HOPE – お弁当プロジェクト

HOPEミニストリーの中のお弁当プロジェクトに参加しています、みねです。

お弁当プロジェクトでは、皇居外苑にいるホームレスの方にお弁当を差し入れしています。

現在は、お弁当と飲み物を60セットと、いくつかの日用品を用意して皇居外苑周辺を歩いて回っています。差し入れするだけの時もあれば、話を聞いたり、芝生に座って一緒にお弁当を食べたりする時もあります。最近は、お名前を教えていただくことが増えてきて、お名前を呼んで挨拶できるのが嬉しいです。


お弁当プロジェクトが始まったきっかけ

お弁当プロジェクトがスタートしたきっかけは、教会のイベントで東京駅周辺を歩いて東京のために祈るPrayer Walk(プレイヤーウォーク : 祈りの遠足)でホームレスの方の存在に気づいたことだそうです。


お弁当プロジェクトの目的  –  隣人を愛して、必要に応える

お弁当プロジェクトの目的は「隣人を愛して必要に応える」ということで、イエス様の性質が表されることです。イエス様は人との対話を通じ、それぞれの人の状況に応じて必要なことをご存知です。お弁当をもって話をしに出かけます。

あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

ヤコブの手紙2章16節


お弁当プロジェクトはどのように準備しているの?

私がお弁当プロジェクトに参加し始めたのは、2011年の大震災後からです。最初は月1回のプロジェクトでしたが、2014年から月2回になりました。

お弁当ってどうやって準備しているのかという事を時々質問されます。お弁当プロジェクト全体の準備についてご紹介したいと思います。思い浮かぶ言葉は、ヒト、モノ、話題、天気、お金です。


人 – ヒト

お弁当を必要としている方が何人いるのか、お弁当を渡すのを手伝って下さるボランティアが何人いるのか、当日に行ってみないとわかりません。参加するたびにドキドキしますが、教会に行くときの気持ちに近いかなと思います。何度もボランティアをして下さっている方々とは事前に連絡を取り合える環境に感謝し、神様に祈ってさらにどんな賜物をもった人を送って下さるのかに期待します。


物 – モノ  :  お弁当・飲み物・日用品の調達、それらをどのようにして集合場所まで運ぶか?

お弁当・飲み物・日用品の調達、それらをどのようにして集合場所まで運んでいるか? 正直、これにはリーダー達がかなりの時間と労力をかけて取り組んでいます。私個人は、神様に知恵を求めながら、リーダー達やボランティアの方々と段取りを工夫して実践していくことに面白さを感じます。東京の便利さを思うのもこの時です。これまでに、集合場所までお弁当を配達してくれるお弁当屋さんがあるとか、コンビニで飲み物を予約できることなどの知恵が与えられました。

2016年に、セカンドハーベスト・ジャパンとつながる事ができ、お弁当をご提供いただけるようになりました。

お弁当
セカンドハーベストからご提供いただいているお弁当
お弁当セット
配布用にお弁当と飲み物をセットにして、ボランティアが運びます

セカンドハーベスト・ジャパンへお弁当を受け取りに行き、飲み物と一緒に袋に詰めます。(写真上) 飲み物を電車やタクシーで運んだり、インターネット通販を利用したりとこれまで様々な工夫をしながら変遷してきました。

日用品は献品いただいたり、献金で購入したりしています。一人が預かると一度に運びこめないなど、必要に応じて集合場所に運ぶための課題があり、毎回、知恵と工夫を祈り求めています。


話題

ホームレスの方々と話しをしているうちに、困っていて解決したいことなどを耳にするときがあり「今度○○さんに会ったら、助けになる情報提供をしたい」と思うことが多くあります。たとえば、体調が悪いときに病院に行く方法や生活保護を受ける方法などです。

認定NPO法人ビッグイシュー基金が編集・事務局をしている路上脱出ガイドの存在を知ってからは、必要に応じて渡したりしていますが、自分でも読むと勉強になります。路上脱出ガイドに出ている様々なNPO法人のセミナーがあれば私自身も参加し、お弁当プロジェクトの他のリーダー達やボランティアの方々と情報共有をしています。

より多くの人が神様の愛を知り、福音が伝わる様にと祈りながら、時には、聖書の御言葉や、教会の礼拝の日程案内を印刷して持っていきます。ボランティアの方も時々自主的にその様な資料を持ってきてくださいます。


天気

天気の準備(?)というとおかしいですかね。雨でもお弁当プロジェクトは開催しますが、お弁当を配布する側も、受け取る側も大変です。お弁当プロジェクトの日が近づいてくると、天気予報をこまめに見ては、神様に祈りながら、お天気のことを相談しています。


お金

教会の献金の予算内におさまるよう、やりくりをして月単位で管理しています。お弁当を無償でご提供いただけるので、日用品を買う事ができるようになってきました。日用品を下調べして、違う日に買いにいくと安くなっているという経験もあり、神様の恵みを感じます。

できるだけ多くの方の必要に応えるために、衣類についてはできるだけ献品をお願いしています。靴下や靴などは、3ヶ月ほどで使い切ってしまうため、需要が高い日用品です。


 

お弁当プロジェクトに参加しながら、私が感じている事は、ヒトからヒトへモノを渡すだけの一方通行ではないということです。励まそうとして、逆に励まされます。準備が不十分でがっかりさせてしまったときは、神様の前で、みな罪人である事を再認識します。お弁当プロジェクトへの参加がきっかけの一つとなり、進むべき道を見つけたボランティアの方々もいます。会社と家の往復だけで、それまでは近所づきあいをしていなかった私が、日常的に「○○さんはお元気かな?」とホームレスの方々を思いめぐらすようになりました。

何年後かにこの活動がどうなっているとよいか、リーダー達と話し合うことがあります。

キーワードとして、カフェ、シェルター、聖書の学び、礼拝などが登場します。

これからも、様々な教会とつながりながら運営していけるようにと願いつつ、神様がどのように働いてくださるのか、期待しながら祈っています。

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。ヨシュア記 1章 9節


お弁当プロジェクトの開催日と継続的な必要

お弁当プロジェクトは毎月第一、第三土曜日に開催しています。

ボランティアとして参加して頂く場合は12時5分に丸ビル1F丸キューブに集合しています。お気軽にご参加ください。1回だけだと、よくわからないうちに終わってしまうかもしれませんが、3回もしくは、月1回のペースで行ってみるなど、継続的に参加していただくと、お弁当プロジェクトの意義を体験できるかもしれません。

お弁当プロジェクトのリーダーを募集しています。今、現在、お弁当プロジェクトのリーダーは2名だけですので、足りない状況です。ぜひ、お祈りください。

献金によりサポートしていただくこともできます。

ご不明な点がありましたら、こちらにご連絡ください。

詳細 : www.gracecitychurch.jp/obento

 

コミュニティの中の「あなたと私」

こんにちは、グレースシティの隼人です。

今回は長老のジェームス ・ライトさんが執筆してくださいました。

Hello This is Hayato from Grace City Church. Our elder James Write wrote our blog article this week. English follows after Japanese. Please enjoy!


コミュニティ(地域社会)の中の「あなたと私」

The U&I in Community

同僚の一人が私に対して、独り言をよく言うのはなぜかと尋ねたので、こう答えました、「専門家の助言が時々必要になるからです。」と。彼は苦笑いし、私は続けました「答えが見つからない時はいつもこうします」。

自分の内なるカウンセラーに問いかける事が、最も賢明だと考える人は少ないかもしれません。自分自身が成長するためには、話し合い、相談、分かち合い、そして互いに仕え合うことが不可欠です。私たちは結局、社会的な生き物なのです。

聖書の一番最初のページには「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」(創世記1:26-28)と書かれています。その次の箇所には「人が、ひとりでいるのは良くない。」(創世記2:18)とあります。三位一体という複雑な神学的議論はさておき、神ご自身がコミュニティの中に在り、神ご自身が三位一体の神なのです。愛は、神というご性質(神性)の中で分かち合われ、その愛が我々と共有され、神の愛の中で私たちが成長するには、コミュニティを経験する必要があります。神の一人子が流された血によって、我々が一つになることこそが神の目的なのです。お互いに協力しながら、神の中で一致した心を持つこと。

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」(ヨハネの福音書17:21,22)

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グレースシティチャーチ東京では信仰と仕事について考える機会が多くあります。日本企業が求める高い要求に応えながら、キリストを信じる者がどのように職場で用いられるのか。私たちの人生の中で、どれだけの負担になっているのかを分かち合います。日本のビジネスマンの日常はとてもストレスが多く、仕事や私生活だけでなく、人間関係の中でも厳しい要求を強いられることが多々あります。

ストレスを抱えた夫は、仕事に関する悩みでいっぱいの心で、子どもの世話や家事に負われて途方に暮れている妻のもとに帰ります。年齢を問わず、独身者は空虚な心で誰もいない部屋へ帰ることがあるでしょう。それでも、キリストは互いの重荷を負い合うようにと命じています。互いのために助け合い、他者の必要を満たすことによってストレスは軽減され、心は癒されるのです。人生に可能性を見出し、喜びが生まれます。何よりも、キリストの内にある神の愛が私たちに見いだされ、私たちを通して輝くのです。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書15:11-13

私の友人デイビッドが、神のコミュニティについて例え話をしてくれました。天国と地獄の住人達が、神の素晴らしい栄光に満ちた宴会用テーブルに座り食事している姿を思い描いてください。テーブルに座るすべての老若男女が手首をつながれています。右隣、左隣にいる人々の人生が、それぞれ互いに繋がっています。

地獄では他者に全く気を止めず、無我夢中で食べようとします。これにより、食べ物を口に運ぶ前に他の者が妨害し、最終的にはみんなが飢えてしまいます。

天国では、喜んで隣人同士が助け合いながら食べるので、一人一人が満たされます。私たちも自分の事しか考えない時、誰も必要な物を得ることができません。各人がコミュニティの一部として行動し、お互いを尊い存在、また創造主に似た者として、自分自身よりも大切に扱うなら、私たちの必要は満たされます。

神のコミュニティには目的があります。それは神様が私たちに愛を示す数多くの方法の一つです。私たちは社会的な生き物であり、コミュニティを必要とし、愛を切望しています。何にでも同じことが言えますが、コミュニティも一歩間違うと、偶像や部族主義と化してしまいます。しかし、正しく育むことができれば、素晴らしい大きな家族のような親密な存在になりえます。

現代社会では、仕事中心の人生になりがちなのは否めません。結局のところ、仕事によって関係を作り、ビジネスが成り立ち、繁栄しています。しかし、敢えて、自分の周りを見ながら、皆さんに考えて頂きたいのは「その人が何をしているか」が、「その人が何者なのか?」を決定することにはならないという事です。環境、家族、友人、そしてコミュニティは私たちの人格を形成するのに、職業よりも遥かに重要な役割を担っているのです。

仕事について語り合うのは勿論、重要ではありますが、コミュニティの形成に力を注ぐことも同じぐらい大切です。コミュニティこそが、神の一人子や私たちに対する神の愛を体験する事ができる場所であり、根本的な意味でも、人間が人間らしく生きることができる重要な要素なのです。

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The U&I in Community

“It is not good for Man to be alone…”

When my co-worker asked why I talk to myself so much I said, “Because sometimes I need expert advice.” He smirked and retorted, “I do it when I want someone interesting to talk to.”

Very few of us would ever consider our own counsel the wisest. We need to discuss, consult, share, and serve one another in order to grow. We are, after all, social creatures.

On the very first pages of the Bible God says, “Let US make man in OUR image.” (Gen. 1:26-28) and then says “it is not good for Man to be alone” (Gen. 2:18). Without going into a complicated theological discussion on the Trinity, God is community; He is Triune, Three in One. Love is shared within the Godhead, and for us as well, we must experience community to grow in God’s love. It is His purpose that through the life-blood of His Son, we become one. In each other and in Him.

“I pray they will be one, Father, just as you are in Me and I am in you. I pray that they also will be in Us, so that the world will believe that You sent Me. I’ve given them the glory that You gave Me so that they can be one just as We are One.” (John 17:21,22)

At Grace City Church Tokyo, we talk a lot about faith and work — how the life of a believer plays out in the workplace and the high demands that Japanese business ethics can put on us. The life of the Japanese businessman/woman can be very stressful and demanding in professional and personal life as well as to our relationships.

Stressed husbands bring home occupied minds to tired mothers who are at wit’s end with children and errands. Singles, young and old, go home to empty houses with empty hearts. Yet Christ bade us to carry one another’s burdens. In serving one another and meeting one another’s needs, stresses are relieved and hearts are healed. Lives open up and joy blossoms. Most of all, the love of God in Christ is seen in us and through us.

“I have told you these things so that My joy may be in you and your joy may be complete. This is My commandment, that you love one another as I have loved you. Greater love has no one than this, that he lay down his life for his friends.…” (John 15:11-13)

My friend, Dave, gave me an allegory of God’s community. Picture those in Heaven and those in Hell all seated around banquet tables full of the glory of God’s goodness, he said.

Every man, woman and child at each table is chained together at the wrist. Each person’s life undeniably bound to the ones to the right and the left of them.

In Hell, each person is ravenously trying to eat without a thought for anyone else. Because of this, no one is able to reach their own mouth, each person preventing the other from eating and thereby all starving.

In Heaven, everyone is intent to feed their neighbour, thus each person getting their fill.

When we think of only ourselves, no one gets what they need. When we act as community and treat one another as more important than ourselves; glorious beings, images made in the likeness of the One who created us, we are all fed.

There is purpose to God’s community. It is one of the many ways He chooses to show His love for us. We are social creatures; we need community, we crave it. As with all things, if treated wrongly it can become an idol and lead to tribalism. But nurtured, it becomes a larger, extended and wonderful family.

I know it’s easy in modern society for lives to revolve around one’s job. After all, it is how we associate, do business and prosper. But I dare us to look at the lives in motion around us and notice that what we do is not who we are. Environment, families, friends, and community play a far more integral part in our make up than our occupation. We should talk about our occupations, yes, but we must be occupied with community. Community is how we experience God’s love for His Son and for us. And even at the most base level, it is how we become fully human.

聖書的観点から同性愛について : ディスカッション

聖書的観点から同性愛について

Hello. This is Momoko from Grace City. We had great sharing experiences with the London Team on “The Frustrations of Life” in April. We had a discussion event about “what the bible says about same sex attraction”? The title was What happens when life doesn’t make sense? English Life Story follows after Japanese.

こんにちは。グレースシティのMOMOKOです。

4月の半ばに英国ロンドンから短期宣教チームが来日し、「人生のフラストレーション」という大きなテーマで様々な課題について考える機会がありました。

私たちは常にフラストレーションを感じていますが、旧約聖書に登場するヨセフの人生を通して沢山の事を学びました。

厳しい条件の中で神が働かれた時に、その状況が最大限に生かされて、私たちの想像を絶する結果になる事があります。そもそも、何故わたしたちはフラストレーションを感じることが多々あるのでしょうか?

理想と現実の違い、自分の思い通りにならない毎日、体調不良、苦しみ、葛藤、心に刻まれた様々な傷跡…

多くの人は自分の問題を見て見ぬふりをしたり、諦めてしまったりする事もあると思います。

去る4月21日(土)  に「人生の不条理」というテーマで、聖書的観点から同性愛についてディスカッションをする機会がありました。ロンドンチームのメンバーの一人がライフストーリーを分かち合ってくださり、同性愛について語ってくださいました。

同性に惹かれるという状況について、聖書的観点から多くの興味深い話し合いをする事ができましたので、レポートさせて頂きます。(長文失礼いたします!)


 

私は、12歳の時にクリスチャンになりました。

その頃から男性に惹かれる傾向があったのかもしれませんが、ハッキリとそうだと確信したのは、22歳の頃でした。

25歳の時に初めてクリスチャンの友人に自分が同性に惹かれるという事を告白しました。

結論から言うと、聖書にある神の言葉を見ると、同性に惹かれたとしても、同性である男性とセックスをしたり、性的な欲求を満たすために男性と関係を持つことは良くないと書いてあります。これは、大勢の人が議論している事であり、大勢の人が理解したり受け入れたくないと思っている事です。

聖書を開くと、イエスは私たちを愛しているが故に、誰もが “心地好くない” と感じる応答をしています。

それには、深い理由があります。

私は、10年間クリスチャンとして生活してきて、神の言葉が真実であると信じていたので、聖書がどの様に語っているかを調べる事にしました。

同性の人と付き合おうかと迷った時に、どのような選択をして、どのように決断したのかを、シェアします。

あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。マタイ7章11節

イエスは、あなたがたは、”悪いもの”であるとハッキリと言っています。

聖書は「良い人」であっても誰もが罪人であると断言しているので、多くの人が憤慨し、ついていけなくてガッカリしてしまいます。

イエスは、人がどのような性質を持っているかを明らかにするために、この様な言い方をしているのですが、真実を突きつけられたり、自分の思惑と違うことを言われると、人は嫌な気分になりますよね。

例を挙げると…

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」マルコ10章21節

お金持ちで、社会的な地位ある人が、イエスからこう言われてガッカリして去って行きました。イエスは、普通に堅実に生きている人、弟子達、家族にでさえ厳しい言葉をかけています。

マルコ10章21節を見ると、イエスは、このお金持ちを愛していましたが、心地好くない応え方をしています。

なぜなら、自分の得になるもの、自分の支えとなっているもの全て喪失する事によって、自分自身を低くして、神の前に悔い改め、神に立ち返ることを促しているからです。

ヨハネの福音書6章には、イエスが人々の事を愛しているが故に、一時の空腹を満たすだけの奇跡を行うのではなく、もっと大きな神の計画である永遠の必要を満たす ”いのちのパン” について教えました。一時の空腹を満たすよりも永遠のいのちを受け取るために、イエスに依り頼むように勧めました。

22歳の時に、自分が同性愛者だとハッキリと自覚し、聖書を通してイエスがハッキリと自分に語りかけているのがわかりました。

イエスは自分を愛しており、恵みと憐れみに満ちた眼差しで、セックスと結婚に関して “心地の良くない” 真理を明らかにしました。

根本的に、イエスは、私たち全ての人を性的に “正しい”とは言っていません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。マタイの福音書5章28節

他の人を性的な対象として見た事がないという人が何人いるでしょうか?

マルコの福音書7章には、性的に不品行、不道徳な行為は、悪だと書かれています。

これは、どういう意味だと思いますか?

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコ7章20節〜23節

マルコ10章6節〜9節では、イエスが離婚について問われたときに、最初に神が創造された結婚に関する旧約聖書の記述を引用しました。

しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、 ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。マルコ10章6節〜9節

イエスは、創世記というイエスが生まれた少なくとも1,500年以上は前に書かれた結婚の定義を引用しながら、離婚について説明しています。

結婚が公的なものであり、一生をかけた1対1の男女のコミットメントであると言っているので、それ以外の性的な関係もしくは性的な刺激を助長させる行為は、すべて不品行であると言っています。ユダヤ人であるイエスは創世記に書かれている結婚の定義をそう説明しました。

そして22歳であった私は、自分に問いました。

「私も、イエスの様に、この2,000年以上前に語られた結婚に関する定義を信じるべきだろうか?これを真理だと受け入れるのであれば、私達は皆が悪いものであり、この世界は堕落して、性的なモラルや道徳は完全に壊れてしまっているのではないだろうか?」

私たちクリスチャンは、全員、同性愛者も含めて究極的には、神の言葉を信頼して、実行するかどうかが問われているのです。

22歳の時に、耳が痛いと感じながらも、心の底では神は良い方であり、神の言葉は信用に値すると信じていました。

イエス自身もルカの福音書4章にあるように試みに合われて、何百年も前に書かれた旧約聖書の言葉を引用して、誘惑に勝利しました。

知恵と知識は、イエスの中に見いだせるという事は、常にリマインドさせられています。今回、ロンドンチームの毎朝のミーティングではコロサイ人への手紙を読んでいましたが、自分たちへのリマインドとなりました。

20代前半から、私は聖書の言葉に惹き付けられていきました。

神が創造された結婚は、数カ所だけではなく、聖書のあらゆる話に刻まれています。

神が男女を平等に創造した理由は、二人の交際を通して子孫を増やすためだけではありません。

神が情熱的に人々を愛しているという事を表すためです。神は人々と永遠の関係を結びたいと招いておられます。

神は結婚における男女のセックスを、私たちが天国に行きたいと思わせるために創造されました。

神と一緒に住まうことの素晴らしさを表すためにです。

男女の差があるように、神と私たちには、違いがありますが、関係を築くという意味では共通点があります。

イエスは花婿として、終わりの時に出会う花嫁と呼ばれる教会を待っています。

神は神を愛する人々と一緒になる時が来るのです。

聖書のあらゆる部分で、セックスは一対一の男女の結婚関係のために与えられているという事が語られているのはそのためです。

結婚外のセックスが不品行であり、同性愛のセックスが良くないと書いてあるのは、一カ所だけではありません。

旧約聖書に登場する預言者は、性的な姦淫の罪だけでなく、偶像礼拝(異教の神を礼拝すること)を霊的な姦淫と呼んでいます。

様々な聖書箇所を引用して説明
聖書の最初と最後に出てくる結婚に関する記述  |  創世記1章、2章、黙示録21章、22章
異性愛でも、神に従わなかったケース  |  エゼキエル16章、ホセア書1〜3章
イエス・キリストと教会の関係は、結婚関係を表している | ヨハネ2章、3章、4章  |   エペソ5章

第一コリント人への手紙では、使徒パウロは、教会が 性的に” 正しくない人々” で満ちているという言い方をしています。

ここには同性愛も異性愛も含まれています。イエスはこの様な人々に恵みと憐れみに満ちた眼差しで近づき、性的に正しくない私たちに触れてくださり、清めてくださるのです。この罪のために、イエスは十字架にかかり、赦してくださいました。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

イエスの厳しい教えを聞いたときに、つまり、同性とセックスをする事ができないという事を聞いても落胆したり、絶望しなくていいのです。

聖書に登場する金持ちは、イエスの教えに落胆しましたが、私は同じようには絶望しませんでした。イエスがご自身の命を私たちのために捧げてくださったからです。

イエスを信じて、罪を罪だと認めて、悔い改めたら、その罪は赦されて神の家族に迎え入れられます。

サマリヤの女が体験した様な事もあり得るのです。

ヨハネ4章  : イエスとサマリヤの女とのやりとり

多くの人から、同性愛者として生まれた自分自身を否定しているのでは?と言われることがあります。

確かに自分は、生まれつきの同性愛者かもしれません。もしかしたら環境が影響したのかも?正直言って、どうしてそうなったのかは、分かりません。どうして、そうなったのかという事が問題ではないのです。原因を追求する事に、こだわりすぎると論点がずれてしまいます。

なぜなら、人間はみんな罪人だからです。イエスは私たちが皆 ”悪いもの” であると評価しています。つまり、神の目から見ると誰一人として正しくはないのです。良い事にでさえも、悪い動機や悪い思いが含まれている事があります。

聖書の “悪いもの” の定義を見ると、神の言葉を無視した状態が ”悪い” と定義されています。

エデンの園でアダムとエバが体験した事もそうです。神の言ったことを信頼せず、神の言葉を無視した結果が罪となりました。

神の言葉を無視したことがキッカケで、人類は堕落してしまったのです。

私たちは、様々な部分で堕落しています。性的な問題だけでなく、あらゆる分野で堕落しています。貪欲、嘘、偽り、神よりもお金に頼って、怒りの心を抱えています。ですから、同性愛のセックスが世界中で一番堕落しているという訳ではありません。全ての堕落が、神の言葉を無視した結果として表れているのです。私たちは、みんな、同様に罪人なのです。

同性に惹かれる同性愛者にとって、同性愛の性的関係を否定することはフェアじゃないと思われる方もいるかもしれません。

しかし、聖書には、私たちは罪人として生まれたと書いてあり、自分が抱えている罪に対して自分が責任を持たなければならないのです。

自分が両親から良い性格や悪い性格を受け継いだら、それに対して、自分が責任を持たなければならないのと同じようにアダムとエバから受け継いだ、神の言葉を無視する性質である罪に対する責任を負う必要があるのです。

[ Q & A タイム ]

質問 : 同性愛の性的関係を持てないことで、満たされないと感じることがありませんか?

結婚関係にある性的関係だけが、自分を満たすものであるというのは、大きな思い込みです。幸いな事に、聖書を通してイエスが確信を与えてくれています。

御言葉を通して、教会の家族を通して、神との関係における 一過性の満たしと”永遠の” 満たしを体験しています。

人は神のかたちに似せて造られて、神と関係を持つように創造されました。父、御子の関係に招き入れられたのは、最高のプレゼントです。

聖書の御言葉に耳を傾けると、神は御言葉を通して、自分の祈りを通して語ってくださいます。

子どもが親の言葉を真似していうように、父なる神に素晴らしい御言葉を返します。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。詩編1篇1-3節
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。詩篇23篇

ですから、本当に満たされない時は、私が神の言葉を聞いていない時です。

神と教会の関係を見ても言えますが、自分が必要としている以上の素晴らしい”関係”をキリストと教会の中で体験しています。

結婚は人は一人でいるのは良くない、という理由で創造されました。家族の始まりです。

新約聖書では、結婚の焦点が、血のつながった家族から、キリストの家族へと移行しています。

結婚をしていなくても、神の家族の中で、関係を築くことができ、大勢の人のために仕えることができるのです。

イエス・キリストも使徒パウロも独身でしたが、大勢の仲間や友達がいました。

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。マルコ10章29節〜30節

ガラテヤ書には、より多くの人に仕えるために結婚をしないという選択があるという事が書かれています。

それは、お互いに重荷を負い合い、助け合う必要があるからです。

それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。ガラテヤ2章2節

私が同性愛で葛藤しているというという事をオープンに話をすると、他の人が自分の葛藤についてオープンに話してくれるようになって、教会の雰囲気が変わりました。罪を罪だと認めて、周りの人も告白しやすくなり、悔い改めへと導かれます。

質問 : 今でも、同性に惹かれ、誘惑に感じることはありますか?それに対して、どう対処していますか?

あります。常に悔い改める必要があります。同性愛であるが故に、神をもっと信頼しなければならないという状況におかれていますが、それは、他の人がもっと神を信頼しなければならないと、悔い改めるキッカケや助けにもなります。自分の弱さを自覚しています。同性愛であるが故に、プライドは崩され、自分が正しいと思える全ての要素が打ち砕かれていますが、これが神に向かい、神の支えを求める動機になります。

神から離れている事を悔い改め、御言葉の中でキリストとの関係が養われる事に感謝しています。

神に立ち返り、悔い改め、周りに仕える事を通して、神との関係や人との健全な関係が与えられるのは、幸いだと感じています。

質問 : 本当の意味では、幸せになれないのでは?

私には、何人か同性愛のクリスチャンの友達がいます。

同性愛の関係を持つことが、自分たちの幸せに繋がると思い、イエスに従うことを辞めてしまいました。自分達のフィーリング、感情、感覚、つまりHAPPINESS(幸せ)を優先するがために、同性愛のセックスに同意していない聖書を読むことを辞めて、イエスを捨ててしまいました。リベラル(何でも良いと考える)派のクリスチャンでさえ、聖書を文字通り読むと、ゲイのセックスは良くないと書いてあると認めています。ですから、今現在の自分の幸せを求めている人たちが、イエスに従うことを辞めてしまう事に驚かなくなりました。イエス自身、このことを”刈り取り”のたとえで、話をしています。

クリスチャンの人生は、幸せを追い求めることではありません。神を追い求めて生きる事なのです。

世の中では、個人の幸せ、快適さ、その他の自分を満たしてくれるものを追い求めることがよい良い事だと信じられています。

「自分の十字架を負って、私について来なさい。」というイエスの言葉は、敢えて無視して生きています。

なぜなら、それには、ある程度の犠牲が伴うからです。

楽ではありませんし、イエスはこう言っています。

「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ7章14節

ですから、教会は、個人の幸せではなく、神を信じて、神を追い求める事をチャレンジしていかなければなりません。

あなたが同性愛の人にセックスを辞める必要があると言うのであれば、あなた自身は、神を求めて自分のどの分野を捧げる準備ができているでしょうか?

お金  :   教会が教会として機能していくための、金銭的なサポートを捧げる?

時間、仕事、キャリア   :  コミュニティグループや周りの人に仕えるための時間を捧げる?

自分の好きな場所に行く余暇のホリデー :  自分の好きなことに使っている分を、神学生やインターンを支える事に捧げられる余地がある?

結婚している人 :  独身の人たちを家に招いて、家族の暖かさを体験する時間を提供できる?

結婚したいという祈り : 自分の幸せを追い求めて結婚したいと願う代わりに、神による満たしを追い求め、イエスの様に造りかえてくださいという祈りを捧げる?

本当の幸せは、神との関係の中に見いだせるものです。結婚関係の中に見いだせるものではありません。

教会が、結婚の中に安定を見いだせるという言い方をする事がありますが、結婚している人も、神を追い求める必要があります。

独身であっても、神との満たされた関係を見いだす事ができるのです。神からの満たしを体験するために、結婚する必要はないのです。

教会の教えの中に、独身者に対する積極的かつ肯定的な見方が必要ですし、より良い関係を築く事を促し、励ます必要があるのです。

私は、イエスの為に犠牲を払って生活している人を見ると、とても励まされます。

沢山のお金を持っていても、安いホリデーに敢えて行って、宣教のために多くのお金を捧げている人。教会に捧げる金額に加えて、節約しながら月々10万円を捧げて、国内外における宣教活動をサポートしている人。自分の生活は節約して、貧しいクリスチャンを支えるために月々10万円を捧げている人。自分のために時間やお金を使うのではなく、自分にはメリットのない周りの人のために時間やお金を捧げている人。勇気を出して、職場で福音を伝えたが故に、周りの人から嫌がらせを受けている人。

質問 : 若い人にセックスをしてはいけないというのは、ちょっと酷なのでは? 同性愛を認めない事が、若者の自殺につながるのでは?

自殺の問題は、性的な問題以上の問題だと思っています。同性愛者として、オープンにして生活していても、様々な理由で鬱になっています。

同性愛者でも、そうでない人でも様々な理由で自殺をしています。

成功者と言われている人でさえ自殺します。

むしろ、先ほど引用した第一コリント人への手紙6章にあるように、神の国に入ることができない事を知っていても、伝えない事の方が酷なのでは?と思います。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。1コリント6章9-11節

[ 参加した人達の感想 ]

● 私はイギリスに住んで、クリスチャンの方の家でホームステイをしていましたが、確かにお金を持っていても、そうでないかの様に節約した生活をしながら、安いホリデーを選んで、宣教の働きをサポートしていました。他の教会では、同性愛を認めているところもありますが、私が行っていたSt.Helen’s Bishopsgate Churchは、同性愛者を受け入れても、同性愛の関係は認めない事が古い教えの様な気がしていましたが、今回、色々聞くことができて良かったです。

● 同性愛の友人が、同性愛を肯定している教会に行きましたが、結局、聖書の解釈がおかしい事に本人も納得がいかない様で不満気でした。聖書を断片的にしか読まないので、都合の良い解釈をするという事に疑問を感じてしまう様です。

● 日本だと同性愛であるという事をなかなかオープンにできないので、私の周りには同性愛の知り合いがいません。同性愛に関して、先天性の場合など、どう捉えたら良いかわからなかったのですが、全てが同じ罪、つまり、同性愛だけが最悪な罪なのではなく、親から受け継いだ”怒り”の感情を取り扱うのと同様に、神から離れている状態が罪だと聞いて、納得できた気がします。安心しました。

● 私の周りには、沢山の同性愛の友達がいます。同性愛であってもそうでなくても、「神の国を相続することができない」可能性を、周りの友達に正直に伝えていない事を、改めて考えさせられました。聖書の福音を分かち合うのは、自分の罪を認めることから始まるので、もっと正直になる必要があるのと、周りの人への愛が足りないと思わさせられました。

● 私たちは、同性愛のカップルです。同性愛であるが故に若い自殺者がいる事に心を痛めています。


 

この様な2時間のディスカッションはあっという間に終わりました。今回ライフストーリーを分かち合ってくださった方は、私にとって愛すべき大切な友人の一人です。

友人として、クリスチャンとして、神の家族として、彼の事を心から尊敬しています。性的な事は、話しづらいトピックスですし、恥ずかしいと思える事でもあるのに、オープンに話してくれた事に心から感謝しています。

誰にでも多かれ少なかれ、弱さがありますし、それぞれに長所、短所、様々な傾向があります。

失敗する事は沢山ありますし、あまり良くないと思える状況下に置かれる事もあります。周囲からは「ダメな人」だとレッテルを貼られる可能性は、いくつかの条件が揃ってしまうだけで、いくらでもあります。

私たちは、他の人から批判されたり、非難されたりしますが、イエスは、私たちに向かって「私のもとに来なさい」と語りかけてくださっているのです。大勢の人が沢山の重荷を負って生きている事をイエスは知っているのです。

最後に、ナンセンスなのは、百も承知ですけれど…(^^;) 地球の重力が重たい理由は、人々の罪の大きさが重たいからなのではないか?と思うことがよくあります。科学的には、正しくないのですが、私の頭の中にはそのようなイメージが浮かびます。

私たちの性質、傷、根本的な傾向が肩に重くのしかかるときに、疑心暗鬼になって人を信じられなくなったりもします。

イエスは、聖書を通して、今もなお私たちに語りかけてくださっているので、私たちが、聖書の御言葉によって応答していく事ができるのは、神との関係を取り戻す最大のチャンスなのかもしれません。

長いレポートとなりましたが、読んでくださりありがとうございました!

What happens when life doesn’t make sense?

“What the bible says about same sex attraction”?

Introduction

I became a Christian aged 12.

Looking back, I can see I was attracted to men from around the same age.

Finally concluded I was exclusively attracted to guys aged around 22.

Told first person about it aged 25 – friend at church.

Now many people in my church know.

I believe that even though I’m attracted to men, God’s Word, the Bible, tells me I shouldn’t have sex or seek any form of sexual stimulation from men.

That obviously is a very controversial statement for many people to understand and accept.

When I was 22 and finally realised I was attracted to guys and could potentially try dating them, how did I decide whether I would do so or not?

I’d been a Christian for 10 years and believed God’s Word was true. So I knew I had to turn to the Bible.

As I turned to the Bible, I was very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, says things that make people uncomfortable – Jesus’ words provoke strong reactions – some love them but others hate them.

So for example, I knew that Jesus says that people are “evil” (eg Matthew 7:11).

And he does this on purpose, to expose what people are like – both the powerful and the weak.

An example of a powerful person being upset by God’s Word is the rich man in Mark 10:22. He goes away sad and disheartened because he doesn’t want to obey Jesus and sell his possessions.

Jesus criticises ordinary people too – his own family, the disciples.

In John 4, the Samaritan woman, an outcast in her society because of her multiple marriages, is shocked when Jesus firmly exposes her false religious beliefs and her sexual failure.

He tells weak, hungry people who beg him for bread in John 6 that he won’t give them any.

But remember, the reason Jesus makes people uncomfortable is because he loves them (Mark 10:21). He makes them feel uncomfortable and despairing for their benefit. So that they’ll repent and turn to him. For the people in John 6, Jesus loves them so much he wants them to see he has a bigger agenda of satisfying their eternal needs, not meeting their immediate hunger. He wants them to depend on him for eternal life more than food.

So as a 22 year old who had finally concluded I was same sex attracted, as I turned to the Bible, I was also very aware that Jesus, because he loves us and is gracious towards us, teaches uncomfortable truths about sex and marriage

Essentially, Jesus exposes that none of us is sexually “straight”

In Matthew 5:28, lusting after a woman is the same as adultery. How many people can honestly say they have never listed after someone?

In Mark 7, Jesus says that sexual immorality is evil. And what does he mean by that? Well, when questioned about divorce in Mark 10:6-9, he uses a definition of marriage written at least 1500 years before he lived, in Genesis. He says that marriage is a public, lifelong commitment between one man and one woman – meaning that any form of sexual activity or stimulation outside of that framework is sexual immorality. That is what a Jew like Jesus at that time would have believed, based on Genesis.

And I guess the question for me aged 22 and for of us is “Will we too, like Jesus, believe words that were spoken nearly 2000 years ago to define marriage?”

And will we then admit that, because of the fall, because we are all evil, all of us have fractured sexualities?

Similarly, the challenge we face as Christians when dealing with same sex attraction is ultimately – will we accept the trustworthiness of God’s Word?

At the aged of 22, I knew deep down that God is good and that his words are trustworthy, even if hard to hear. I knew Jesus was prepared to trust words written hundreds of years before when he was tempted by the devil in Luke 4. I also knew that all wisdom and knowledge is found in Jesus – we’ve been reminding ourselves of that on the London Team this week in Colossians.

Since my early 20s, as I’ve dug deep into the Bible more and more, I’ve realised that God’s marriage blueprint is not just found in a few verses, but that it’s woven into the whole Bible story.

The reason God created man and woman as equal but different sexual beings was not primarily for making babies or for companionship, but to help everyone understand how passionately God loves his people. To show us that God wants to marry his people forever.God gave sex in a marriage between a man and a woman to make us want to go to heaven. To illustrate just how passionately God wants us to live with him forever.

There is a difference between God and us, just as there’s a difference between man and woman – yet both can be brought together in passionate relationship. It’s as if Jesus looks down the aisle at his bride, the church, at the end of time, and smiles. God will be with his people. If you redefine marriage as between two men or two women then you imply there’s essentially no difference between God and his people. But thee is a difference.

That’s why a marriage between one man and one woman as a picture of God eagerly desiring his people appears throughout the Bible. So the case against gay sex is not just a matter of a few verses.

Examples:

Marriage at beginning and end of the Bible (Genesis 1 and 2 and Revelation 21 and 22).

Heterosexual marriage shows how terrible it is for people to be unfaithful to God when he loves them so much (Ezekiel 16 and Hosea 1-3).

Old Testament prophets often speak of spiritual adultery.

Song of Songs is about God’s passionate love for his people as illustrated by sex and marriage.

Jesus is described as the bridegroom in John 2,3 and 4.

Paul in Ephesians 5 quotes Genesis to say marriage is a picture of a relationship between Christ and the church.

I also saw in 1 Corinthians 6:9-11 that the church has always been full of people who weren’t sexually straight – people who had been sexually immoral heterosexually  and homosexually. Jesus has by his grace washed, sanctified and justified all of us who aren’t sexually straight who are trusting him for forgiveness.

So I don’t need to despair when I hear Jesus’ hard teaching that I can’t have sex with a man. I may be like the rich ruler and initially be sad about Jesus’ teaching, but then I see that Jesus hasn’t left me to despair. He’s given his life for me. If I repent and believe that, then I’m welcomed into his family, the church.

Just like the Samaritan woman, I get married permanently, forever, to Jesus when I turn to him, and can be a member of God’s chosen people.

Questions : But many say, aren’t you denying who you are? Aren’t you made that way?

Yes, from my perspective, I was probably born gay – environmental factors may have played a role, but I don’t know for sure. The cause doesn’t really matter.

Because I know that Jesus assessment of all of us is that we are born evil. That even the good things we do are to some extent tainted with evil motives. And when I look at the Bible’s definition of evil, I see that ultimately it means rejecting God’s word. That’s what happened in the Garden of Eden when Adam and Eve didn’t trust what God said. And that rejection of God’s Word means that humanity is broken. One area of our brokenness is our sexuality, but it includes all other sins too – greed, lying, cheating, looking to money rather than God for my security, being angry. Gay sex is not an act that is worse than others. All acts that stem for our rejection of God are equally sinful.

We may think it isn’t fair that some people are attracted to people of the same sex. But the Bible says that even though we’re born sinners, we are still responsible. We have no problem saying that people who inherit good or bad characteristics from their parents are still responsible for what they do. Similarly, we inherent sin from Adam and are held responsible.

Questions : But you might still think I’m starving myself. That I can’t be truly satisfied or happy unless I’m in a gay relationship. 

That makes a huge assumption that marriage and sex are where we find intimacy.

Thankfully, the Bible assures me that because I have Jesus and my church family, I have all the intimacy I could ever need.

Because I’m in Jesus’ family, I enjoy a rich feast of intimacy both now and in eternity.

I was created in God’s image to relate to him. The Father-Son relationship is a precious gift. In fact the language used to describe the relationship between Adam and his son Seth deliberately echoes the relationship God has with us (“in his image”).

The Father-Son relationship is something I already have in Jesus. John 1 says I have become a child of God. My relationship with God that was destroyed at the Fall has been restored. I’ve been welcomed home forever by God’s grace.

I experience that as I listen to God speak to me in the Bible and as I respond to him in prayer. As I repeat back to my Father the wonderful words he has given to me (just as children repeat the words of their parents). Psalm 1:1-3.

Psalm 23 tells me that because the Lord is my Shepherd, I lack nothing. I am not starving myself by missing out on a sexual relationship.

The only way I can starve myself is by not listening to God’s Word.

God has also given me my church family so that I have all the intimacy I’ll ever need.

Genesis 2 tells us that marriage was created as it was not good for man to be alone. The result of marriage is families – and in the New Testament, the focus moves off the biological family to the church family. In Christ, I have been given a church family (Mark 10:29-30). This is where I can form a whole range of intimate relationships. I don’t need exclusive friendships – I can serve lots and lots of people as a friend. Jesus and Paul were both single and had a huge number of friends.

The way I experience intimacy in these friendships is to share intimacies. We carry the burdens and struggles of each other. Galatians 2:2.

Same sex attracted people can change church culture. As I have opened up about my struggles, others have opened up about where they find it hard to live sacrificially for Jesus.

I’m thankful God has used my sexuality to drive me to depend on him more and encourage others to do the same. I know I’m weak and vulnerable. This shatters my pride and self-righteousness and causes me to cry out to him to sustain me. I want others to know that intimacy too. It’s not easy – so I often need to repent. To repent of distancing myself from God and his Word and growing the intimacy that I already have in Christ.

I know that’s hard in Japan but I would strongly encourage you to do it. I have received tremendous support from friends at St Helen’s (people in my small group and some who are same sex attracted too) and I think it would be great if same sex attracted people at Grace City could be comfortable about discussing sexual issues they are struggling with, so that the burden and struggle can be shared. In the Western church, Christians only started doing this once the gay agenda was being debated in the public arena. In Japan, the church could take the lead here. It’s not being discussed in society, so wouldn’t it be great if people started talking about it in the church and showing Japanese society how true intimacy is found? It is possible – I know of a Japanese guy who is same sex attracted in Hokkaido and yet has decided to repent of sleeping with men and follow Jesus.

I am also involved with families at church in London. Get to be a dad to loads of kids – read stories, watch films, have meals. I got to look after Momoko’s daughter in London so Momoko could attend a Bible study for non-Christian Japanese people in London.

Questions : But surely you can’t really be happy?

[I’ve had a few same sex attracted Christian friends who’ve stopped following Jesus because they thought that a gay relationship would make them happy – they’ve abandoned Jesus for this reason, based on feelings mainly, because they’ve found it very hard to make the Bible say that gay sex is ok. Even many liberal scholars say the plain reading of the text is clear – that gay sex is clearly prohibited in the Bible. In the end, I’m not surprised that the attraction of immediate happiness causes some people to stop following Jesus though. Jesus himself said this would happen in the parable of the sower.]

The Christian life is not about happiness. Its about Godliness. Yet in our culture we idolise personal comfort and happiness above everything else. We ignore the fact that Jesus says we must take up our cross and follow Him. It involved sacrifice. It is hard. Jesus himself says that the way his kingdom is hard and few are those who find it.

So the church does need to be challenged to pursue Godliness above happiness. If you’re expecting same sex attracted people in the church to give up gay sex, then are you too prepared to give up what you might be pursuing at the expense of Godliness? Money to support the work of Grace City? A good career so you have more time to serve your community group? A nice holiday so that you have more money to support the SALT team? If you’re married, are you inviting single people round to your home regularly to share in family life? Are you praying that you would get married so you’ll be happy or are you asking God to make you more Godly and content and more like the Lord Jesus whether you get married or not? True happiness is found in Godliness not marriage. So married people need to pursue Godliness. The church has often promoted marriage as the answer to everything. It isn’t. Godliness is. And you can be Godly as a single person. So positive church teaching about singleness and friendship is urgently needed.

I am so encouraged when I hear that people who aren’t same sex attracted are living sacrificially for Jesus. I know that they too are giving up something they really want to do (like me staying celibate when I really want to have a sexual relationship with a guy).  Examples:

Christians with lots of money having cheap holidays so they can give more money for gospel work.

I knew someone who once gave 1000 US dollars a month to help a Christian worker overseas. That was on top of the money he was giving to his own church every month.

I know someone who for many years has been helping a poorer Christian in his church by paying 1000 US dollars per year into the poorer Christian’s pension fund.

I’ve heard of a person being mocked in the workplace for taking the brave step to speak openly about Jesus in their office.

Questions : Are’t we being cruel? If we tell young people they can’t have sex with people if the same sex, doesn’t that lead to suicide?

I think it’s probably more complicated than just sexuality driving people to suicide. There are also many gay people who are completely “out”, yet utterly depressed for a whole number of other reasons. And we know that even successful people commit suicide.

I could equally look at 1 Corinthians 6 and say, “aren’t we being cruel to young people if we tell them that gay sex is OK, because that will mean they miss out on living without God for eternity?”

Thank you for reading.

2018年春のリトリート、まだまだご参加募集中!

グレースシティ春のリトリート2018

ゴールデンウィークもいよいよ来週に迫りました!
グレースシティでは、毎年ゴールデンウィークには軽井沢でリトリートを開催しています。

今年の日程は5月3日(木)〜5日(土)までで、まだまだご参加募集しております!

グレースシティでは、春のメッセージシリーズとして「人生のフラストレーション」を題材にメッセージをしてきました。

今回のリトリートの題材は、一転変わって「REBUILD(再建 – 回復から宣教へ)」。フラストレーションからの回復をテーマに、ヨナ書を学んでいきます。人々の人生や都市が神のみこころにしたがって霊的に建て直されるために、どのように福音を伝えるミッションに取り組んだらよいでしょうか。私たちの使命にフォーカスします。

軽井沢でのリトリートは、都会の雑踏から離れ、美しい自然の中で心を沈め、神様のメッセージと向き合える機会となります。
また、普段あまり話すことのない教会のメンバーとも、ゆっくり交わる時間を持てます。
自由時間には軽井沢の街を探索したり、ハイキングやテニスなどを楽しんだりもできます。

ゴールデンウィークの予定はまだ決まっていない、行くか悩んでいるという方は、ぜひ迷わずカモン\(^o^)/

過去のリトリートの様子を、以前のブログでレポートしています。参考にしてみてくださいね!

 

春のリトリート@軽井沢レポート!その1
春のリトリート@軽井沢レポート!その2

「この教会に5年近く通っていながら、リトリート参加は実は初めてのわたし。教会のキャンプというと、朝から晩までメッセージを聞いたり歌を聞いたりゲームをしたり交わりをしたりで、自由時間は3時間(笑)といったものにしか参加したことがなく、それもそれで恵みは多いのですが、正直後から疲れが来てしまったりするんですよね(歳か)。そういった点では、グレースシティのリトリートはいい感じに「緩く」て、とてもリラックスすることができました!そもそもグレースシティは、東京で忙しく毎日を過ごしている人たちに福音をもたらすために設立された教会なので、普段の礼拝の時間帯も午後から。リトリートでは心と体を休められるように、ゆったりとしたスケジュールに設計されているんですね。都会に住んでいる私たちには、ついつい忙しい生活に追われて、自分の人生や神様との関係について考え直す機会が持てないものです。そんな私たちにとって、リトリートはいつも見落としがちな大切なものを振り返る良い時間となります。」―結実

 

リトリートで体験したことについて

リトリートでは神様の大きな恵みと、感謝に溢れる2泊3日を過ごしました。これ以外にも、神様が創造された美しい自然、毎日食べたくなるようなおいしいジェラート屋さん、行列の出来る焼き鳥屋さん等、軽井沢には素敵な魅力がたくさんあります。ハイキングをしたり、スポーツをしたり、夜な夜な語り合ったり、日曜日の礼拝とは一味違った、兄弟姉妹としての深く交わりの時間を持つことが出来ます。」-奈央

 

秋のリトリート参加レポート~恵みあふれるQuality Time

「今回の参加を通じて再認識したリトリートの魅力、それは主にある共同体、すなわちコミュニティを体験できる事です。 時間的、空間的な制約の比較的弱い環境の中で、改めて神様に仕えること、その為にともに励まし合うことを経験出来る素晴らしい機会であると思います。」-良介

 

—-開催概要—-

【日時】5月3日(木) 14:00現地集合、5月5日(土)12:00現地解散

【参加費】10,000円(交通費別、2泊2食付き)
(小学生以下5,000円、中学生以上8,000円)

【集合場所】軽井沢ユニオンチャーチ Annex

【お申込み】こちらにメールにてお申込みください

「主がともにおられた」

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こんにちは^^。グレースシティのさとみです。

前回のブログにて、ロンドン&シンガポール短期宣教チームメンバーから来日のご挨拶がありましたがお読みいただけましたか^^?
わたしは、この日本へキリストの福音を分かち合うために来日してくださっている彼らの心を本当に嬉しく思うと同時に、主のご計画は恵み深く、素晴らしいなぁと毎年思わされています。

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なぜなら、彼らが自分の貴重な時間、お金、忙しい仕事の休みをとって(準備の時間もとって、)まるで特別な仕事の出張にでも来たかのように真剣にそして喜んでイベントやミーティングに参加して下さっているからです。決して、ホリデーといった類の優雅なスケジュールではありません。

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本日は、そんな彼らと過ごした一時をほんの少しですが分かち合いたいと思います。(主観がメインでごめんなさい)
昨夜は六本木と表参道コミュニティグループの合同の会として、ロンドンからのメンバーをお迎えし、「人生のフラストレーション〜成功と誘惑〜」というテーマをみんなで考えました。
聖書箇所は創世記39章1-23節。(主人に信頼されているヨセフという男性が、その主人の妻から言い寄られ(誘惑され)、それを強く拒んだことから逆に妻の虚言により陥れられて、牢屋に入れられてしまうストーリーです。)

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福田牧師からショートメッセージが語られた後、成功について神様がどんなふうに何を教えてくれたかという経験を2人の方が分かち合って下さり、その後ディスカッションとなりました。
成功とは何でしょうか?という問いに対して出やすい答え、お金や地位や評判、安定などは世が計りやすいものの一つであり、それはまた魅力的でもあります。しかしキリストを信じる者として、成功とは何かを考えるとき、それは多くの場合人々に認知されず、華やかな結果ではない場合が多いのかもしれません。また一見すると自分の望んでいた結果ではないこともあるかもしれません。

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多くの人々は、善悪よりも損得で物事をはかり、自分やその周囲により利益の出る見込みの高い物を好みます。それが多少悪であっても、得を取りたいと思うものではないでしょうか。そしてそのような思想が著しく文化や経済を発展させたという恩恵的な一面もあると歴史は語ります。しかしこの聖書箇所(と続き)では、誠実さを貫くことの重要性とその真実なる報いがあらわれています。まさに貧乏くじを引きつづけているようなヨセフの悲惨な人生ですが、その中にでさえ「主はともにおられた」と聖書は何度も繰り返します。

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キリスト者であるわたしたちが得やすい感情ですが、「神様…やっぱりわたしの祈り聞いてくれてないっ?!」と思ったとしても、確実に「主はともにおられ」、常にはたらかれているという畏敬を、もっともっとこのみことばを通して味わう必要があると思わされます。
後にヨセフの人生には大逆転が訪れますが、その摂理はイエスキリストの十字架の死と復活によって完全にあらわされました。

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一昨年、わたしはSALTのメンバーだったのですが、4月に行われた最初の会でメンバーに向けて福田牧師からのメッセージが印象的だったことを覚えています。
「これからの働きの中で、失敗して恥ずかしい思いをすることもあるでしょう。あるいは努力したことが報われないまま、誰にも理解されないで出来損ないのようなレッテルを貼られてしまうこともあるかもしれません。例えば決めたことを途中でやめて、諦めて逃げた弱虫だと言われるかもしれません。でも大丈夫ですよ。イエスがいつも共にいますから。彼はみなさんを決して見放さない。また彼は、最低最悪を経験された唯一の方です。そしてみなさん以上にみなさんそれぞれの性格や経験を彼はご存知ですよ。ですからどうぞ恐れずに、大胆に失敗してください。それがみなさんの、主にある特権です」

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この特権という宝の、持ち腐れをしてないかな?と振り返る時間となりました。キリストの逆転の法則に与ることのできる幸いを、大いに喜び感謝して、約束されたこの「成功の人生」を、歩みたいと励まされました。(それはわたしにとって簡単ではないことも告白します…)
そして一人帰りながら、今来てくださっているロンドン&シンガポールチームの一人一人を、神様は成功のうちに治めてくださっているのだと感じ、嬉しくなったひと時でした。

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彼らの日本滞在の日々を主が大いに用い祝福され、彼ら自身が福音の輝きを改めて見いだす尊い喜びの旅となりますように。彼らが帰国した後、互いに蒔かれた信仰の種が芽を出す喜びをいつか共有できることを願いつつ。みなさんと共にお祈りできれば幸いです。

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主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。(創世記39章2ー3節)

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平日の夜、28人もの方々がお集まりになりました〜^^!感謝…。

VISION SUNDAY & 信徒総会 2018

こんにちは! グレースシティのMOMOKOです。

Hello, This is Momoko from Grace City Church Tokyo. English follows after Japanese.

3月18日(日)にグレースシティチャーチのVISION SUNDAYと信徒総会が行われました。

VISION SUNDAYとは、一年に一度、グレースシティチャーチのビジョンについて改めて確認する年に一度の特別礼拝です。礼拝の直後に信徒総会が始まり、2017年に各ミニストリー(働き)がどのように進んだかという報告がされました。

グレースシティチャーチのビジョンを再確認し、現状を見据えて、前年を振り返りつつ、各ミニストリーの担当者から報告を聞き、これからどう進んでいくかを考え、祈る時をもちました。

グレースシティ ビジョン とは?

「キリストの教会であるグレースシティは、東京に恵みの福音を満たすことによって神の栄光をあらわします。そのために個人的な人生の変革、コミュニティの回復、都市の刷新、社会的な必要のために仕えます。」

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今年のVISION SUNDAYは、記念すべき一日であり、牧師の就任式と長老の就職式がありました。

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福田真理先生が、牧師として就任し、長老2名(スティーブ・サックスさん、ジェームス・ライトさん)が就職し、グレースシティチャーチ東京は開拓8年目にしてやっと、独立した一教会として、新しい歩みがスタートしたのです。

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長老の就任をお祝いし、花束贈呈

皆さんもご存知の通り、都心における教会開拓は簡単ではありません。

独立した教会として新しい歩みをスタートしましたが、まだ成長中であり、完全に成熟しているわけではありません。新たなステージの第一歩を踏み出し、これからも都心における更なる必要のために、多くの教会を生み出していかなければなりません。

信徒総会の中では、2017年に各ミニストリーがどのように前進し、発展したかという多くの感謝の報告がありました。

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信徒総会の様子
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セットアップチームの必要を証ししてくださったあきこさん

 

現実的な課題は多々ありますが、働きが大きくなっていけば、必要が増えるのは、当然のこととも言えます。

神は私たち個人を通して、また教会の頭となって働き続けています。

私達ひとりひとりが聖書の御言葉によって日々生かされ、成長し、人生が新しくされる事によって、神の栄光が表れます。

主が私たちに触れて、変えてくださらなければ、都心における良い働きは、何ひとつ前進させることはできません。

信徒総会の中では、グレースシティチャーチが、人生の変革、コミュニティの回復、都市の刷新、社会の必要に応えるべく、様々な試みがされている報告がされました。

一番の課題とされたのが、経済的に自立していく必要があるということです。

これまでは、海外から捧げられた多くの献金によって、グレースシティは支えられてきました。昨年は幕屋プロジェクトによって、会場費が支えられましたが、今後も継続的に必要が満たされる必要があります。

今現在、グレースシティの毎週の必要は50万円です。年間3100万円の必要があります。

都心で礼拝を捧げるために必要な会場費が25万円、それに加えて都心における働きを進めていくために毎週25万円が必要とされています。

今現在、グレースシティ内で捧げられている献金は毎週25万円ほどですが、実際には毎週50万円の必要があるのです。

ぜひ、毎週50万円の必要が満たされるように、祈りに覚えてください。約束献金カードが配布されており、みなさんのご協力を呼びかけられています。

詳しくは Annual Report 2017(年次報告書2017) をご覧ください。

2017年にそれぞれの働きについての報告、また今後の課題が記載されています。

これから、どのように導かれて進んでいけるのかが楽しみです。新しい事を新しい方法で進めてくださる主に期待していきたいです。

みなさまの上に主の豊かな恵みと祝福がありますように!

グレースシティチャーチ東京  献金について

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It was Vision Sunday and our congregational meeting on 18th March 2018.

Vision Sunday is to remind us about Grace City’s Vision, to take a look back on the past year and pray about the way forward over the coming year.

People from each ministry shared their report of 2017 in the congregational meeting.

What is Grace City’s Vision?

As a church of Christ, Grace City glorifies God by filling Tokyo with the Gospel of grace, in order to see peoples’ lives changed, community formed, the city renewed, and society’s needs met.

We have many reports of people making efforts to pursue this vision through various activities.

Vision Sunday this year was a little different from previous years.

We had a ceremony to officially appoint Rev. Makoto Fukuda as Pastor, and elders Steve Sacks and James Wright.

This means that Grace City Church Tokyo has finally become an independent church after 8 years of church planting.

We are still in the process of growing and we are not yet an established church. It’s not that easy to plant an established church in the centre of Tokyo.

This is only the beginning in the new stage of becoming independent and we still need to continue growing towards maturity. We also need to plant new churches to fill the Gospel in central Tokyo and to meet the cities needs.

We have heard a lot of encouraging highlights which we are grateful about, but there are many challenges and things we need to overcome.

I suppose as the church grows in numbers, our needs expand as well.

God works through us as individuals and as the head of the church.

Individuals are touched, live and grow by the word of God, and it renews people’s lives by revealing God’s glory. We cannot pursue God’s work in the centre of Tokyo without ourselves changing through the breath of God.

The finance team shared with us that our financial situation is critical.

Although we need to move towards being independent, we are still depending on overseas donations.

Our worship venue fee was covered by project tabernacle last year, but we continuously fill this need every week.

Our weekly needs are 500,000JPY (250,000 JPY for worship venue and 250,000 JPY to continue each ministry in Tokyo.)

Annual needs are 31 million JPY.

We have been rasing 250,000 JPY weekly but we need another 250,000 JPY per week.

Please pray that our financial needs are filled this year. We have been distributing pledge cards since the congregational meeting.

You can find more details in the Annual Report 2017, and more about each ministry and its needs.

May God Bless you richly with his grace.

Online Giving Information For Grace City Church Tokyo is here

奉仕する気分にならない時 / When We Don’t Feel Like Serving

こんにちは。グレースシティのメンバーのアーロンです。今回もグレースメンバーの結実さん、桃子さん、隼人さんに日本語翻訳をしていただきました。英語の原文は後に続きます。

Hello, Grace City member Aaron here. Once again fellow members Yumi, Momoko, and Hayato kindly translated my post into Japanese. The original English is below.

グレースシティチャーチでは、教会の内外で仕える機会が沢山あります。

今回「なぜ奉仕するのか?」という内容についてブログを書いてほしいという要望があったので、この記事を書いています。なぜ、奉仕をするのだろうかという動機と、奉仕する気分じゃない時に、どうするか?について考えたことをまとめました。

クリスチャンにとって、お互いのために仕えるという事は、オマケ(オプション)ではありません。聖書には、お互いのために仕え合いなさいとばかり書いてあります(例 : マルコ10章42節〜45節、ガラテヤ5章13節、ヘブル6章10節)。ヤコブは聖書の中で、自分に信仰があると言っても、その人に良い行いがないなら、本当の信仰とは言えないと言っています。(ヤコブ2章14-26節)自分の教会で、奉仕が必要とされているかどうかわからないって?教会のどの働き(ミニストリー)を見ても、沢山の奉仕者によって支えられているのがわかります。もしくは、いつもボランティアや奉仕者を募集していますよね。

もちろん、私たちは人間ですから、奉仕なんかしたくない、お互いに仕えたくないと感じる事が多々あります。奉仕をするには、それなりの努力が必要ですし、疲れますし、他にやりたいと思っている事を犠牲にしなければならない事もあります。では、もし奉仕が必要とされているならば、歯をくいしばってでも頑張らなければならないのでしょうか?やらなければいけないから、やりたくなくても無理矢理しなければならないのでしょうか?ほとんどのクリスチャンは、奉仕というものはいやいやながらするものではないとは理解しています。ガラテヤ書にあるように、私たちクリスチャンはキリストを信じているので「自由」であることも知っています。

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。― ガラテヤ5章13節

また、クリスチャンの人生の中心は規範に則ることではなく、恵みに基づいて歩むことだということもわかっています。(ヨハネの福音書1章17節、ローマ7章1-6節)それに聖書には、神は喜んで捧げる人を喜ばれると語っていますよね?

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。― 2コリント9章7節

それなのに私たちは時おり、喜んで与えて仕えることが難しく感じます。

奉仕はいやいやながらするのに、自分のためには喜んで時間とエネルギーを使いたいと考えます。これは言い訳ではなくて、悲しい現実なのです。

私たちは自分に奉仕を強制することはできますが、奉仕を愛することを強制することはできないのです。じゃあ、奉仕をしなければならないのに、それを楽しめないときは、どうしたらいいんでしょうか?日曜日に教会に来た時、誰かが〇〇ミニストリーの奉仕者が足りないとアナウンスしていたとします。表向きには自分の時間は空いているのに、な~~~んとなく気乗りしないとき、どうしたらいいんでしょう?

そんな時は、最初の原則に戻ってみる良きタイミングでしょう。

聖書ではこのことがすでに説明されており、注意深く読めば理解することができます:私たちが奉仕、福祉や慈善活動を行う時、義務感や罰への恐れからではなく、感謝と愛に動機づけられるべきだということです。

なぜなら神はキリストの犠牲を通して私たちに仕えてくださったのであり、それを通して私たちは謙虚さと感謝にあふれた気持ちになる。それが、他の人に仕える動機をくれるというのです。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。―Ⅰヨハネ4章9節

だから私たちが奉仕をするように求められているのに、そんな気分にならない時、強制されたように奉仕すべきではないと思います。だからといって、求められていること自体を無視すべきではありません。

その代わりに、自分にこう訪ねてみませんか? ― なぜ「神がまず私たちを愛してくださったから私たちも愛する」ができないのか?これについて心を静めて考え、祈り、知恵のあるクリスチャンの兄弟姉妹に相談してみてはいかがでしょうか。そうすれば、不思議な現象、すなわち理論と実践のギャップに対しての解決策が与えられるでしょう。

あなたは、神様は聖なる方で、敬意や尊敬に値すると心から思っていますか?そうでなければ、彼の命令に従うことに意欲が持てないのも仕方がないかもしれません。神様は素晴らしいお方で、あなたを祝福し愛してくださっていると本当に信じていますか?そうでないなら、仕えることに嫌気がさしてしまうかもしれません。あなたは自分が罪深い存在だと認めますか?そうでなければ、自分のプライドが邪魔をしてしまう場合があります。あなたは自分が赦されていると信じることができますか?そうでなければ、自分自身があまりに弱く不安定で、必要としている人たちへ手を差し伸べるのは難しいのかもしれません。

これらのことに疑問を感じているなら、聖書には十分な証拠が記されています。ぜひ、探してみてください。

真に喜んで与えるもの、そして心から熱心に喜びをもって与えるという理念はもはや、おとぎ話のように思えるかもしれません。しかしパウロとヨハネは冗談を言っていたわけではありませんでした。主イエスが私たちを先に愛してくださったから、喜んで与える者になることは可能なのです。この理論にはしっかりとした根拠があります。自分の人生がうまく行っていないのであれば、その根底にある物を探れば良いのです。神様はその手助けをしてくださいます。

ヘブル人への手紙6章10節には、「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」と書かれています。神様はたとえ些細なことでも、私たちの喜んで与える姿勢に歓喜し、その行いを必ず祝福してくださいます。

グレースシティチャーチ東京では、常に多くの奉仕者を必要としています。特に礼拝セットアップの搬入搬出を手伝ってくださる方を急募しています。

詳しくはコチラ  www.gracecitychurch.jp/volunteers

Grace City provides many opportunities for members to serve others, both inside and outside the church. I was asked to write a blog post about the motivation for this service, or, what to do when we don’t feel like serving. Here’s what I came up with.

For Christians, serving others is not optional. The Bible is full of commands to serve one another (e.g. Mark 10:42-45, Galatians 5:13, Hebrews 6:10), and James says that any so-called faith that does not produce good works is really no faith at all (James 2:14-26). And if you have any doubt as to whether service is necessary, just look at your own church. Does it seem like every ministry has an abundance of volunteers? Or are they pretty much always looking for more people to help?

Of course, very often we don’t feel like serving one another. Any service worth doing requires effort; it’s often tiring; it usually requires giving up something else that we’d rather be doing. But if it’s required and necessary, then should we simply grit our teeth and grind through it? Do it even though we don’t want to, because we have to? Most Christians realize that this isn’t how things are supposed to work either. We know that Christians are free (Galatians 5:13—the same verse as above!); the basic principle of the Christian life is not law, but grace (John 1:17, Romans 7:1-6). And doesn’t the Bible say that God loves a cheerful giver (2 Corinthians 9:7)?

Yet very often we find that we are not able to give, or serve, cheerfully. It seems like our only choices are to serve grudgingly or to cheerfully keep our time and energy to ourselves. This is not an excuse; it is cold reality. We can force ourselves to serve, but we cannot force ourselves to love serving. So then, when we are called to serve and we don’t love it, what are we to do? When we are sitting in church on Sunday and someone is reading the announcements and we are reminded yet again that XYZ ministry needs more volunteers, and we’re technically available, but, ughhhh…what are we do to?

This is the time to go back to first principles. The Bible explains these things for us, and if we have read it carefully, then we understand the theory: We are supposed to be motivated to service and good works not by duty and obligation or fear of punishment, but by thankfulness and love. Because God, through Jesus, sacrificially served us, we are humbled and grateful, and this gives us the motivation to serve others. “We love because he first loved us” (1 John 4:19).

So if we are called to serve and we don’t feel like it, then I don’t think we should force ourselves to do it anyway. Neither should we ignore the call. Instead, we should ask ourselves why “we love because he first loved us” isn’t working for us. We should meditate on this, pray about it, and talk to other wise Christians about it. We should find the solution to this mystery, this disconnect between theory and practice.

Do we really believe that God is holy, that he deserves our reverence and respect? If not, it’s no surprise that we are unmotivated to obey his commands. Do we really believe he is good, that he loves to bless us? If not, then it’s very easy for our service to become grudging. Do we really believe we are sinful? If not, then our pride may be getting in the way. Do we really believe we are forgiven? If not, then we may be too weak and anxious to be able to reach out to others. If we doubt any of these things, the Bible provides ample evidence for all of them. Search it out.

The idea of being a truly cheerful giver—actually being happy and eager to give—may seem like a fairy tale. But Paul and John were not kidding. It is possible to be a cheerful giver, to love because he first loved us. The theory is sound. If it’s not working out in your life, then get to the bottom of it. God will help you to do so. And as Hebrews 6:10 says, he “is not unjust so as to overlook your work and the love that you have shown for his name in serving the saints.” God is delighted with our cheerful service, no matter how small, and he will not neglect to reward it.

LIGHT PROJECT ワークショップ

こんにちは!グレースシティのRyuです。
昼夜の寒暖の差はありますが、お昼のポカポカな陽気が春を感じさせてくれます。

3/3(土)Lightプロジェクトに参加しました。今回のテーマは「仕事と人間関係と神様」。ゲストスピーカーは井上翔太さん、大塚麻美さん、そして堂跡美和さん。

井上翔太さんは大学卒業後、飲食業界で毎晩終電まで働き1年半後に退職 、その後インドのカルカッタで2週間、マザーテレサの教会で半日の奉仕をし、マレーシアで2年、ドバイで3年、今は東京で旅行関係の仕事をしてるそうです。

職場で理不尽な上司に苦しみ、サックス知子さんに祈ってもらってから、わずか1週間後に部署異動があったことをシェアしてくれました。彼のこんなコメントが名言だと思いました。 “「大変」とは「大きな変化」です。大変な時期の後には必ず成長します。”とても印象的な言葉でした。

次の大塚麻美さんは、ホンジュラス育ちの「サードカントリーパーソン」(帰国子女だが日本でも育った現地でも無い国民性の人)で、フランスの会社で秘書をしてた時の苦労を話してくれました。

「こんなに一生懸命やってるのに、どうして不満が止まらないんだろう?」という悩みを聞いて、働きすぎな日本人の完璧主義なDNAが大塚さんにもあるのだな、そしてそれは自分も同じだな」と私は感じました。

完璧主義で、いくら頑張っても満足できない、これは私自身にとっても課題だと感じます。

 

LightProject

最後の堂跡美和さんも、嫌いな上司や関わりたくない職場の争いなどについてシェアしていただき、「人間だもの、グチる場所も必要!」、「若い人達はノリや勢いだけで決めがち、だから嫌われる勇気も必要で厳しい意見を言って爪跡を残すのも大事だ」と話してくれました。

そんな彼女は現在の職場で高齢者層のスタッフと若手のスタッフを繋ぐ架け橋となって働いており、隣人を愛するクリスチャンの精神が生きているな、と感じました。

  パネルディスカッションの後、グループごとにテーマの「仕事と人間関係と神様」について話しました。我々のグループでは、

1. 日本人は「場の空気を読む」国民性、職場でも自分の本音を言えず、裏で陰口を言ったり、誰も止めなくて悪い結果を招いたりする事が多い

2. そんな中でクリスチャンとして、本音を言う勇気も必要(上層部の一方的な決定を黙認するのではなく、組織全体の繁栄のために、進んで発言する)

3. 自分がした発言や行動が正しかったか、その場でどうあるべきだったかは、自分や会社の人間ではなく、神様が教えてくれる。だから職場でも恐れずに行動していくべき。

4. 最後に…仕事で、人間関係で悩んでる人、苦しんでいる人が多いけど、その人たちに、今の苦労が将来きっと役立つ日が来る、だから落ち込んでばかりいないで、元気を出してほしい…などを話しました。

最後に、仕事で苦しんでいる人たちへの聖書箇所として、ローマ人への手紙8章18節をシェアしました。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。 」ローマ人への手紙8章18節

私自身いまの職場で人間関係その他で悩み苦しみが多いので、このディスカッションを通して、周りの皆が繰り返し口にしてた、「クリスチャンとして、恐れずに発言・行動していくべき」という言葉を肝に銘じて仕事をしていこうと思いました。

 

聖書の語る幸福とは?

こんにちは、グレースシティの結実です!

私は2月のメッセージシリーズ「すばらしい知らせ」全体を通して、「幸福感」について考えさせられました。

幸福感というのは人それぞれ感じ方や価値観によって違ってくるところがありますが、クリスチャンになりたての人が勘違いしやすい部分でもあるのかな、とも思います。ということで、今回のブログでは「聖書の語る幸福」について、ヘタな落書きも交えて私なりの解釈を書いてみます。

バプテスマを受けたのに、教会から離れていってしまう人が絶えません。これは、教会に集う仲間として悲しいことですが、本人が実は一番つらいのかもしれません。

離れていってしまう人にも教会に集っている人にも共通して言えることですが、私たちはクリスチャンになる時に、どこか心の奥底でこう期待してしまっているのではないでしょうか。

「クリスチャンになれば人生のすべての問題が解決するはずだ。今よりもっと幸せになれるはずだ。」

だから、何か問題にぶち当たった時に、こう考えてしまいます。

「クリスチャンになったのに!なんで私の人生こんなに問題ばっかり!神様は私の声なんて全然聴いていないんだ・・・。自分自身の未熟さも全く変わってないし。もう嫌!」

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But!!

聖書には、クリスチャンになったら問題はなくなるなんて、ひとっ言も書いていないんです。

むしろ、もっとたくさん困難に遭うと書いてあります。

 

あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
ヨハネの福音書16章33節

私たちは、何かを手に入れたら、状況が改善したら、初めて幸せになると思いがちです。

「仕事がうまくいったら」「この病気が治ったら」「この人間関係がうまくいったら」「痩せたら」「子供ができたら」「もっと稼げたら」・・・

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そして、クリスチャンになったら、もっと生活が、人生が良くなる、とどこかで期待しているのではないでしょうか。

希望を持つこと自体は悪いことではありません。むしろいいことです。

いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
―第一コリント13章13節

でも、福音が伝えようとしているのは、この世の人間関係や、ステータスやお金などが、私たちの「幸福感」を左右するカナメであるべきではないということです。

それとこれとは分けて考える必要があるのではないでしょうか。

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クリスチャンのスタンスとしては、神様から思いっきり愛を受けているから「基本幸せ!」なのです。イエス・キリストが死んで私たちの罪をあがなって下さって、すでにこの世における罪が許されているので、何事にもゆるがされない幸せが基礎としてあるのです。

これは、私たちが何か欲しかったモノを手に入れたときの「幸福感」とはちょっと違った感覚です。違うレイヤーの幸せなのです。

だから、「救われているはずなのに幸せに感じない」ということで自分を責める必要はないのです。聖書の語る幸福は、感情ではなく、ゆるぎない事実なのですから。あなたが自分の罪を認め、イエス・キリストを救い主だと認めた瞬間に「幸福」はすでに与えられています。

困難があったら誰だって気分が落ち込んだり、嫌な気持ちになったりします。

感情的になってもいいのです。

聖書にも、悲しんだっていいんだって書いてあります。

悲しむものは幸いです。その人たちは慰められるから。
マタイの福音書5章4節

 

ん?で、具体的に聖書の言う幸福感が実感できないんだけど・・・

と思うかもしれませんが、パウロがピリピ人への手紙に書いていることが近いと思います。

私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
ピリピ人への手紙4章11~13節

何かほしいものが手に入ったときも入らなかったときも、
変わらない愛が神様から与えられている。これが「聖書の語る幸福」です。
この愛があるから、ある意味全ての問題が解決されている。

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でもそれじゃ物足りない(?!)と感じる人のためにも、聖書は私たちのすべきことを、第一テサロニケの5章16~18節でステップバイステップで教えてくれています。

1.いつも喜んでいなさい。
2.絶えず祈りなさい。
3.すべての事について、感謝しなさい。

困難に遭ってる時に喜べるわけないし!と思うかもしれませんが、ここで言っている喜びとは、「選択的喜び」なのではないでしょうか。プレゼントをもらった時などは喜びますよね。これは感情からくる喜びです。これと少し違って、イエス・キリストが私たちの罪を洗い清めてくださった。だから喜ぶことを「選択する」ことができる。

クリスチャンになったはずなのに幸せかどうかわからなくなってしまったという人は、「この世の約束する幸福」と「聖書の語る幸福」の違いをもう一度ふりかえってみませんか。

「聖書の語る幸福」は、置かれた状況にかかわらず、私たちに安心感を与えてくれるものです。私たちはすでに愛されています。主に寄り頼みましょう!

Women’s Dinner Discussion

こんにちは!グレースシティのMOMOKOです。

先週の2月25日(日)にWomen’s Dinner Discussionという女性限定のディナーイベントがありました。

普段はなかなか日曜の夜のイベントに参加することができない私ですが、今回は、友人に誘われて初参加。どんな感じになるのか想像できないまま、日曜礼拝の後にお腹をすかせながら会場となるレストランに向かいました。

教会から歩いてすぐの商業施設内にあるヴィンテージ風の本やポスターのインテリアに囲まれる洒落た雰囲気の空間に到着。

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全体で4テーブルぐらいに別れて座りましたが、あっという間に用意されていた場所がいっぱいになりました。27名もの女性が集まったようで、どうりで人数が多いわけです。

私が案内されたテーブルには、知人3名と話したことのない素敵な女性達が4名座って雑談していました。

まずは「初めまして」とそれぞれが自己紹介。様々な背景をもつ魅力的な人ばかりで、何の話題が出ても「へぇ〜」と聞き入ってしまいました。

ある程度、自己紹介が終わった頃に、オーガナイザーの雅子ちゃんがやってきて、ディスカッションのトピックスを投げてくれました。

まずは「コンプレックスはありますか? 今と昔では、何か変化がありましたか?」という質問をしながら、まぶたにまつわる面白い体験談を話してくれました。

受け止め方はそれぞれですが、多かれ少なかれ、誰にでもコンプレックスはあります。

「コンプレックスは大人になってから、少なくなってきた。小さな頃は、可愛い子が全てだったり、ある一つの価値観が全てに見えたりしていたけれど、大人になってからは、視野が広がり、そうは思わなくなってきた。」という意見がでた直後に、他の方が「私は姉とずっと比べられて生きてきた。お姉ちゃんのようになりたい。負けたくない。でも、劣っていると言われ続けて育ってきたから、今でも自分は劣っているというコンプレックスを拭いさるのがとても難しい。そうやってコンプレックスがなくなってきたと言える事が羨ましい。」と涙ながらに正直に自分の気持ちを打ち明けてくれました。

幼少期の経験や、他者と比較され続けてきたことが、人生に大きな影響を与えていることは、みんなの会話の中でも明らかになりました。

その隣で、クリスチャンの家庭で育った子が、「私はあなたの事が世界で一番大好きよ。」と親から言われ続けて育ってきたという話をしてくれました。彼女によると「神は女性を美しい存在として、神に似せて創造してくださったから、誰でも本当は美しい存在なの。」ということでした。

しかし、その女性はある時、両親が他の兄弟にも同じように「私はあなたの事を世界で一番、愛しているよ。」と言っているのを目撃してしまい、子ども心に傷ついたそうです。私の事を一番愛してくれているという親の言葉を信じていたし、自分が一番でありたいと思っていたので、兄弟みんなに「世界で一番、愛してる。」と言っていた親に対して腹を立てて、今まで納得できなかったと告白しました。

そして、そのディナーテーブルで「全ての女性が美しく創造されていると、私が思うことができる理由は、親がそう言ってくれていたからかもしれない。」親の事が今、わかった。…と、これまで納得していなかった自分自信を認めつつ、もの静かに頷づいていました。

私は、これは面白い展開になってきたなと思わずにはいられませんでした。

Women's Dinner2社会の中で、他の人と比べられながら生きている私たちは、「ただ、ありのままで愛されている」というアイデンティティを自然に培うことができません。

聖書には「あなたは高価で尊い。」というメッセージがつまっていますが、何か秀でているものがないと「使い物にならない。」という個々の存在を脅かす中傷に近いコメントや意見を平気で浴びせられる社会の中で生きています。

現実的かつ、実践的な励ましを受け取るチャンスが少ない毎日の中で、私たちはどうやって自分の存在価値を見い出すことできるのでしょうか?心の底から、愛されたい、認められたいと思っているのに、人間関係の中で日々、その真逆といえる体験をしています。

結婚していても、毎日褒められながら生活するわけではないですし、尊敬するどころか、相手の悪い部分ばかりが気になって、お互いの非を受け入れることが難しい事がよくあります。

「隣の芝生は青い。」ということわざがあるように、自分の家の芝生よりも、隣の家の芝生の方が綺麗に見えてしまうのには、理由があります。

自分の家の芝生は、庭に出てじっくり観ることができ、傷んだ部分や手入れが行き届いていない部分が目に入ってしまいます。しかし、フェンス越しに見える隣の家の庭は、近づいて見ることができないので、傷んだ部分まで見えないため、綺麗に整って見えるのです。

私たちは、自分の事ばかりを近距離で見つめながら、考えていると、人生に対して悲観的になってしまうことがよくあります。

今回のディナー&ディスカッションの良かった点は、これまで話したことのない人と知り合いになり、有意義な語り合いができた事でした。色々な人の体験談を様々な視点から聞きながら、お互いを支え合う会話に励まされました。

若い女性達が、結婚に関する質問を既婚者に対して投げかけ、結婚している人が、現実生活の課題について答える場面や、若くして結婚し、子育てが一段落したら、自分自身の人生について考える良い機会が出てきたという会話もありました。

シャイな性格でも、似た雰囲気の同世代の人がいた事で話し易くなったり、様々な年代の人が参加していた事で、シリアスになりすぎないで、将来の課題やコンプレックスについて打ち解けて話すことができました。

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グループごとのディスカッションは、各テーブルそれぞれで盛り上がった様です。

自分の存在価値や意義を再確認しつつ、これからどう前進していったらよいかと話は尽きませんでしたが、今回、出会った方々とは、またどこかでゆっくり会って話す機会があったらいいなと思いました。

楽しい時間を、どうもありがとうございました!