストの素晴らしさを味わっていくことでしょう。

以上、7月8日のBBQについてでした!

結婚について

グレースシティの礼拝では3回シリーズで結婚について学んでいます。最終回になる8月6日(日)の礼拝では結婚をめぐるQ&Aセッションも行ないます。ぜひ、ご参加ください。

(以下は結婚について考えるための簡単なイントロダクションです。テーマ : 結婚シリーズの動画、エペソ人への手紙5章21-33節(聖書)はこちらからご覧いただけます。)

結婚marriageには神秘mysteryと誤解misunderstandingがあります。どちらかといえば、独身の人たちは理想や夢を伴う神秘を強調するきらいがあり、すでに結婚している人たちは問題や失敗を生み出す誤解に悩まされているのではないでしょうか。結婚をサポートするブライダルビジネスの市場は2兆7千億円を売り上げるビッグビジネスであり、いかに多くの人たちが、個人的にも社会的にも結婚に大きな期待を持ち高い価値を置いているかが分かります。しかし、その一方で離婚件数は結婚全体の36%に上り、3組に1組以上が離婚し、1分49秒に一組の割合で離婚するのが現状です。そのうち結婚後5年以内の離婚は33%に上り、離婚原因の60%以上が「お互いの性格が合わない(性格の不一致)」というありふれた理由によるものです。

このような現実が意味しているのは、そもそも結婚の意義や目的などのヴィジョンが十分に共有されていないこと、夫婦の間で男性と女性の違いを寛容に受け止める準備ができていないこと、また相互理解やコミュニケーションの方法やスキルに熟練していないことなどがあげられます。しかも、結婚についてその意義や目的を学んだり、十分な準備をするための結婚前カウンセリングなどがほとんどなされていません。牧師として結婚前カウンセリングを通常8回に渡って行いますが、これまで何組もの両者ともにクリスチャンでないカップルの結婚前カウンセリングを行ってきました。非常に大きなブライダル産業が発展しているのにもかかわらず、本質的な結婚の準備は全くおろそかにされているというアンバランスは危機的でさえあると言えるでしょう。

そのようなわけで、聖書から結婚について学ぶことは、クリスチャンにとって意義深いだけではなく、クリスチャンでない方々にとっても非常に有益だと思います。

「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2章24節)

神は私たちの祝福と安全のために結婚という制度を定めました。ひとりの男とひとりの女は、誠実な約束によって一生涯に及ぶ契約を結び、お互いにそれぞれの時間や賜物やお金やすべての資源を喜びをもって互いのために与え、キリストが示した豊かな愛をもって仕え合うことにより成熟していきます。これが神秘的でさえある結婚です。

しかし、現代の私たちは、できるだけ犠牲を払う必要のない、自分の人生に満足をもたらす自己実現を相手に求める傾向があります。現代社会の消費市場主義に慣れ親しんでいる私たちは、結婚に関してさえワンクリックで何でも手に入る手軽で重宝な結婚関係を求めてしまいやすいのかもしれません。私たちは欠点と弱さを持つ罪人ですから、それではうまくいきません。

結婚にも、キリストの福音の恵みによる悔い改めと信仰による霊的な刷新が必要なのです。夫と妻は自分たちの違いを寛容に受け止めるだけではなく、その違いが生み出すプライドや過ちや失敗を謙虚に認めて悔い改め、キリストの十字架の愛のゆえに互いに赦して支え合う必要があります。そのような歩みは祈りながら忍耐強く取り組む以外にはありません。神の恵みは結婚にも豊かに注がれているので、そのようなカップルは絶えず新しい望みをもって歩むことができるでしょう。

そして、夫と妻の関係がキリストの福音によって成熟していくなら、だれもが結婚関係に想像できないほどの豊かな祝福を得ることができます。聖書が語っている「助け手」「従う」「愛する」という3つのキーワードに注目しましょう。聖書には次のような結婚の教えがあります。

「神である主は仰せられた。人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2章18節」

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ書5章22,25節)

自己実現を最優先しがちな現代の私たちにとって、助け手であることや従うことを告げる聖書の教えは時代錯誤的だと感じるものです。しかし、キリスト教は結婚に関しても、人生の根本問題である自己中心を取り扱うようにチャレンジしているのです。「助け手」として配偶者の弱さ、欠点、足りない部分を補いサポートすることは、互いの関係を豊かにすることでしょう。「従う」ことは相手を尊敬し、自分のことよりも配偶者を優先することであり、「愛する」ことは互いに相手の幸せと喜びのために、自分の時間、賜物、お金、能力を与えることです。これはなかなか難しいことですから、キリストの福音による赦しと和解の恵みにより頼みましょう。独身者が結婚相手を探すときにも、すでに結婚した夫婦の関係においても、最も大きな妨げとなる問題は私たちの内にある自己中心性なのです。それゆえ、神の愛とキリストの十字架の赦しのもとで安らぐことを覚えましょう。福音の恵みに安らうときに、あなたの心は解き放たれて安全であり、愛されているので、あなたは自分の幸せと自己実現のために必要以上に相手に求めないで済むようになるからです。むしろ、満たされた心から周りの人に仕えたり、配偶者に対して尊敬と愛を与えることができるようになるのではないでしょうか。

著者 : 福田 真理  (グレースシティチャーチ東京 主任牧師)

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7月23日(日)キリストにある結婚(1)

7月30日(日)キリストにある結婚(2)

春のリトリート@軽井沢レポート!その2

2日目はなんと夕方まで自由時間!

お散歩してもよし、運動してもよし、寝ていてもよし(笑)。みんなそれぞれ好きな方法で軽井沢を満喫しました。

 

朝には有名な浅野屋にパンとコーヒーを食べに行ったりも。

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軽井沢散歩という名目で松井田峠へハイキング!

と思いきや、1時間もかかってガチハイキングになりました…。

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1時間歩いた後の頂上からの眺めは最高です!

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松井田峠はちょうど長野県の群馬県の境目となっています。

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ひとしきり眺めを楽しんだら、山の上にあるお蕎麦屋さん「しげの屋」へ。

 

夕方からのセッション2では「偶像からの解放」というテーマで、第一列王記19章1~18節を学びました。

エリヤが女王イゼベルから逃げるシーンですが、神様から導かれているのにどうして「恐れ」が消えなかったのか?そして自分の恐れているもの、偶像としているものについて考え直し、分かち合いの時を持ちました。

 

続いて3日目の朝のテーマは「福音の力」。自分が恐れているもの、偶像としているものから離れるため、いかに福音のパワーが重要かについて意見を交換しました。

 

最後に、大人のプログラムと平行して行われていたキッズプログラムの締めくくりとして、子供達がリトリート中ずっと練習していた賛美ダンスを披露してくれました!

普段はなかなか大きな声で歌ってくれない子供達も、いわゆる「キャンプマジック」と言わんばかりにノリノリでパワフルな歌と踊りを見せてくれましたよ。

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みんなで集合写真!

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都会に住んでいる私たちにとっては、ついつい忙しい生活に追われて、自分の人生や神様との関係について考え直す機会が持てないものです。

そんな私たちにとって、リトリートはいつも見落としがちな大切なものを振り返る良い時間となります。

 

グレースシティでは秋にもリトリートを開催予定です!
どなたでもご参加いただけますので、詳細はこちらからチェックしてみてくださいね^^

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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

マタイ11章28節

春のリトリート@軽井沢レポート!その1

こんにちは!グレースシティの結実です。

グレースシティでは毎年ゴールデンウィークの時期に、都会の喧騒から離れてみんなでプチ旅行(リトリート)に行きます。

開催からあっという間に2ヶ月も経ってしまいましたが、今回はそのレポートをさせていただきたいと思います!

この教会に5年近く通っていながら、リトリート参加は実は初めてのわたし。

教会のキャンプというと、朝から晩までメッセージを聞いたり歌を聞いたりゲームをしたり交わりをしたりで、自由時間は3時間(笑)といったものにしか参加したことがなく、それもそれで恵みは多いのですが、正直後から疲れが来てしまったりするんですよね(歳か)。

そういった点では、グレースシティのリトリートはいい感じに「緩く」て、とてもリラックスすることができました!

そもそもグレースシティは、東京で忙しく毎日を過ごしている人たちに福音をもたらすために設立された教会なので、普段の礼拝の時間帯も午後から。リトリートでは心と体を休められるように、ゆったりとしたスケジュールに設計されているんですね。

場所は軽井沢リトリートセンター。

お昼過ぎに車や新幹線など各自移動しやすい手段で集合し、プログラムが始まりました。

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軽井沢に降り立ってテンション高めの福田先生。

夕方からは第一回目のセッションがありました。この時のテーマは「福音による霊的刷新」。賛美&メッセージの後、グループに分かれてディスカッションをしました。創世記32章22~32章を読んで、自分の怖れや心の偶像について洗い出します。

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セッション1の後は皆で夕食!この日は軽井沢名物のソーセージのお弁当です。

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その後は賛美をしたりお茶を飲んだりしながら語り合いの濃~い時間を過ごしながら、夜が更けていきました・・・

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その2に続く